甘かった。でもじいちゃんばあちゃんに会いたいから伝えたい。

深夜1時半。4階の自室の窓から、外の道路を歩くカップルの声を聞いた。
僕はこの記事を書きたくなった。

僕の大切な人たちと特に若い人たちにこの記事を届けたい。
現在、ウイルスが流行している場所としてメディアが取り上げる4地域に、最近訪れた僕だから。

先に言おう。
僕のメッセージが大切な人に届かなかった場合、僕はあなたの友人をやめたいと思うだろう。

海外に行っているときの僕。

1月。この頃、武漢からの観光客を乗せたバス運転手のコロナウイルス感染がニュースのトップに来ていた。

僕はイベントの準備と学年末の試験に向けての準備をしながらも、意気揚々としていた。
なぜなら、昨年夏から計画していた海外へのひとり旅の出発が近づいていたからだ。

出発を目前に控えた時期、マスクが多くの店舗から消えた。
徳島の実家から京都やったら余計ないやろと大量のマスクが届き、
パンデミックにならんとええなと思いながらも、
初のひとりでの海外渡航の心配のほうが勝っていた。

2月13日。ベルリンへ出発。
台湾、シンガポールを経由し、到着。
どの空港でもマスクをしているのは僕くらいだった。

久しぶりの友人との再会や初のヨーロッパを存分に楽しんだ。

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もちろん、街も人々も同じだ。いつも通りの風景。
今、ロックダウンされているこの場所。
当時は思ってもみなかった。

なぜなら、滞在中、僕の周りで”コロナ”の話題がでなかったからだ。
僕も忘れていたかもしれない。

そして、イスタンブールへ。

ここで初めてコロナというワードを聞くことになる。

トルコ人は親日家が多く、日本を心配してくれるからだった。
日本ではコロナウイルスによる死亡例がでたことが話してくれる理由だった。

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イスタンブールでは人が密集している場所がより増えたが、
マスクをしている人なんて見当たらない。

この時、僕は最終のフライトの予定がアメリカから北京経由であったが、
大丈夫だと思い、そのまま行くと周囲に言っていたのだ。
入国しないから大丈夫だと。

次はバルセロナへ。

この時初めて、空港でマスクとゴム手袋をしている人を見かけた。

この時期から、日本人の僕は避けられているのを感じるようになる。
アジア人の顔は、警戒され始める。3月に入る前頃である。

依然として、空港ではマスクをしているほうが珍しいし、
韓国人・日本人がよくしているおしゃれとしてのマスク。
ここではファッションマスクとでも言おう。
そんな人たちしか見かけない。

観光地には当然人混みも行列もある。
バルセロナなので、かなりの人数だ。

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僕はこの時、友人に
コロナで騒いでるの、日本だけやで。空港でも電車でもマスクしてる人おらんもん。
とチャットをしたのだ。

今思えば軽率な発言だった。

バルセロナでは、宿泊している場所のホストにハンドソープがほしいと伝えたところ、除菌等の効果があるものではなく、ローズの匂いをつけるためのものが置かれた。

この時に先ほど書いた、航空券の変更を決めた。
しかし、中国からの入国後、2週間の自宅待機が要請されるからという理由だったので、重く受け取っていなかった。

こちらから電話ができなくて、両親に協力してもらい、
迷惑をかけ(6時間も電話をかけ続けてくれたらしい)、変更が完了した。

その後、ロサンゼルスに行く頃に、マスクをしている人が増えてきた印象だった。

しかしアメリカでも、街中でマスクをしている人が少なかった。

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バルセロナにいる親友や最後の数日ホストしてもらう先生と健康や状況の連絡をしながら、海外の生活を楽しんでいた。

手洗いうがいと、密集地でのマスクの対策をした自分は余裕だと思っていた。

なぜなら、流行っているのは中国とパリだと考えていたからだ。

そして、帰国したのだ。

帰国後の僕。

日本では、見た感じ95%の人がマスクをしていた。
これまでの景色と違って戸惑った。

さらに、この数日後には僕が訪れた国に次々とウイルスが蔓延し、規制や法的措置が取られるようになっていたのだ。

しかし、僕が1番事の深刻さを感じたのは、帰国直前だった。

海外に行くことを母方の祖父母には伝えていたのだが、
父方の祖父母には、心配症ということや止められる可能性があったので伝えていなかった。

しかし、帰国直前にそれが伝わっていたらしく、祖父母から感染の可能性があるから帰省している間会いに来なくていいとの連絡がきたと両親から伝えられた。
祖母は元看護婦でもあるので、事の深刻さを理解していたのだろう。

悲しかったが、それは正しい判断である。

母方の祖父母も家でマスクをしていて、安全であるとわかっていても警戒していた。

徳島に帰省後、何人かに会った。

この頃は、今のように日本では自粛ムード一色でもなく、
自分も対策をしたし、毎日の健康状態のチェックもしていたから人に会いに行っていた。
会う人には僕が海外にいっていたことはもちろん伝えてある。

今現在まで健康体であるが、
もし無症状で感染していたらと考えると
僕の行動はバイオテロであり、無差別殺人行為である。

今では軽率な行動として大変叱られるだろう。

僕も世界も遅かった。

僕が訪れた国は現在(4月5日時点)

ドイツ 感染者数:91,714 死亡者数:1,342

トルコ 感染者数:23,934  死亡者数:501

スペイン 感染者数:124,736  死亡者数:11,744

アメリカ 感染者数:273,808  死亡者数:7,020

僕が文化や生活を楽しんだ街は1か月経たない内にここまでの被害規模になった。

甘かった。遅かった。

僕らは目に見えない敵と戦争し、
僕らはその敵に加担し、
気づかないうちに敵の侵略に手助けをしたのだ。

今の感染状況は約2週間前の対策の結果である。
安心してはならない。

僕は結果として感染してないかもしれないし、
感染を広めていないかもしれないが、
その行動は殺人行為であったのだ。

僕の地元・牟岐町は住民票による人口は4000人です。
最悪の場合、その人数が2週間後に死亡するかもしれない。
そんなレベルの行動だ。

こんな僕の言葉でも聞いてほしい。

徳島は他の都道府県に比べると田舎の部類に入る。
よそ者が来ることのほうが少ない地域もある。

そんな場所のじいちゃんばあちゃんでも
恐怖を感じている。

帰省中、徳島市内に足を運んだが、
遊びに出かけている若者が多かった印象がある。

田舎だから大丈夫なんてことはない。

それは観光客にも言えることである。
今、田舎は安全だし、人もいないから行ってもいいなんてことはない。

京都に戻ってきて、居酒屋で飲む集団、ショッピングを楽しむ若者が多くいた。

それって今必要か?

人を殺してまでそれ、したいか?

僕は1か月海外に滞在していた。その時にすれ違った多くの人が感染している可能性があるし、死亡しているかもしれない。

この現実がものすごく怖い。

そして、大丈夫だと思っている今の日本の人たちの考えも怖い。

自粛だから強制じゃないという考えはいけない。

僕は元々遊びたいという欲もなければ、しょっちゅう買い物にもいかない。
京都には友人が数人しかいないし、恋人がいるわけでもない。

だから、今の生活にストレスも感じないし、はっきり言って平気だ。
今の間にできることが多くて、なんなら充実している。(なかなか寝れないが。)

趣味の写真で、きれいな鴨川の桜並木を撮ることができない。
僕はそれをなんとも思わない。
来年があるから。

だから今、不要不急に外に出たい気持ちが僕にはわからない。

でも、一緒に戦わなければいけないのだ。

友達とご飯は不要不急だ。
恋人とお出かけは不要不急だ。

これは、1人1人の問題なのだ。

大切な人々を守りたいなら、我慢してくれ。
結果的にこの記事を書くきっかけになった見ず知らずのカップルにも届いてほしい。

多くの人が声を上げている。

僕の声なんて、米粒より小さいものだ。

でも、僕の周りの大切な人にだけでも届けたい。

頼む、僕のような行動をしないでくれ。
人を殺したかもしれない恐怖を感じないでくれ。

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みんなで戦って、勝った後。

やりたいことやろう。

会いたい人に会おう。

僕は、今回の帰省で会えなかったじいちゃんばあちゃんに会うために
自粛の行動をする。

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みんなで笑える社会が一刻も早く来ますように。

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