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ブラウン管に映る未来

実家に車で行ってきました。
実家は都会にあるので本来車で行く必要はないのですが用途があり車で向かったのでした。

実家には母が一人で暮らしています。
年老いた母は性格や習性が祖母と似てきました。
年を取るにつれ、その性格や習性が先鋭化していく気がします。

ぼくは程よく距離を取りつつ付き合っています。
母が祖母とよく似ているように、ぼくも母と同じようなところがあると自覚しているので、
自分にもある嫌なところを見せつけられるようで、嫌な気分になることがあるからです。
似ているからこそ折り合わない部分というのもある気がします。

車で実家に行ったのは古いブラウン管のテレビを回収するためです。
母は液晶テレビを購入する際に、その古いテレビを「壊れていないから」という理由で回収の依頼はせず、保管していました。
おそらく地デジ対応の頃の話なんでしょう。
まさか取ってあるとは知らなかったのですが、そんなブラウン管テレビが奥からでてきたわけです。

ブラウン管のテレビ

「回収を依頼すればいい」
それはそうなのですが、その行為がわからない。不安。
という母。
それはまるで、すべてを恐れるヘイポーのように。
「それ、怖くないですか?」
という言葉とともに行動を躊躇するわけです。
それだけならまだしも、年老いた母はその不安に押しつぶされそうになるとか。

一度口にしたことが力を持つように。
母は自分で口にした不安が日々増長していってしまうようです。
もうなんらかの病名がもらえそうです。

そんな愚痴を聞かされるのも面倒なので、もういっそのこと回収してしまおうと思うに至り、車で向かうことになったわけです。

日曜日
ぼくは単身、車で実家に向かいます。
それは楽しいドライブではないのです。
楽しくないのがわかっていたから、単身向かったとも言えます。
音楽を聴きながら、自分の気持ちをごまかすように、一緒に歌ったりして。

ブラウン管のテレビは東芝製の14インチでした。
久しぶりにみたブラウン管のテレビは思ったよりも大きくて、重かった。
何よりも持ちにくくて、より重さが腕に負荷をかけてきました。
なんらかの業のようでした。
(せっかくなので写真でも撮っておけば良かった)

なんとか車の後部座席に積み込んで帰路につきます。
長居すると、気疲れするとか、苛つくなどが考えられるからです。

回収、そして廃棄したい気持ち

帰路、なんとも言えない気分になりました。
家電リサイクル法に対応できない母。
短い滞在時間に聞かされた諸々の愚痴、そしてそれらから溢れ出る老い。
それでも子供や孫に対する譲らない態度。

まあ、すべてが老いのせいなんだろうなと自分に言い聞かせて、
聞いたことをなるべく受け流して、自宅には持って帰らないように心がけました。
そして祖母や母が同様の老いを見せてくることに、なんとなく自分の未来を見た気もしてくるわけです。

親は間違いなく老いる。
そしてそれは必ずやってくる。
わかっていたけど、今回のブラウン管のテレビで痛感しました。

ぼくはそのまま大型電気店でテレビの回収依頼を済ませ、
諸々の嫌な気分はそこへ一緒においてきて、
それでも残ったものをここに記載して、そっと閉じることにしました。

付記

これは本来公開することのないまま下書きに記載して自分で納得するためのものでした。
が、後日、母ではなく親類に不幸があり、身辺整理などが発生することとなったので、それらも合わせて記載していこうかなと思った次第です。

サポートをしていただけたら、あなたはサポーター。 そんな日が来るとは思わずにいた。 終わらないPsychedelic Dreamが明けるかもしれません。