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お姉ちゃんになって

初めて決意した話。

今でも頭の中の思考がごちゃごちゃしている。子供のころはなおさら。何が正しいかもわからないし、母の存在や言うことが絶対的で正しいと思っていた。純粋に思うままに生きてるだけなのに「どしてこんなに怒られなくちゃいけないんだろう」と謎に思う日々が続いた。

母が笑うよりもがみがみ小言を言うことが増え、嫌な気持ちになっていた。そう強く思うようになったのは妹が生まれてから。年齢とともに気づくようになったのかもしれないけれど。

私には3歳年下の妹がいる。妹の存在が私の性格を変えたといっても過言ではないと思う。自分で自覚するほど変わった。長男長女の人はこういう経験があるのかな。

3歳の私には妹という概念がよくわからない。親も含め周りの出会う大人に「もう少しでお姉ちゃんになるんだね」と言ってくる。その時は「ん?お姉ちゃん?」と思いつつも「うん!!」と元気よく返事をしていた。

いつまでも父と私と母の3人で手をつないでぬくぬく過ごすつもりでいた。

ついにこの時がきた。我が家に妹がやってくる。私の中ではもはや他人という認識。知らない人が家に来るときは勝手に入ってこない、インターホンを鳴らすんだと学習していた。だから父に「ピンポンしてくるんでしょ」って尋ねたことや家に妹がやってきた日のことは覚えてる。妹がかわいいって思うより先にねじ込んできたっていう感覚だった。

それまでは親も私だけを見てくれて自由にやりたい放題やっていた。自分の気持ちを抑えることなど知らなかった。

妹が生まれてから当然私に割く時間よりも生まれて間もない妹のほうにつきっきりになる。「みてみてー!」といってどうにか母を振り向かせたくても母の手の中にはいつも小さな妹がいてあまり相手にしてくれない。さびしかった。私だけを見ていてくれた両親はどこへ行っちゃったの。かまってもらえない。幼いながら心には妹への敵対心、嫉妬心が芽生えた。

そして「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言葉によって気持ちは抑え込まれていった。きっと長女なら誰しも言われたことがあるだろう。

母も二人の子育てに忙しい。母が機嫌を損ねるたびに小言を言われたり、怒られた。そんな小言を言う姿や怒る母を見るのが嫌いだった。

じゃあ母の言われた通りに従えばきっと母も不満を持つことはないだろう。と考えた。いい子になろうと決心した。

いい子とは相手に迷惑をかけない怒らせない、相手が望むようになることだとその時は思っていた。

それからは気持ちを抑え込む我慢の連続。かなりつらかった。

例えば、当時スーパーに行くのはつまらなかったけど行くと必ず1個お菓子を買ってもらうのが習慣で楽しみだった。「これ買って~」といつものようにせがんだが、「スーパー行くたびになんでお菓子を買わなくちゃいけないの」と母が言う。「お菓子を買うのも母にとっては嫌なんだ」といい子になろうと決意したものだから反論したり泣くわけでもなく、次回スーパー行くときは買ってもらうのやめようと思ったりしたものだ。

今でも「いい子になろう」と思った自分にとらわれている。人に嫌われたくない、みんなにいい人だと思ってもらいたい。などと思ってる自分がいる。一人に好かれるのも難しいのにみんなに好かれるなんて。

過去に戻れるなら、「いい子になろう」と決意したあの日に戻りたい。私の考えたいい子って本当は全くいい子じゃない。間違ってるよって自分に教えてあげたい。それに気づいたのはわりと最近。高校を卒業してぐらい。

ありがとうございました。







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