2023年あけましておめでとうございます

2022年12月31日は21時に寝ました。2023年1月1日は4時20分に起きました。
あけましておめでとうございます。年越しの瞬間は寝ていたのであけおめ合戦に参加できませんでしたが、午前のバイトが終わってお昼ようやくお世話になっている方々に新年のご挨拶ができました。あーんしん。

2022年の振り返りをしていないのに2023年の日記を書くのは武士道に反している気がしますが、振り返りを書くのを待っていると一生2023年に行けない気がするので書くことにしました。

さて2023年です。2023年は卯年です。私は1999年生まれなので今年が年女です。いやだ。大人やん。怖いよ。
中学生くらいから中身は変わっていないのに歳だけすぐ増える。全然見合ってないのに。決して若くいたいわけではない。自分の中身に深みがあるなら歳はたくさん取りたい。じゃあ中身が成熟できるように努力したらいいのでは?と思うかもしれませんが努力して成熟できるものでもないじゃないですか。そりゃあ私だって年相応のお姉さんになりたいですよ。カフェとか行って紅茶飲んで、あら〜アッサムですわね〜とか言いたいですよ。いやそれはなんか違うな。

年相応のお姉さんってどんな感じやろう。全然わからん。ここに来て私は気づいてしまいました。そもそもイメージ像がないのになれるわけない。そうだ、ゴールするにはゴールが必要。到達地点がなければ到達なんてできませんよ。不可能です。また一つ賢くなっちゃったね。
ということで2日くらい考えたんですけど、目標とする像なりたい像って難しいですよね。なかなか思いつきませんでした。身近な年上の方々で尊敬している人はたくさんいるけどその人みたいになりたいわけでもないし、思ったところでなれないし。なんかの雑誌で魅力的な自分になろう!みたいな広告を見たけど、他人から見て魅力的になりたいわけでもないし、自分から見て魅力的な自分ってなに?って感じだし。どんな自分でも自分のことは魅力がある(というか受け入れられる?)と思うし。今の自分とは違う自分になりたいわけじゃないんですよね。違う自分になるとかそんなん無理ですよ。まるっきり変わったと思うとしたらそれは上辺だけしか見ることができてないんじゃないですか。知らんけど。

話を戻すと、年相応って結局なんだろう。もしかして本当は存在しないのかも。存在しないはずなのに存在しているのかも。幽霊バスみたい。
なんかまた脱線している気がする。なんの話でしたっけ。そうだ、成熟した中身だ。成熟した年相応の大人になるにはどうしたらいいかで、ゴール地点を考えたらいいのではないかみたいな話をしていました。でも2日考えてもわからなかったんですよー。
もしかして、ゴールじゃなくて過程を考えることが私には必要なのかもしれません。日々の生活で何気ないことをきちんとやる、やりきる、そういうのが自分に足りていない気がしてきました。早寝早起きとか。やろうとはしてるけどさ。こういうのって自分の意志だけでは難しいものがあると思います。だって人間は煩悩だらけの生き物なんですもの。それに加えて誘惑も障害も多いし。

というわけで初詣では、一つ一つすべきことを確実にやり遂げられますようにとお願いしときました。やっぱり神頼み!努力プラス神頼み!神様、お願い!♡

というわけで今年もよろしくお願いします。

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