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一反木綿の秘密基地〈怪談手帳二次創作〉

 40代中頃で押し出しのよい体格のEさんは、いかにも怖いものなどなさそうに見える。しかし、Eさんは意外なものが怖いと言った。
「虫かごだよ」
 デパートなどで昆虫採集コーナーを見るだけでも嫌なのだそうだ。
「けどさ、元々は昆虫採集は好きな方だったんだ」
Eさんはそう言うと、がぶりとコーヒーを飲んでから話し始めた。

 Eさんは小学生の頃、とある森の多い地方都市で暮らしていた。家から少し行ったところにある森の中には、夏になると大きなカブトムシやクワガタがいっぱいに生息しており、毎日のように虫かごと網を持ってEさんは友達と出かけていた。

「その日も大量だったよ、カブトムシとかクワガタムシがいっぱいに採れて。なんであんなに採るのかね、飼うったってそんなに飼えやしないのに」
 昆虫採集の話になるとひどくつらそうにEさんは話し、しょっちゅう飲み物を口に運んで舌を湿らせていた。

「変なものを見たのは、友達、Rくんって言うんだけど、彼と競争でカブトムシをうんと取ってさ。夕方、3時過ぎたからさあ帰ろうってときだった」
 夏の3時頃、太陽は傾いたものの見事な晴天を見せている西空になにか白いものが飛んでいたのだという。
「なんだよあれ」
 Eさんたちはふたりともその奇妙なものに気づくと、手をひさしにして太陽の光から目をかばいつつ、白いものをじっと観察した。
 それは白い布のようなもので、体をくねくねとくねらせながら空中を泳いでいた。布には一部汚れたような黒い点がついていたが、遠すぎてそれが何なのかはよく分からなかった。

 ただ、Eさんたちにはそれがなんなのか心当たりがあった。
「一反木綿だ!」
 どちらが先に口に出すでもなく、2人は同じ結論に達したのだという。
「ほら、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるあの一反木綿にそっくりだったんだよ。色も形も。たぶん、当時の子供が10人いたら、10人全員が一反木綿って答えると思う」
 2人が呆けたように、太陽の光から目をかばいつつ白いものを見ていると、それはゆっくりと飛びながら西の方へと遠ざかっていった。

 気づいたら虫かごの中にいたカブトムシが、いい加減に閉じられた蓋を開けてすべて逃げ出していたのに、それにも気づかないほどEさんたちは興奮していたという。
「すげえもんを見たぞ、ってお互いに言い合ったよ。明らかにだって、妖怪を見たんだもん」
 すげえすげえ、と言い合ったが、門限の時間である午後4時に間に合わないことに気づくと、その気持はすぐにしぼんでしまったという。こっぴどく怒られるのは目に見えていた。

 さて、ここまで聞いて僕は疑問に思った。小学生とはいえ、午後4時が門限というのはいかにも早い。特に昼の長い夏場なら、遊びたい盛りの子供をもう少し外で遊ばせてやってもよいはずだし、まして夏休み中だ。それに、これまでの話を聞いていると、Eさんたちが塾や稽古事に通っているという様子でもなかった。それで「こっぴどく怒る」というのはなんとも違和感がある。
 率直にそのことを伝えると、Eさんは答えた。

「ああ、普通だったら親もこんなピリピリしないだろうがね、変質者が出てたんだ」

 変質者? オウム返しに聞いた僕に向けて、彼は頷いた。
「そう。街の病院で、霊安室にあるご遺体全部の顔と手に墨が塗られてるのが見つかってね。最初の1回はいたずらってことになったけど、それが別の病院も含めて何度か続いたもんだから、これは死体をおもちゃにする類の変質者だぞってさ」
 街の大人たちはピリピリしており、病院周りのパトロールなどを強化していたのだという。Eさんたちが厳しい門限を言い渡されていたのもそれが理由だった。

 散々叱られた翌日、Eさんは興奮を隠せないRさんに話しかけられた。
「あのさ、親から聞いたんだけど。あの一反木綿、何回か飛んでるらしいよ」
 彼いわく、Eさんたちが最初の発見者というわけではなく、過去に2度ほど同じような白い布が飛んでいるのを見た人がいたのだという。ただ、そのときにはすでに遺体に墨を塗る変質者騒ぎが起きていたので、大したニュースにもなっていなかった。

「だからさ、一反木綿がきっとどこかに隠れてるに違いないよ。そこから発進してるんだ」
「すげえじゃん! 秘密基地、探しに行こうぜ」
 少し飛躍した論理を語るRさんの言葉に、Eさんも興奮していた。そうして、一反木綿の秘密基地探しが始まった。

 小学生の探偵ごっこがうまく行った試しはないのは世の常だが、こと2人に関してはその法則は適用されなかった。Rさんの父親が地方新聞の記者であり、かつ子どもたちが変質者についてではなく、一反木綿といういかにも子供らしい存在を調べることを歓迎したからだ。彼は子どもたちに、似たような白い布がどこで目撃されたのか、知っている限りのことを教えてくれた。

「あの時代はまだ、子供が他人の家に急に来て色々聞いて回っても、そこまで問題になるような時代じゃなかったからさあ」 
 Rさんの父親がくれた情報を参考に、2人は目撃地点周辺の家の扉を叩いて、次から次に
「一反木綿を見ませんでしたか?」
と聞いて回った。

 結果として、一反木綿らしい白い布は、Eさんが見たもの以外にも、3回ほど異なる日に目撃されていた。どれも西の空に向けて体をくねらせるようにまっしぐらに飛んでいたが、ゴミが風に飛ばされているようにも、あるいは何かそういう生き物のようにも見えたという。
 大抵の人々は前者だと認識した。どの目撃者も白い布には黒い汚れがついていたのを見ており、どことなく書き損じた半紙か、あるいは長いトイレットペーパーが飛んでいるように思えたからだ。きっと、紙ゴミかなにかが飛んでいるのだろうとあっさり片付けていた。

 Eさんたちは一反木綿の目撃情報を、西の家から東の家へと順繰りに集めていった。西へ飛んでいるなら、東に行くほど「秘密基地」に近いはずだ、というEさんの思いつきだった。そして、聞き込みを数日続けるうちに、町中のZ地区から向こうではまるで一反木綿が見られていないというのが分かった。

 Z地区は街の中でも寂しいところだった。昔は大企業の工場があったのだが、バブル崩壊の影響で街から撤退してしまった結果大きな空白地帯ができている、そんな場所で一反木綿は見られなくなっていた。
 がらがらになったZ地区の一角にひっそりと一反木綿たちが住み着き、鳥のように巣を作っている――そんな空想にEさんたちは興奮した。しばらくは毎日4時頃、Z地区に通って一反木綿が出てこないかじっと観察していたEさんたちは、見知った顔がZ地区に入ってくるのを見つけた。

「病院の先生だったよ。つっても小児科医じゃなっくて、俺達の担当からはずっと遠いんだけど。爺さん婆さんが色々言ってたから、『あ、そういえばあれ、病院の』って分かった感じで」

 奇妙なことに彼は、Eさんたちも習字の時間に使っているような、半紙ホルダーらしいものを持っていた。彼は隠れているEさんたちに気づかないまま、どう見ても廃屋にしか見えないボロボロの家に入っていった。Eさんたちは慌てて後を追った。

 鍵を開けっ放しで廃屋に入っていったため、簡単にEさんはボロ屋へと入り込めた。クリーニング屋かなにかだったらしい1階建ての廃屋の中には、ホコリとサビの臭いだけでなく、むっとするほどの墨汁の臭いが漂っていた。奥の部屋と手前の部屋は、すりガラス一枚で遮られていて、白いシャツか何かが奥の部屋には吊られているようだった。
 先生が奥の部屋で半紙ホルダーを広げると、何かを取り出しているのを見て、Eさんたちは肘でお互いをつつきあった。
「見ろよあれ……一反木綿だ、一反木綿を作ってる! 先生は妖怪使いだったんだ!」
 必死で声を押し殺しながら言うEさんに、Rさんは返事をした。
「ああ、扉を開けて確かめるぞ!」

 Eさんが止める間もなく、ぱっ、とRさんは駆け出し、扉を開け、そこで立ちすくんだ。Rさんの背中越しに、室内が見えた。

 白いシャツのように見えたのは、どれも長い半紙だった。すべて、大きな虫かごのようなものの中に、ぎゅう詰めに詰め込まれていた。室内は窓を締め切られていて風もないのに、半紙はどれも虫か何かがもがくように揺れている。よじれるそれらには、墨で人間の顔と手のようなものが写し取られていた。
 眼の前の光景と、病院の墨塗り事件が結びつくのに数秒かかった。「デスマスク」だとか「魚拓」だとかという言葉が、ゆっくりとEさんの頭の中に浮かんできた。

「先生が」
Rさんがなにか言おうとしたが、それより後は言葉にならなかった。
「ん、君らは」
 先生はなぜか照れくさいような、少し自慢げなような笑顔を浮かべた。
「やっぱり同じかごに入れすぎるといかんね。どうしても何匹かは逃げちまうから」
 その言葉に合わせて、かごの中の半紙はひときわ激しくざわざわと動いた。目を閉じて口をだらしなく開いた死に顔だったものが、泣き顔や怒り顔のようにぐねりとゆがんだ。

 Eさんがどうやって家まで帰り着いたのかは覚えていないのだと言う。
「とにかく、喉がめちゃくちゃに痛かったし、その後数日は声がガサガサに涸れてたから、なにか叫んでたのは確かだったなあ」
 まるでおぼつかない説明だったが、とにかく黒塗り事件の犯人が先生であるというのはかろうじて伝わったようで、数日後には先生はあっさりと逮捕されていた。動機についてもありきたりなものが伝えられており、すぐに黒塗り事件は忘れられた。EさんとRさんはそれ以降も、別々の学校へ進学するまではごく普通に遊んだが、2人の間でなんとなく一反木綿の話についてはタブーになってしまったという。

「そんな体験をしたなら、虫かごを見るのが嫌になりますよね」
僕がそう言うと、Eさんは首を振った。
「いや。そうじゃなくてな、ああいうのが駄目になったのは10年くらい前だ」

 Eさんが社会人になってからしばらくして、久しぶりにRさんとゆっくり話す機会ができたのだという。話は弾みに弾み、夜遅くなったこともあって彼の家で酒を飲むことになった。
 玄関を開けて、部屋に入ったところで、Eさんは立ちすくんだ。部屋の中に大きなかごがあり、その中にいくつもの半紙が吊り下がっていた。
「おい、それ……」
 言葉をうまく探せないEさんに、Rさんは答えた。
「ああ、俺もやってみてるんだけど。案外面白いもんだね。今はほら、簡単に洗い落とせる墨があるから迷惑もかからないしさ」
 Rさんは少し照れくさいような、自慢げなような笑顔を浮かべた。

「本当に怖いのは、そのときは『ああそうなんだ』って答えて、普通に飲んで喋ったことなんだ」
 EさんがRさんと話したとき、ちっとも怖くなかったのだという。ごく普通のこととして受け止め、楽しく酒を飲んで旧交を温めた。何もかもがおかしい、と感じたのは、次の日起きてからだった。
「それからだよ。虫かごを見ると、『ああ、半紙を買ってこないと』って思う。昆虫採集とかしてるのを見ると、『詰めておかないと』って思う。すごく自然に、そういう考えがすぽっと頭の中に収まるんだ」
 Eさんはコーヒーをぐっと飲み干して言った。
「ああいうおかしなものの影響は、かなり遅れて来るみたいだ。それも、なにかのきっかけで急に、おかしいと気づくこともできないまま影響されちまう。それがおっかないんだよ」

 Eさんが辞去した後、話をまとめていると、ふと彼が座っている椅子のところにレシートが1枚落ちているのに気づいた。拾った僕は何気なく内容を見て、思わず声を上げて放り投げた。
 ホームセンターのレシートだった。買い物内容には、半紙と虫かご、そして墨汁と書かれていた。


 これは『震!禍話 第四夜 』の「白布」を聞いていたところ思いついた話を怪談手帳っぽく書いた禍話二次創作です。

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