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Day Four / 拉薩・ポタラ宮 #008

世界の屋根といわれるチベット高原、その海抜3600メートルにある拉薩の大地に壮大なスケールで建っているポタラ宮にようやく辿り着きました。

昨日の夕方 拉薩につき、すぐにホテルで眠りましたが、朝になってもまだ高地に慣れず 10歩 歩けば息切れするような状態。

こんな状態で13階、117メートルのポタラ宮に上がる気力はなかったのですが、54時間かけてここに来たこと、多分もう二度とこの地に足を踏み入れることはないだろうという思いから、ない気力を振り絞って上りました。

ようやくその姿を拝めたポタラ宮

ポタラ宮とポタラ広場の間を東西に走る通りの名前が「北京東路」「北京中路」ということに北京政府の押し付けを感じます。
もともとはそんな名前ではなかったんだろうと思います。

ポタラ宮周辺地図

1994年 ユネスコ世界遺産に登録されました。

世界遺産登録碑

入場券の半券はポストカードになっています。
表面はポタラ宮の写真、裏は宛名スペースです。

絵葉書表面
絵葉書裏面

ポタラ宮の開門の列に並ぶ。ふと横をみると 読経のマニ車を持った可愛らしいチベット人のお婆さんが腰掛けている。
素敵な表情だなと思い、写真を撮った途端、この婆さんが ものすごい剣幕で私のところにきて「いま写真撮っただろ 金よこせ!」と迫られました。チベットも中国だなと再認識しました。

おっとりして見えるが実はごうつくばばあ

坂道と階段を約300段、標高3,765mまでヒーヒー云いながら なんとか登り切りました。

ポタラ宮への階段

ここからいよいよポタラ宮に入ります。

ポタラ宮入口

ポタラ宮に上がり振り返ると目の前に広がるポタラ宮広場

ポタラ宮からみた前の広場と後ろに広がる山々

ポタラ宮を背中に、ポタラ宮広場側を見回すと周囲は6000メートル級の山々が広がります。
写真の女性の頭上にポタラ宮広場のモニュメントがあり、その後ろに連なる山々の左側 遠くに雲が切れたところに雪を被った三角の山があります。これがラサで最高度6300メートルの山なのですが、低すぎて名前が付けられていないそうです。7000メートル以上が1人前の山で名前が付けられるそうです。

名前のない山々

下の写真は入口にある四天王の壁画です。
残念ながら、ここを最後に ポタラ宮内部は写真撮影禁止です。

増長天

入り口入って右側にあった、青い肌で剣を持つのが増長天、白い肌で琵琶を奏でているのは持国天

持国天

赤い肌で仏塔を持つのが広目天、本当はこの右にもう一人いるのですが何故か撮していませんでした。ふらふらだったのでボケていたのでしょう。

広目天


下の写真は、標高3,765m、ヒーヒー云いながら昇ったところにあるデヤンシャル広場です。
白い建物が白宮、ダライラマの生活の場でありまた政治を行う場所です。とはいってもご存じのように現ダライラマである14世は亡命していてここにはおられません。

ポタラとは観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポタラカ」に由来するとのことです。
内部には歴代のダライラマの王座、寝室、肖像画や、壁画、塑像、仏像などが所狭しと陳列されています。
メインは15メートルもある5世ダライラマの霊塔でしょう、この霊塔こそが紅宮(一番上の写真の赤い部分)建立の目的とのことです。ちなみにミイラも安置されています。

ダライラマは観音菩薩の化身、生まれ変わりだといわれています。
歴代のダライラマが亡くなると、チベット中からその生まれ変わりの新しいダライラマ探しが始まります。
様々な占いにより、生まれた方角、日時などを割り出し、使者がそこにいって確認作業を行います。真偽を判定するために、赤ん坊の目の前にいくつかの品を並べ、その中にダライラマの愛用品混ぜ、赤ん坊がそれに愛着を示すことが判定の基準になるそうです。

ところで歴代ダライラマの肖像画はあるのですが、現ダライラマである14世のものはありません。その理由は翌日 チベット人ガイドから聞くことになります。


デヤンシャル広場

ポタラ宮の下にあるマニ車と巡礼者たち。巡礼者はポタラ宮を中心に周囲を時計回りに巡礼します。
これを回すことでお経を一回唱えたことになりますが、回す方向が決まっていますので注意してください。
師匠が反対に回そうとしたら、ガイドさんが慌てて制止していましたw

壁にあるのはマニ車


午前中ですが太陽の光が強い、でも乾燥しているので汗かかないんですよね。

実は立っているのさえ辛い

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