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共働きの子育て 共働きは非行の温床か (1984)

共働きだった母の本棚より「共働きの子育て 共働きは非行の温床か」

8月が多忙で夏休みを取れなかったこともあり、9月の連休に合わせて夏休みを取り、子ども2人と実家に帰省した。

上の子が小学生になったこともあり、保育園の頃のように平日休んで帰省するわけにはいかない。金曜、子どもが帰宅してから大急ぎで出発し、金曜夜から3泊4日の滞在となった。

3泊4日の帰省、実家は大人の手が多いのでわたしにも余裕が生まれる。ふと、実家の本棚を眺めていたところ、こんな本が目に留まった。

「共働きの子育て 共働きは非行の温床か」樋口恵子 著

だいぶ古そうな本だが、ご丁寧に帯もついている。帯にはこんな謳い文句。

「共働きの父母必読の書!「共働きは非行を生む」という社会問題を精力的取材によって再検証する。」

随分とセンセーショナルなタイトル&謳い文句。いつ頃の本なのだろう?と手に取って開いてみる。

昭和59年9月28日初版発行、昭和60年2月12日第2刷発行。昭和59年(1984年)というと、わたしは2歳、姉は6歳。その頃、母が買ったのだろう。

4歳と7歳の息子を育てるワーキングマザーとして、非常にそそるタイトルとセンセーショナルなサブタイトル・帯に惹かれ、わたしはこの本を借りて東京に戻ってきた。

両親共働き・三世代同居育ち

わたしは両親共働き育ちだ。江戸時代から続く家系、とてものどかなど田舎にあり、三世代同居で祖父母は農家、父母は共働き会社員。

母は嫁いでくる前から地元の中小企業で事務員(正社員)として働き、定年まで約40年勤めあげた人である。

母なりに思うことがあり、こんな本を読んでいたのだろうか。

正直、母がこんな本を持っていることは驚きである。

子どもの頃、わたしの生まれ育った地域では両親共働き・三世代同居が当たり前で、わたしは高校に入るまで、母親が専業主婦という友達を見たことがなかった。両親共働きなことを疑問に思ったり嫌だと思ったりしたことは全くなかったし、母がこんな本を読んでいたとは想像もできなかった。

子ども目線では全く気が付かなかったが、働きながら子育てしている母親というのは、いつの時代も仕事と育児で悩むものなのだろう。

この本を購入した頃、わたし2歳、姉6歳、母30歳。上の子の小学校入学を控えてこんな本を購入したのだろうか。小1の壁真っ只中のわたしと相通ずるところがある。実家の本棚にずっと眠っていたであろうこの本を、今このタイミングで見つける巡り合わせに、奇妙な運命を感じる。

冒頭から驚き 35年前の子育て事情

読み始めると、種々の観点から当時の子育て事情を考察した本で、非常に読みごたえがあった。

読み始めてすぐ、「第1章 共働きは非行の温床か」の12~13頁にはとても驚いた。

ツイートには一部誤字があるので訂正して再掲する。

ことしの春、・・・東京都でアジア・太平洋地域の婦人問題会議が開かれました。・・・同じような質問が山積みになるほど集中したのは、やっぱり「女性の社会進出がすすみ共働きが増えると青少年の非行が増加するといわれ日本では問題になっています。あなたのお国ではいかがですか。」・・・オーストラリア外交官は、夫も別な国の大使。・・・彼女の答えは明快でした。「この質問の背景には、二つの誤まりがあります。第一は、母親にだけ育児の責任があると考えていることです。子どもを育てる責任は父と母と両方にあるはずで、母親が働く場合の父母の協力のしかたがポイントです。第二の誤まりは、働く母は育児に無責任だと考えられていることです。働こうと働くまいと、子供に対する母親の責任は果たすのが当然のことです。要するに、こういう質問の背景にある誤った考え方は、くだらないことだと思います。」(12~13頁)

これが35年前の国際会議のトピックとは、本当に驚く。これはまさに、2019年現在のわたしたちワーキングマザーの悩みへの回答ではないか。

35年経った今も、この国には、母親にだけ育児の責任があると考えている層はまだまだ多いし、働く母は育児に無責任だと考えてる層も根強い。

35年、この国は何をしていたのだろう?共働きの子育て環境は全く進歩していない。冒頭からそんな気持ちになった。

共働きは非行の温床か

サブタイトルにもなっている、共働きと非行の関係についても、非常に興味深い内容だった。

35年前は、中学生を中心に、登校拒否、校内暴力、家庭内暴力が社会問題となっていた時代らしい。校内暴力の問題、初期の金八先生で見たことがある。家庭内暴力の問題も、積木くずしを読んでなんとなく知っている。そんな時代背景にあって、共働きと非行の関係は、教育関係者を中心に一般メディアでも指摘されていたそうだ。

結論からいうと、種々のデータ、調査研究からは、共働き家庭に非行が多い傾向はないそう。ただし、専業主婦の母親が再就職する場合、再就職後の子どもの変化が一部見られるとのこと。

子どもが小学生、中学生になってからの母親の再就職により、周辺環境が変化した子どもがそれに適応できず非行に走る。なるほど、想像に容易い。母親が働くことの意義を子どもにしっかり伝えて、お互いが納得した上でよい関係を築くことが重要だそうだ。

時代背景として、当時は産休は制度化されていたものの育休がなく、公務員などには育児休職制度があったものの、産休明けで職場復帰するか、出産退職→再就職をするかして共働きとなっていたとのこと。

確かに、わたしの母も産休(おそらく2ヶ月程度)後に職場復帰したと聞いている。三世代同居(当時は曾祖父も存命で四世代同居)のため、祖母に子を任せて職場復帰していたようだ。

以前聞いてぎょっとしたのだが、母が仕事復帰してまもなく、休憩時間に授乳はできないだろうか、と、祖母が当時3ヶ月の子(わたしの姉)を連れてバスで片道15分ほどかけて母の職場に何度か行ったらしい。姉が寝てしまったりぐずったりで長続きしなかったらしいが、中小企業とはいえ、社会全体、地域全体で子育てしている雰囲気に驚く。

ちなみに、当時は通勤にバスを使っている女性が多かったけれど、その後のモータリゼーションにより、車は一家に一台から免許所持者一人一台へ。これによりバスの本数は激減してしまい、今や1日4本程度だろうか。バスに揺られて授乳に連れて行けるとは思えない。地方衰退の片鱗を感じる話でもあった。

母親が働くことの意義

この本全体に何度も登場した内容としては、母親が働くことの意義を子どもに伝えて、楽しく働いている姿を見せることが重要らしい。

「母親の就労について、子どもがどんなイメージを持っているかで、子どもの受け取り方はまるで違います。母親が働いているのは、自分を含めた家族のためなんだ、と納得できること、母親が働くことによって世の中になんらかの役割を果たし貢献しているかを知り誇りを持てること。逆に母親自身わけもわからず働いているようだと、子どもは文句をつけやすい。」(29-30頁)
大竹さんが、いちばん先に指摘したのは、母親自身の「労働に対する感覚」でした。「私は共稼ぎ、という昔ながらの語感のほうが好きです。仕事をする、ということが、自分の才能や労働力を商品として市場に出し、家族や自分のために対価として給料をいただく、というとすっきり、はっきりした労働観が、共働きというと、社会とのかかわりのほうが前に出て、自分の商品価値があいまいになってしまいますね。」(48-49頁)

ここで登場する大竹さんは精神科のお医者さんで共働き反対論者だが、反対論者から見た「子どもがよりよく、より人間らしく育つ」という視点でどう育てていけばいいかの考えが上の通りとのこと。

池田さんも、共働きの働く姿勢を問題にするという点では、大竹さんやほかの方とも同様でした。池田さんはさらに、母親自身の人生をつくる働き方を期待します。「単なる家計補助だったら、自分の人生を築く上でプラスになるとは限りません。働くことによって母親自身が育ち、人生のよいモデルを子どもに示せるような働き方を。」(72-73頁)

ここで登場する池田さんは、教育学専攻の大学教授で、共働きを、今までの男女の役割を変える、新しい家庭のあり方と評価している立場だそう。「働く母親よ、自信をもて」と力説する。

わたしも常々考えていることだが、子どもには仕事に対する愚痴は言わずに、お母さんは仕事が好きで楽しくて働いている、社会のために働いている、という姿勢を積極的に見せていきたいと思っている。幸いにも、わたしの仕事は社会の基盤作りと密接に関わっているし、これからどんどん大きくなっていく子どもたちに、お母さんは誇りを持って働いていることを伝えていきたい。

家庭では仕事の愚痴ばかりで、仕事に対するネガティブな気持ちが子どもにも伝わったり仕事の苛々で子どもに当たってしまったりするのが一番よくない。子どもたちが多感な時期に入る前から気を付けなければ、と改めて思った。

共働きにおける父親の役割

1984年の著書であるが、当時の父親たちに関する描写は、わたしの認識と異なるところがあった。

我が家は上の子が2013年4月に0歳児クラス入園、下の子が2016年4月に0歳児クラス入園だが、2013年当時は送り迎え(特に迎え)で男性を見かけることは稀だった。今は送りは男性がぐっと増え、迎えの男性も増えた印象。

これについて、Twitterにて、とても興味深いリプライがあった。

・80年代の方が総労働時間が短かった?
・当時は育児休業や短時間勤務も整備されておらず、男性が参加しないと本当に回らない状況だった←そうでない家庭は専業になっていた?

育児休業や短時間勤務の整備が女性への育児負担を増やす、というのは実感としてかなりある。制度上、男性も育休は取れるし時短勤務もできるが、運用上は女性をターゲットとしていることが明らかであり、女性だけが仕事家事育児の3つをしなければならなくなる。

わたしの母の話にもつながるが、専業になるか、男性が参加しないと回らないか、あるいは祖父母を頼るか、の時代と比較したら、制度的には今は恵まれている。でも、結局母親に負担が偏ってしまい、「なぜ共働きも専業もしんどいのか」なのだ、2019年。

この本における育児に関する提言は、2019年となった今も全く状況が変わっていないからか、共感するものが多い。

いくら夫や子どもの協力があったにしても、今のところどうしても家庭経営のコーディネイターになるのは妻の側です。家事全体の見直しを立て配分することや、家計管理、人間関係の調整役を、職業と同時にこなしていなかければなりません。また、子どもや家族の病気、事故というときも、直接の負担は妻の側にかかりがちなので、現在、共働きを続けることは決して容易ではないのです。(104-105頁)

「今のところ」や「現在」との言葉があるけれど、これは35年経っても「今のところ」や「現在」のままである。この国における男性優位な社会の仕組みが変わっていないことの表れかと思う。

コーディネイターが母親なのは、乳児の頃は避けられないとは思うが、子どもが大きくなるにつれて、父親がコーディネイターになることはできる。少しずつ、そんな家庭も現れているだろうか。

共働きが長続きしている家庭をみると、妻以上に夫にキーポイントがあるとつくづく思います。少なくとも自分のことは自分でできる自立した男揃いで、妻に世話されなければ自分のパンツのありかも知らない永遠の少年ではありません。衣食住のすべてについて、人間のおとなとして必要な、ひととおりの知識と技術を身につけています。(109頁)
そして育児の面でこそ父親の面目躍如、「父親不在」といわれる現代の傾向と裏腹に、共働き家庭ではたいてい父親の存在が確固としているものです。いや応なく子どもたちと触れ合う中で父の価値観が伝わっていくのでしょう。共働きの良い面に光を当てて、さらにそれを伸ばしていく生活を、若い方々に期待しています(112頁)。

共働き育児におけるキーパーソンは父親で、父親と子の触れ合いが大事だとの提言、もっともっと社会に広まればいいと思う。我が家は子が男2人なので、特に、育児に積極的な父親を見て育った我が子が将来当然のように育児をする男性になることを期待している。幸いにも、我が家はうまくいきそうな気がしている。

樋口恵子先生の35年前の名著、そのまま再出版してもベストセラーになりそうな内容だった。ご興味のある方、図書館などにあると思うので、ぜひお読みください。