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ネアンデルタール人、自由平等博愛、仁義智信

2017年3月8日 · facebook投稿

考古学の本を読んでいたら、「友だちにするならネアンデルタール人です」と書いてありました。猿から人に進化するなかで、葬儀に花を添えたり、けが人も殺さずに生かしておいたというのはネアンデルタール人がはじめてだったそうです。でも、その優しさゆえにネアンデルタール人は、今の人類の祖先に虐殺されたそうです。残念ですね。

西洋的な「普遍主義」がもはや終わったと言われています。
フランス革命のスローガンだった「自由・平等・博愛」は共通の価値観ではなくなったというのがこの数年の大きな変化のようです。でも、東洋的な普遍主義を考えると「仁義智信」というのがあります。
戯れに比較してみました。

自由 なにかに拘束されないで自分で選ぶことができたらうれしいよね。
平等 失敗したり体を壊しても生き続けさせてもらったらありがたいなあ。
博愛 困った人がいたら助けて気分がよくなりたいし、自分がもし困ったら助けてもらいたいなあ

仁 人の上に立つ人は困った人を助けないといけないんです。
義 自分が所属する共同体のためには体を張って何かやらないといけないことがあります。
智 学ぶことは一生続けましょう
信 仲間は尊重し、助ける。信じるものに対しては常に誠実でありたい。

あまり違いがないことに気づきました。ならず者がほしいのはいつも権力と名誉。モラリストと道徳家にあまり違いがないことをきちんと整理すべきかなあ、と思いました。

勇ましいことが好きな人は山崎闇斎が好きなそうです。江戸初期の儒学者山崎闇斎が「孔子と孟子が将軍になって攻めてきたらどうするか。戦うべし」と言ったことに対して、同じ儒学者の伊藤東崖は「まあ、そういうこと起きないから、心配しないでいいよ」と言ったそうです。あたしはやはり東崖がよいかも。


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