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「探究心」から生まれる「想像力」そして「創造」へ

さて、自然体験で育まれた「好奇心」、そこから生まれる「探究心」、それを伸ばす図鑑、本。この流れの先には、いよいよ「想像力」という概念が登場する。

自然体験と想像力について述べる前に、「守破離(しゅはり)」について触れておこう。
「守破離」とは、さまざまな修行において、弟子が師匠からの教えを受け、師匠を超越するまでの過程を表現した言葉だ。「守」とは師匠の教えを忠実に守り、模倣して自分のモノにする段階。「破」とは他の師匠や考え方を取り入れ、これまでの殻を破って、学びの外側に出ていく段階。そして「離」は師匠の教えから離れて、自ら新しいモノを生み出す創造の段階だ。

「守破離」の考え方を自然体験で育まれる「好奇心」「探究心」「想像力」に当てはめてみよう。「好奇心⇨探究心」この過程が「守」だ。先人たちの知恵を図鑑を通して自ら調べる楽しみを知る段階ってことだね。「破」は親が与えてくれた図鑑ではなく、自ら資料を探し求める段階だ。中学生、高校生の頃に「破」の段階がやってくることが多いのではないだろうか。そして、この段階では「想像力」が培われていることが多いと思う。どういうことかというと、図鑑や本などで先人たちの知識を知る時に、「@@ではないのか?」と想像をしていることがほとんどだということだ。「想像が正しいかどうかを調べる」という行為が自然と身についているというわけだね。

そして最後の段階「離」。
この話をする前に、ちょっと横道に逸れて「想像」と「創造」の違いについてお父さんなりの解釈を紹介しておこう。
▽「想像」とは「個人」にとって未知のものを思い描くこと。
▽「創造」とは「社会」にとって未知のものを思い描くこと。
どちらも「無」から「有」を生む概念だけれど、誰にとってのものなのか?という違いが「想像」と「創造」の違いだと考えている。

話を元に戻そう。「想像する⇨調べる」を何回も何回も繰り返すと、最後には(先人たちの知恵を)調べてもわからない領域に到達するよね。そこまで来たら、次の「想像」は必然的に「創造」になる。年齢的には大学、大学院以上に相当するだろうし、「創造」まで達することができる人は、かなりの少数だと思うけれども、働いている組織、社会において、常に必要とされる存在であることは間違いないだろう。

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