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ホッブスの社会契約論

中世ヨーロッパでは、

「国王は神から権力を与えられてるンゴww ゆえに国王が絶対的な権力者ンゴwww」

というキモい考え方があった。
これを王権神授説という。

当時は王権神授説のもとで国家が形成されていると考えられていた。

こんな状況の中、賢いおじさん達が、

「国家は王権神授説による公的権力、すなわち絶対的な権力を持つ国王によって支配されている。では、公的権力がない状態(自然状態)では国家はどのようになるだろうか?」

と考えた。

そこでまずトマス・ホッブスという頭の上の方が禿げてるおじさんは、

「自然状態では人々は権力に縛られていない状態、すなわち自由やねん。ほんなら人々は互いに自由や権力を奪おうとする、万人の万人に対する戦いが起こってまうやんな」

と主張した。

自然状態では人間同士が争ってしまうため、個人の自由が保てないと考えたわけだ。

そしてホッブスは、個人の自由や社会の秩序を保つためにはお互いに争わないように契約を結ぶのがいいんじゃね?と考えた。


これが社会契約論(社会契約説)の始まりである。

しかしホッブスはやらかす。

もし契約を破る人が出たら、その人は処罰されなければならない。そういう人を処罰するには絶対的な公的権力が必要になる。

このような公的権力をホッブスは旧約聖書のヨブ記に登場する海の怪物リヴァイアサンに例えた。

要するに人々はリヴァイアサンに絶対服従し、もしそれに背いた場合はリヴァイアサンによって処罰されなければならいないわけだ。

はい、ホッブスくん残念。

たしかに王権神授説に頼らずに国家のしくみについて説明することはできたが、

リヴァイアサンって要するに国王のことじゃん?

つまりホッブスくんは絶対王政を肯定しちゃったってことだね。

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