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なぜ友達なのかわからない(4)

学生時代、Sも含めて同じグループの友人達と旅行に行ったこともありました。

なんだかんだとSと二人で旅行に行ったこともありますし、

あの頃はまだ二十代でしたので、楽しければよかったのかもしれません。

学生気分のまま付き合っていたと思います。


最初に一緒に行った旅行の話です。

ヨーロッパの自由行動のパッケージツアーに申し込みました。

あの旅行は、空港に迎えに来た母が、

一瞬で仲間割れしたのがわかった

と言ってきた旅行でした。


笑顔が消えた旅行でした。


仲が良かった友人ともその旅行の話をすると、

あぁ、あれね、、、

と話が一瞬で終ります。


それでも、その後の学生生活が続くので、

夏休み後は、あの旅行はむちゃだったわね~

と笑い飛ばしながらも、

もう二度とこのメンバーで行くことはないという

暗黙の了解もありました。

それは卒業旅行を決める時にわかることとなります。


この旅行は大学3回生の夏に行きました。

当時は円高で、そして地球の歩き方という本が海外旅行好きの愛読書となっっていまして、

その地球の歩き方の出版社が売り出している自由旅行だけれども

格安のパッケージツアーを申し込みました。

前年の夏休みに私が短期留学をしていたこともあり、

旅行の日程なども私が調べていました。

それでも、各々に行きたいところがあるので、

もちろん自分達でも調べていると思っていました。


ところが、旅行が始まって初日、

チケットとパスポート、当時は貴重だったトラベラーズチェックを

私が全員分保管しといてとSが言ってきました。

一瞬、固まりました。

もう三十年近く前のことになるのに、

今でも言われた時のあの瞬間、鮮明に覚えています。


「kissaちゃんが私らの分持っていてよ。

もちろんなくしたら全部弁償してもらうから。」


その雰囲気に、他のメンバーは若干引いて、

いやいや、さすがに各自で持っておこうよとフォローが入り、

事なきを得たのですが。


今思い出すと、もうすでに変な人だったんでしょうね。

昨年、彼女と縁を切った後に、母と電話で話したのですが、

「もう、あんたの大学って、そこまでのレベルだったの?」

と呆れられました。

そんなに恥ずかしい大学でもなかったのですが、

こんな人がいるようじゃ、幼稚な大学と思われても仕方がないですね。

お恥ずかしい。


そのヨーロッパ旅行では、名所をピックアップして、

オプショナルツアーも手配してと、

頑張っていたのですが、

どうやら私にストレス性の胃痛が起こり、

旅の途中で何度か嘔吐してしまうことに。

(もちろんトイレに事前に駆け込んでいました。)

メンバーは4人でしたが、二人ずつ部屋を分けまして、

私は美人な友人と、Sは、後にSがいじめてグループから排除しようとすることとなる子をWとしますが、

Wと一緒の部屋になりました。

元々Wも毒舌なところがありましたが、天然なところもあり、

霊感もありと、不思議で面白い彼女でした。

デリカシーのない発言を時々しますが、

人をいじめるようなことはありませんでした。


名所やお店をある程度候補に出していても、

Sが、

「私、あそこ行きたいんだよね。

妹からあれ買ってきてって言われたから、そこも行きたいんよ。」

「え、ここまずそうだから、こっちに行きたい。」

「なんか思っていたよりしょうもなくない?」

等々言うものですから、

だんだんとメンバーの空気も悪くなってきました。

旅行前になんにも調べていないからよろしくね~と上から目線だったのに、

どうも家族からお土産や、そこの国に行くならこれ買ってきてとか、

彼女自身も雑誌で見たお店が気になったとかで、

観光ルート決定後に突然言われることに。

しかも、行ったのに買わず!!


そして美人の友人は、旅の途中、急に私と口を聞かなくなってしまったのです。

頭痛がするからとほっといてと。


Sの言いなりになっていた私に、嫌気がさしていたのかなと今は思います。

Sは美人の友人には強く言わないのです。言えないのです。

Wとちゃかしながら、私に無理難題を、海外の地で要求してくるのです。

そんな様子を見ていて、美人の子もどうしたらよいのか、

旅もつまんなくなっていったのでしょう。

そこで、思い切って二手に分かれて観光することにしました。

するとSもWと話し合って、そう提案しようとしていたと言うのです。

そして、どこどこに行った、最初からこうすればよかった、

等々自分達の観光のほうが良かったと張り合って来ました。


後に、Wが大人な街に飲みに行こうと提案した時に、

美人の子はのってきませんでした。

その辺りはぼったくりバー等がある柄の悪いところと知ったのは、

行った後でしたが、(私は父にこっぴどく叱られました。)

今でもよくない事件が発生するエリアで、

そもそも美人の子は、SやWがどんなにお上品ぶっても

合わなかったんだと思いました。


旅行の話に戻りまして、もはや誰も頼れない中、私は体調不良になってしまい毎時間、トイレで吐くことに。


でもあの時、ナヴォナ広場で見た月は忘れません。

今でも美しい満月を見ると、あの旅行の良かった側面を思い出します。


ロンドン・ローマ・パリ8日間という強行旅行でして、

初日のロンドンは、ほぼ寝ていません。一瞬でした。

ローマでは、せっかくの初イタリアなのに、

吐き気でパスタもピザも食べれず、

日本では美味しいアイスコーヒーも、

あの当時のローマのカフェでのアイスコーヒーは、

氷がまだ効いていない生ぬるいアイスコーヒーでした。

水を頼めば全てガス入り、ノンガスと言えたのは、

ローマを出る頃でした。

今ではコープのただの炭酸水が大好きですが。


そしてローマで、Sが言います。

オプショナルツアーを申し込んでいたのですが、

車椅子のおじさんがいました。

ツアー参加者の二人組みの男子大学生が、階段があるところで、

「僕らが運びますよ。」

と、車椅子ごと運んだのです。

建物の前の入り口の数段の階段でしたので、

いとも簡単に持ち上げて、そのおじさんやご家族、

添乗員さんも、二人に感謝の言葉を伝えて、

和やかな雰囲気で、そのオプショナルツアーは進んでいきました。

が、

そこへ、彼らには聞こえるようには言ってないと思うのですが、

同じオプショナルツアーの参加者がいるその中で、


「あれって、偽善者だよね?」


と大きい声で言うんです。

は?と思いました。

え?どっからそんな思考が?

その時は、苦笑いで流しましたが、

彼らの行動のどこが偽善者?

現に、彼らは助けたよね?

見て見ぬふりをしたわけではないし、

なにか後から報酬を得ようとしていた?



このことは、帰国後、母にも言いました。

これ以外の愚痴もいっぱい母に聞いてもらいました。

「車椅子の人が館内に入るのを助けた男の子達をね、

”偽善者”

って言ったのよ。」

すると母は、

「Sちゃん、言葉の意味わかってるのかしら?

仮に偽善者だったとしても、実際に動いて助けたんでしょ?

行動に移す勇気があるなら、偽善と言われようが、男の子達は正しいことをしたのよ。

何もしないよりも、助ける偽善のほうがよっぽど偉い。」

と、さすがの年の功の意見を聞けて、

モヤモヤが晴れました。


このことについて、夏休み明けの食堂で、

Sが、彼女と高校が同じ友人に旅行話をしていて、

私もいましたが、

Sが嬉しそうい言いました。

「なんかさ~、車椅子の人を運んだ男子がいてさ~、

めっちゃ偽善者じゃん?って思ったんよ~!」

と笑いながら言い、

「ね、kissaちゃん!めっちゃ偽善者だったよね!」

と私に振ってくるので、私は母の言葉をそのまんま借りて、

「でも行動に移して助けたんだから、なにもしないで見ているより、

とっさに動いて助けた偽善者のほうが偉いと思う。」

と、母に感謝しながら、母の言葉をパクって、

今で言う論破っぽいことをしました。

人のふんでしですが。


すると、旅行話を聞いていたもう一人の友人が、

「うん。kissaちゃんの言うとおりだよ。」

と言ってくれたお陰で、

後味が良い会話で終りました。

が、

Sにとっては後味は悪かったでしょう。

もしかすると、この時の恨み、

いまだにもたれているのかもしれません。


彼女は面白くなさそうな表情だったのは覚えています。

「でもさー!絶対いいかっこしいだって!!」

とか、言い訳していたような。


彼らの行動の何が偽善者だったのか、

いまだに理解できません。


実は旅行後の愚痴をSから聞いたであろう、その友人が、

後日、私に何があったか聞いてきました。


パスポートやお金、航空券に、トラベラーズチェック一式を私に預けようとした話をしました。

よっぽど何か私の文句を言っていたようで、

「え?!そんなことされたの?それはあり得ないわ!!

そりゃ旅行面白くないよね。」

と言われたので、かなり私を悪者にして、そして

旅がつまんなかった

と、話していたんでしょう。


ママ友の悩みも、こうやって第三者に打ち明けるべきだったのかもしれません。


ただ、このS、学生時代から結婚までは、若かったのか、

それなりに楽しく過ごせたこともあったのと、

やはり最後の学生時代にできた友人、仲間でもあるので、

嫌な部分もよしとしていたのかもしれません。


でもこうやってnoteに書き留めようとしているのは、

三十年近く馬鹿にされ苦しみながらSに合わせていた、

その膿が確実に溜まっていたのでしょう。

膿がもうあふれ出てどうしようもなくなってしまっているようです。






子供の幼稚園時代の3年間(卒園後も継続中)、心的外傷だけでなく、家計のために始めたパート代、高校受験でいうと6校分の入学金くらいになる金額を、あるママ友に搾取されました。ママ友、同僚からのいじめ、ねずみ講ビジネス勧誘に悩まされている方のお役に立てられれば幸いです。