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雑記:高尾山口

ここ数日の痛みについて、私は記録する。

1

数年ぶりに高尾山に行ってきた。
いつ以来かわからないが、以前はまだ温泉施設はなかったし、駅前のロータリーもあんなに綺麗ではなかった気がする。
もちろんトリックアート美術館は存在していたが。

東京の小学生は遠足で高尾山へ行く(少なくとも中央線、京王線沿いは)
私自身も小学生の時、何年生だったのかは覚えていないが、遠足で行った記憶がある。どのルートで登ったのかは当然ながら記憶にないが、断片的に覚えているのは、小柄で運動が得意ではない山崎さん(仮名)がとても楽しそうに先導して登っていたこと。確か山崎さんは卒業まではいなかったので、山崎さんの記憶はそれしかない。
私自身はといえば、楽しくはなかった。
登山にあまり興味がなく、登らされていたと感じたからだろうか。

だが今回は違う。
妻と娘と高尾山に登ることになったからだ。
きっかけは娘が遠足で高尾山に行ったのが楽しかったという話から。
今度は違うルートで行ってみたいということになり、ケーブルカーも乗らない方向で調整は進んだ。
リモートワーク続きで、平日は家を出ないか、出たところでコンビニに行くくらいの私にとっては高尾山と言えども登山であり、入念な準備が必要なのだ。
以前に高尾山に登った時はそこそこ運動をしていた頃だったし、一人で自分のペースで登ったので、なんなら物足りないくらいだったのだが、今回は同じようにはならないことは想像に難くない。
ここ2週間くらいはコンビニすら行っていないのだから。

2

当日、久しぶりにトレッキングシューズを出して高尾山へ向かう。足取りは軽くない。
京王線に揺られて高尾山口へ、駅はすっかり綺麗になっており、以前の印象とは全く異なっていた。温泉施設ができたことは知っていたが、駅から直結ではないか。
朝も早めだったのだが、駅前には待ち合わせをする人が多数おり、皆装備が整っていた。

今回は稲荷山コース、稲荷山を経由して高尾山頂へ向かうルートをとった。
ここは以前にも通ったことがあったはずだが、模様は一変していた。

稲荷山コースの登山道

以前はただ木が埋め込まれていたような登山道が、しっかりと整備されていたのだ。木の板を歩けばコツコツといい音がして、それはそれで楽しい。
稲荷山山頂を越えて、高尾山頂へアタック。
その最後の階段、私のトレッキングシューズのソールがハゲかけた。
ベロンって具合に。剥がれたものは元に戻るわけもなく、応急処置として、靴紐を一旦外して、ソールごと結び直してみた。
山肌にソールが引っかかることがないという程度で、快適とは程遠いが、歩く分にはなんとかなりそうだ。それにもうすぐ山頂なのだ。なんとかなる、なんとかなると、私は口にしていたと思う。

そんな私の眼前に現れたのが階段だ。

山頂前の最後の階段

これは、なんというか、階段だ。山ではなく階段を登るのだ。
この風景は登山というよりも、鍛錬のような気分になってくる階段だ。
私は下を向いて、一段一段、淡々と登った。
登りながら、「これは登っているのか、登らされているのか」という疑問が湧いてきてしまったのだが、その思いは休憩がてら水と一緒に飲み込んだ。

高尾山頂に到着すると、人はそこまで多くなかった。
売店やビジターセンターはまだ準備中だし、日差しもまだ真上にはない。
一息ついたところで、妻からこの後は小仏城山ルートへ行きたいと言われた。
体力もそうだが、このソールでなんとかなるのだろうか。正直なところわからないのであまり気は進まなかったのだが、お店も空いていないような時間なので小仏城山ルートへ向かってみた。どうにもならなそうなら引き返せばいいかと。

小仏といえば、中央道ユーザーには渋滞の名所としてお馴染みである。あのにっくき小仏か、と思ったのだが、実際にはその手前にある城山というところまでしか行かなかった。
城山の時点で麓から高尾山と同じくらいの道程であり、小仏もまた同じ程度ありそうで、流石にそこが限界だった。

城山への道はなかなか厳しかった。
高尾山のコースとは異なり、高い木々が少ないので、日差しが多く差し込んでおり、登り降りに加えて暑さも私を苦しめた。
登りはソールが禿げないか気を使い、暑さにやられつつ、疲労と向かい合う。
思えば登山は人生のようなもので、結局のところ自分自身が歩みを進めるしかなく、他人の助けは限定的だ。とにかく一歩、踏み出せばそれがゴールに近づくことになる、とにかく一歩・・・
などと考える余裕は本当はなかった。
ただただ無になって歩いていた。

なんとか城山に到着。そこは木陰になっており売店やベンチが広がっており、非常に快適な休憩所だった。そう、休憩所。山頂という雰囲気はなくて、とにかく体を休める場所のようであった。
私はそこでかき氷を食べて体を冷やした。よくあるキーンとなるような感覚に陥ることはなく、体自体がかなり熱を持っていたのかもしれない。
空腹ではあるのだが、食欲はなくて、ただ氷を口に運んでいた。
その後、娘の残したなめこうどんの、なめこと汁で塩分を補給して、だいぶ回復した気がした。

かき氷、これでも小

さて、登ってきたからには降らなければならない。
折り返しのルートで高尾山頂まで戻る。帰りは降り中心だし、無駄な展望スペースは巻道で回避して戻った。ここはスイスイと進んで高尾山頂の下辺りまではすぐに戻って来れた。
山頂を回避して今度は6号路へ、沢を下るルートだ。ここは階段を降り、その後沢に入って降ったり、沢沿いに麓まで降りるコースだ。
階段は下りなのでそこまで大変ではなかったが、ここには沢山の人がぐったりと階段の脇で休憩していた。ここも「登らされている」感の強いルートだ。そのあとは沢だ。冷たい水に触れられて心地よいルートだ。これはいい、トレッキングらしいコースだなと楽しんでいた。

楽しんで、いたのだよ。少しの間だけ。
私の抱えていた爆弾がここでついに爆発する。そう左のソールが完全に分離したのだ。

参考写真:綺麗なソールだろ?剥がれているんだぜ。

程なくして右のソールも同様に剥がれた。

綺麗な・・・

でもね、トレッキングシューズはソールが剥がれても大丈夫、いちお靴の状態ではある(当然ながら水は染みる)
あとクッションがゼロなのも想像できますよね。
そんな状態で沢を歩くので、すぐに靴下に水が染みてきているのを感じた。そして石の上を降っていくのだから、足への負担も大きなものだった。沢に入ってからもそれなりの距離を降り、私の足は限界を迎えていたが、誰に頼るものでもなく、私は耐えて降るという選択肢しかないのだ。

3

ようやく下山、登山道を抜けてから舗装された道路を歩くのもかなり足に負担があった。ソールって大切なんだなと、その不在によって存在感を感じることになるのだ。
いつもそこにいるのが当たり前のソール、私を助けていてくれたソール、ありがとう、そしてさようならソール。

とにかく休憩したい、私は眼前にあった高橋屋で昼食と休憩を提案するのだ。蕎麦があまり好きではない娘も、私の鬼気迫る提案を承諾してくれた。
蕎麦屋に行くか、もう帰るかのどちらかだ。という気迫。

蕎麦屋では座敷に通されたので、私は靴を脱ぎ、ぐっしょりとした靴下も脱ぎ、濡れタオルで足を噴き上げた。幸いにも外傷はなかった。
食欲は引き続きなかったが、冷水と蕎麦茶はいくらでも飲めた。
そのためか、蕎麦はあまり味を覚えていない。

その後京王高尾山温泉、極楽湯によって汗を流して帰った。
これだけ疲労を感じた上で、温泉に入ったのだけれど、帰りの電車では眠くなることもなく。
温泉施設で冷房に当てられたせいか、もしかすると軽い熱中症だったのか、その後はずっと頭痛が続いていた。

そして後日、いうまでもなく筋肉痛が続いた。
しかも何日か続いたのだから、私の肉体の限界を超えて筋肉を使ったということなのだろう。
感覚的にはその週、私の筋肉は悲鳴を上げ続けていたように思う。

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