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読書リハビリ:ここで唐揚げ弁当を食べないでください

以前、文學界で読んだエッセイが良かったので、小原晩のエッセイ集を購入してみた。

ネットで確認すると、2冊の作品集が出ているようだったが、
まずは先に出ていた「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」を購入してみた。
これはとても良いタイトルだ。

ここで唐揚げ弁当を食べないでください:小原晩

表題にもなっているこれで幕をあけるエッセイ集。
筆者の体験に基づくエッセイが中心ではあるが、そこここに良い表現があり、短いものが多いもののとても楽しめた。

東京での生活を綴ったものが特に良く、都会での生活、仕事に奮闘する様も興味深かった。
と同時に、遮二無二働いていた筆者が、なぜこういったエッセイを書き始めたのかというところが気になった。
それはまた別の話で別の著作で触れているのかもしれない。

ここで唐揚げ弁当を食べないでください

冒頭、短いがとてもインパクトのあった作品。
これはまあ、そのまま比喩も何もないそういう話だった。
ポイントは「唐揚げ弁当」だ。
ピンポイントの指摘、つまり「唐揚げ弁当」を食べている貴方、そうそこの貴方ですよ。
という指摘。
若く、下積みの頃というのは同じものを食べがちである。
ぼくならば立ち食い蕎麦のざる蕎麦であり、小原晩は唐揚げ弁当であった。
もはや、好きとか嫌いとか、そういうものではなく、ひとまず腹を満たして午後に備えるためのもの。
そういった悲哀も感じられ、少しヒリヒリした。

兄はガニ股

どうしもない兄と口論になった話。
これは率直に面白い表現、ただ直面している状況は最悪だし、その時はとても笑えるものではなかったのだろうけど、
こうして書けている現状があるということは、まあひとまず解決しているのだろう。

借金をして、その督促やらが実家に着てしまう中でも、連絡が取れない兄。
そんな兄を捜索して、ようやく住んでいる近辺に辿り着き、捕捉した筆者と兄の対面するシーンが最高だ。

果てしなく広いローソンに兄と妹の「あ?」「あ?」「あ?」「あ?」が、響き渡る。
「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」
果てしなく広いローソンが「あ」で埋め尽くされた頃、兄も落ち着いてきたのか、「公園行って話すか・・・・」と言い始めた。

「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」小原晩

デザイン「あ」以来の「あ」の応酬だ。
郊外にあるような駐車場付きコンビニに溢れる「あ」
とてもよく似合う。
毎夜、郊外のコンビニには「あ」が溢れているように思えてくる。
笑えない話が、笑える話になるというのはよくあることかもしれないが、文字として変換されていくと、その風景、心情がよく伝わる。

まとめ

そのほかにも良い短編が多くあり、いっきに読んでしまった。
「回転寿司と四人家族」はありし日の家族を思う話で、ぼくの好きな「人が死んでしまう話」も含んでいる。
「下北沢の北京料理屋にて」は唐突に訪れる無職の好青年との出会いの話。これも後味の良い短編で、無職の青年の描写がとても清々しくて良い。

何がこんなに心を惹かれるのかと考えると、表現が率直であるというところだろうか。
素直というべきかもしれないが、文章が伝わりやすくて嘘がないような。
良い作品と出会えたので、もう1冊の著作にも手を出そうかと思っている。

サポートをしていただけたら、あなたはサポーター。 そんな日が来るとは思わずにいた。 終わらないPsychedelic Dreamが明けるかもしれません。