#53 狂気とバブル byチャールズ・マッケイ

「いつの時代にも、その時代ならではの愚行が見られる。それは陰謀や策略、あるいは途方もない空想となり、利欲、刺激を求める気持ち、単に他人と同じことをしていたいという気持ちのいずれかが、それにさらに拍車をかける。」ジャーナリストであり、優れた著述家であり、本書狂気とバブルの著者の言葉。自分自身はバブルの起こりを研究したくとった本であるが、そこには集団と個人における対比を通して、行き過ぎた心理状態がどのように正当化されていき、伝染していくのかという人間の性人間の本質を深ぼって見ていく必要もあるのだろうと思わされたものだ。
ここでいくつか本書ストーリーからの抜粋を見ていく。

  1. 狂った投機熱ーミシシッピ計画

  • ミシシッピ計画の発起人、ジョン・ローは、エディンバラ出身であり、父の会計事務所に14歳で入りそこで死に物狂いで働き、金融システムへの理解を深めていた。また伊達男でもあり、イギリス中で恋多き人生を歩んでいたのである。あえなくして、ロンドンにいっては散財をし、借金を背負ってはギャンブルをし、という生活を過ごしていた。

  • ジョンのアイデアは、土地銀行の設立で、これは、銀行券を発行するが、発行高は国土全体の価値総額を限度とし、通常の利息をつけて一般に貸し出される、つまり一定期間の所有権をつけて、その土地を担保に地価総額をゆうしするというもの。

  • このアイデアはなかなか受け入れられることがなく、ローは、14年間ヨーロッパ各国を旅遊し賭博場へも足を運んでいた。

  • ルイ14世が亡くなったタイミングで、フランス国民のルイ14世への憎悪が爆発することとなった。生前は美辞麗句で賛美されていた国王も、徹底的に地に落ちることとなった。国家債務は、30億リーブル、年間の歳入が1.45億リーブル、歳出が1.42億リーブル。債務を賄い切ることができない。

  • この当時も、フランス国では、歳出減、もしくは金貨の含有量を減らすなどをしていた。また、租税法に対して妨害をした人への差押から債務を減らしていた。

  • ローがフランスに来たのはこの様なタイミングの時、紙幣を広く普及させ、王室と土地を担保に銀行の設立を目指し、実際に設立。額面500万リーブルの株式を12,000株発行し、4分の1を正貨で、残りを国債で払い込むことにした。銀貨は翌日には6分の1にも減価してしまうことが多発していたが、こちらはというと、価値を保っていた。一年程度で、国債は75%ほどに価値が凹む様になったが、こちらはというと、15%のプレミアムが付くようになった。

  • ここから、さまざまな人々がローの取り組みに驚嘆の眼差しを向け出し、裏付けのない証券の発行にまで手を出してしまう。確固たる財政基盤もないで紙幣を発行していたのだ。

  • ミシシッピ計画は、東インド、中国、南太平洋地域との独占貿易権を与えられ、500リーブル一株で年間配当を200ドル約束した。払い込みが国債で可能であったため、収益率はなんと120%までいった。

  • 人々が熱に酔いしれ始めた、家賃の10倍への高騰、異常なまでのミシシッピ会社株式への需要を背景に、このバブルも終焉を迎えようとしていた。

  • 実物資産の裏付けがないもの、経済成長を超えた貨幣の拡大、この金融システムでは、国家の価値を超えた発券を続けることは、システムの終わりを意味し、時間の試練に耐えることができない。一人が誤りだと気づくことがあっても、大勢の人がそれを正しいとする流れがあると、その一人が自分の正しさに居心地の悪さを覚え異常な意思決定をしてしまうことがある。

  • きっかけは、ローに対して不満を持った貴族で、硬貨との交換を目論んだが、結果として、断られたのであった。そこから、証券を大量に持ち込み、硬貨への換金を試していた。この流れが逆転すると、証券の価値が下がり、システムが崩壊する。どこかで聞いたことのあるような話。。

2.南海泡沫事件

  • 南海会社は、1711年、あの高名なオックスフォード伯爵ハーレーによって設立され、ホイッグ党内閣の解散で失墜した公的信用の回復、陸海軍の負債やその他の流動負債の弁済が目的。イギリス政府は、弁済するために6%で融資をすることを決定。利子を調達するために、南海会社は、関税を課すことにしたのであった。

  • 有利子債務返還用に、200万ポンドを融資する準備に入り、同額の大蔵省証券の解約に進めた。

  • 同じ時期に、フランスでのミシシッピ会社の繁栄をみて、同国でも同様のことができないかという話が頭を持ち上げてきて、イギリスでも同様のことができないかという話になった。

  • 南海会社は現存していた早慶3098万ポンドの債務を5%の利回りで引き受けることを約した、しかも丸4年で。

  • 南海会社のビジネスがうまくいっているという噂が流れ出す。スペインが全植民地で英国に自由貿易を行うらしい。南海会社が儲かっているという話題が出てきて、株価はさらに釣り上げられた。

  • そうこうするうちに泡沫会社があちこちで出てきたのであった。

  • こちらも、株式の行き過ぎた発行、つまり返還できない利益分に対してまで株券を発行してしまっており、その後の始末の一端を見せることとなったのであった。

  • 銀行はこのシステムを救済するために、株式の発行に関わっていたが、巻き込みを食らいうることをみて、直ちに辞めたのであった。

  • この頃のイギリスでは、一般大衆は病的な興奮状態に陥っており、慎重な取引でゆっくりと確実に儲けることに満足することができなくなっていたのであった。

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