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行動を決め、賽を振れ

 永禄5年2月。暦では春も半ばにも関わらず、京の街から見える叡山は山頂を白く染めていた。霙混じりの雨がしのつき、誰もが厚布で包んだ焼け石を懐に入れて暖を取る中、1人の若武者が凍えもせず、息も切らせず、早足で歩き続けていた。名は喜兵衛。甲斐の武田に仕える武士である。

 半年前、武田は川中島の戦にて、薄氷の上の勝利を収めた。あまりにも混乱した戦であり、足軽大将として初陣を飾った喜兵衛は、何がどうなっているのかまるでつかむことすらできなかった。いるはずのない上杉の軍勢が、霧が晴れたときに妖術のごとく眼の前に立ちはだかり、信玄公の喉元に肉薄した。両軍ともに死者はおびただしく、多少なりとも目端が利くと思っていた自分の自信が粉々に打ち砕かれるのを喜兵衛は感じた。戦の後も、武田・上杉はともにどちらが勝利したとも決め難い有様であった。

 戦の趨勢を克明に記録した怪文書が京に流れていると分かったのは、正月を過ぎてすぐのころであった。喜兵衛もその文を読んだときには、驚愕した。これはまるで、有頂天の天仙が雲の上から戦を見ているようではないか……と。いかな間者の仕業にせよ、これを見過ごすわけにはいかなかった。

 怪文書の出処が割れるまで1ト月。喜兵衛がたどり着いたのは、洛外にあるあばら家であった。屋根壁が崩れた家を見張るうち、みすぼらしい姿の5名の男たちが出入りするのを喜兵衛は確認した。このような者が克明に戦を読めるわけもない。げんに、家の中からは、丁半博打でもしているのか、ざらざらと賽を振る音がした。

 踏み込みどきだ。扉を蹴り開けたとき、喜兵衛は丁半ではないことを知った。男たちは碁石に、いくつもの賽、升目に区切られた紙を囲んでいた。賽は6面だけでない。4面、8面、10面、そして両指では数えられないほど三角を組み合わせた多面賽。

 喜兵衛に男の1人が言った。

「何だあんた。遊戯に参加したいのかね」

【続く】

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