#71 大英帝国の歴史 上 by ニーアル・ファーガソン

イギリスが19世紀から20世紀前半まで栄華を極めた訳ですが、それがどのように達成されたのか、またイギリスによる帝国支配を真っ向から悪とする論調に対して、事実から紐解きながら歴史的影響を考察した本書。まだ50代にして鋭い視点と歴史に新たな観点をもたらしてくれるニーアル・ファーガソンの本はいつ読んでも刺激になる。以下、イギリスの歴史からの学びを箇条書きで記していく。

・イギリス帝国は、世界人口、陸地面積の1/4をも支配した、歴史上最大の帝国となった訳であるが、ヨーロッパ北西岸沖に浮かぶこの小さな島国がどのようにして帝国を支配することになったのかは興味深い問題。

・帝国主義への批判は、植民地側が受けた負の側面と、統治側が犯した誤りに関してである訳だが、歴史は完全に片方に偏っている訳ではない。

・イギリス通商の拡大は、外交上の不介入政策と共にあるべきで、またイギリス文明の拡大も、帝国の制度によって強制する必要はない。

・国境を越える資本の移動が促進されるにあたって、法の支配、金融体制、透明性のある財政制度といった制度は半ばイギリスから押し付けられたものである。

・イギリス帝国の歴史は言うなればアングローバル化の歴史でもある。

・イギリス帝国が経済的な現象から始まり、通商や消費によって促された。砂糖によってカリブ海へと引き寄せられ、香辛料、茶によってアジアに引き寄せられたのである。

・イギリス植民地化に伴う緊張関係と、緊張関係解消に関してどのように進んでいったか

・先住民文化をイギリス化する運動と福音主義が各国へのイギリス化を促した。

・イングランド王室の権限の弱さは同時に、政治的権力の分散と富の分散を促すことにつながったのであった。

・イギリスも金銀を求めて1500年代に航海をすることを始めた訳だが、スペインやポルトガルに敵うことはなく、結果として費用を賄うために北海での海賊行為が盛んに行われていたという歴史がある。

・イングランド人は、大西洋の風と潮流が時計回りであることにより、ポルトガルやスペインの船は時計回りに進むことができたが、大西洋北東部では一年のほとんどの期間において南西風が吹き、これを攻略しなければいけなかった。つまりこの気候の比較劣後性が要因となり、高い操縦性と航海技術の発達と造船技術の発展をもたらしたのである。また同時に、航海上の衛生技術の向上もここには見られる。

・織物の輸入の長所とは、その市場が青天井であること。英蘭戦争においては、輸出量が当初一定であったため、オランダは砂糖をイギリスが織物を担当するようになった。のちに織物の貿易量が生産可能量の増加に伴い増えていった際にイギリスへ富をもたらした原因の一つとなっていったのである。

・英蘭合併によって、イギリスは、政府の借り入れ管理と国の通貨発行のためにイングランド銀行を設立した。

・1780年代の大きな謎の一つは、どうしてイギリスではなく、フランスで政治革命が起きたのか、という問題。フランスの課税はイギリスより少なく、逆累進率もずっと低かった。イギリスでは、ワイン、絹、タバコ、ビール、蝋燭、などから税金が徴収され、それらが少数のエリートたちが保有している国債の経費へとあてがわれていたのである。特に、インドにおける税収の役割は非常に大きかった。

・ラテンアメリカの場合、ヨーロッパからの病原菌の持ち込みに加え、人口の3/4の喪失は、権力の空白をうめる必要性をもたらし、移住を加速させたのである。

・ニューイングランドでは、イギリスから移住した人々の間で人口の再生産が行われたため、文化、規則や制度の保存がしやすかった一方で、現地の人との関わりが多かったラテンアメリカでは文化を再度構成していく必要に駆られたのであった。

・イギリス帝国のやり方が機能した初期の例の一つとして、奴隷の反乱を抑えられなくなった場合には、自治権を与えるというもの。

・三角貿易においては、アメリカの植民地が食料を供給し、砂糖とタバコがイギリスへと流れ、ヨーロッパではこれらが再貿易され武器になりアメリカに渡り、アフリカからは奴隷が供給されるという構図ができていた。

・ボストン茶会事件は、イギリスからの茶への税金があまりにも高いことによって起こったのではなく、逆に税金は非常に安かった。これは、正規の安い茶が入ってくることで儲けを恐れたボストンの裕福な密輸業者が起こしたものである。

・既に存在していた代議制と中央集権化の流れが植民地内での自治を強める働きをし、結果としてアメリカ独立へのうねりへと昇華していったのである。

・奴隷貿易の廃止は、決して儲からなくなったからという経済的理由からではない。啓蒙主義における科学への尊敬と、カルヴァン主義における使命感からくる二大潮流の結果である。

・蒸気機関の導入は、イギリス帝国の結びつきを強めた。大西洋を横断するには4~6週間必要だったのが、蒸気の力によって、10日まで、1880年代には短縮されたのである。さらには、耐久性のある海底ケーブルの敷設が、情報の伝達と統率を可能にした。最後の一つの要素は、鉄道の発達であり、イギリス政府はこの活動に対して、莫大な補助金を送っていたのである。

・距離の殲滅は、遠く離れたところにおける殲滅戦を可能にし、帝国の覇権を強固にするものとなった。

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