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映画『流浪の月』感想

公開初日(5日前)に観に行って沈みながら
しばらく浮き上がりたくないな〜と思っていた
それでも、少しずつですが言葉が溜まってきたのでnoteにまとめておきます

(読み手がいる前提で書いているわけではないけど、いつものようにきっと前置きが長いので感想だけ読みたいって人がいれば目次の下まで飛ばしてください!)

はじめに


感想が書きたいって思いよりも(それもあるけど)
自分との対話のためにどうにか言語化したいと思っている
だけど本当に最近頭が働かなくて
全て5月のせいにしたい

頭が働かない分
写真を撮ることが多くなって
言語化できないあれこれに対して
写真を撮ることで可視化しようとする行為
自己理解を深めようとする動作
前はそれが逃げているみたいで嫌だったのだけど
今はそれもいいなと思える

その一例

初日はそうやって写真を撮って少し沈んで
翌々日の深夜から文庫を再読し始めて
朝日が昇ってて
沈むように眠って
ようやくこうして言語化を始める

映画のレビューではないので
あらすじもその他諸々のことも書かないし
ただ断片的な感想を連ねていきたい

いつもだったら
感想を共有したいって思っていて
同じものを観た人の“あなたの瞳には何が映りましたか!?”って聞いて周りたくなるし
時々エゴ満載なおすすめをするけど
なんだろう
これは違う

全員に観てほしいのかと言われると
嫌なことがフラッシュバックする人もいるだろうから気をつけてほしいし
どちらかといえば原作を読んで欲しい

それでも、映画というのは
良くも悪くも監督や脚本家そして何より役者の解釈が入る
原作を読んでいる私にとっては
映画を観ることで既に誰かの解釈を得られるわけだ
小説の実写化はまるで別物という時も多いが
今作は比較的原作に寄せてあった

なので、同じ映画を観た人の感想を知るよりもまず
自分自身と映画と静かに向き合いたくなる作品だなと感じている

感想

以下は
私が私に向き合いながらなんとなく書いている感想です
🌝原作小説・映画共に盛大にネタバレも含みますのでご注意ください🌝

🌒映画について

どこから書き始めるか考えて
映画を観に行ったのだから映画の大まかな感想を書こうと思う

映画マニアとかではないのであまり詳しいことは分からないし
映画館で観る映画は年間大体2、30本
それも半分以上は洋画やシリーズ物だったりする

ただ今回の李監督作品はいくつか観ていて
撮影監督の作品も映画館で観ていたので
役者の配役も含めて映画としても興味は発表時からあった

もしなんらかの解釈違いがあったとしても
映像美を観に行ったと思えば良いと考えて
好きとかそういう次元ではない小説の実写を観に行った

映画を観始めて
溜息の出るような映像美に来てよかった......と息を呑んだ
動物園のシーンが変更になることで
全体を通じて“水”のイメージを強く持つ
風、水、空、雲、月.......と流れるような雰囲気と透明感のある青さを纏っていたし
それは文の部屋にも現れていて
一貫性があるなと思った

映画のことで1番良かった点は
自分の経験や知識だけでは描けない
あの物語の世界を様々な人の力を借りて
まるで自分が見ているような体験が出来たことにある

アップの描写や鏡に映る姿など
まるで自分が活字の上にこの世界を投影したのではないかと思わされる
映画の没入感もあったのかもしれないが
あくまで
あなたはこの物語を自分の目で見てどう感じる?
と問われているような
私は第三者なんだなと思わされるような
そんな気もした
もちろんこれは、私が登場人物たちに共感できないことが大であるからだろうけど

話としては原作を知らない人ここ分かるの?とか
そのシーンないと解釈変わりそう.....
などと思っていたが
原作を読みたくなる映画としては良いのではないか
そもそも150分の間にあの話を入れるのは無理がある
そのうち大切なところを丁寧に掬って書いていることは十分に分かる
これだけタイアップなどを行っているし
文庫は書店で大々的に並ぶ
とても良いことだと思えてきた

映画はなんと言っても演技が良かった
最初にキャスティングが発表された時
松坂桃李さん?本当に?となっていたのが正直な話
今まで少しがっちりとしたイメージがあって
文のような印象を持ったことがなかった

しかし、実際にスクリーンで見ると
映画『流浪の月』の文は彼氏からいないと思わされる
驚くほど痩せて
文の特徴でもある瞳の再現も深い
この役ほど難しいものはないのではないかと
思ってしまうほど例が少なく異質な役所
少し間違えば映画をつまらなくするだろう
そこを見事に体当たりで演じられる姿に感動した

1番驚かされたのは更紗の子供時代を演じた女優 白鳥玉季さん
これだけ実力のある役者が揃いその中でも需要な場面を更紗として生きている姿にただただ驚くしかない
内側に秘めた思いも目線も足の動かし方ひとつとっても完璧に更紗
そして何より広瀬すずさんに似ていた
全く違和感のない子供時代だった

広瀬すずさんの更紗も本当に見ていて辛いシーンが多いのだが
大人な女優さんだなと思いながら見た
そうしていないと生きては来れなかった
死ねと言われれば死のうと思うほどの罪悪感を抱えて生きてきた
あの更紗は広瀬さんだけのものだな

原作を読んでいれば、分かってはいたことだけど
亮くんは亮くんすぎて
いや、原作よりも中2の従兄弟が少ない分なのか亮くんとの性行為が長くて
文の役は例が少なく大変だろうと思ったが
亮くんの役は、これまでにこういう役があったとしてもその動作の多さや役割の重要性を踏まえると横浜流星さんに絶句する
どこかでプツリと切れる音を
息が詰まるような過去を
描かれない中に醸し出す天才だった

他の方についても役者ってすごいなと思うしかない語彙力なのだが
カットされるシーンの中でも
きっと原作を読んでその感情を載せているのかなと思う動きや視線があって
どうか映画を観た人が
原作小説を手に取り
あの世界を再び見つめ直す日が来ますようにと
ただただ願った

🌓印象的なシーンについて

観ていると思い出されるものが多くて
その中でも原作と異なる部分はより強調されて見えてくる
ここは本当に断片的にメモをしておこうと思う

【アイス】

バニラアイスイメージ


グラスの器に入って出てきた時
違和感がなかった
原作ではバニラとチョコから選ばせて
バニラのカップアイスにスプーンを添えて渡すはずが
映画はちゃんと器に入れていた

その後に大きなカップを抱えて直食べしているシーンもあるから
そことの対比(文の心の変化)みたいなものの表現かもしれないけど
それが効いていた

「育児書」の母なら容器に移していてもおかしくはない

私の両親はどちらかというと自由に育ててくれたけど、買ってきた惣菜をそのままで食べることは絶対になかった
寿司だろうとカツだろうと必ずお皿に移す
アイスはカップのままで食べることもあったけど31とかちょっと大きめのアイスをシェアする時は容器に移していたな
と思い出す

あの透明の器に盛られたアイス
その感じが妙に納得できてしまった

そういえばこの小説のカバーはいちごのアイスなわけだけど
ここがいちごなのが凄く良いって思っていて
まだらな色の着き方とか
そこから連想される混ざり合っている感じとか
それが赤い色であるとか
そういう全ての思う出される中身たちが
表紙にも詰まっている気がして溜息が出る


【赤毛のアン】
映画では時代が本当に今なんだな〜って思うような表現や物も出てきたけど(『クララとお日さま』とかTikTokの音とか)

赤毛のアンのあの擦り切れるまで読んでますって感じは原作そのものだった

自分の読みあとがついた本
自分のものだと思える

あの何度も繰り返し目で追った活字
あの表現がばっちり伝わってくるカットだった

ポー詩集は気になるので買ってみようと思う


【文の部屋】
原作とは少しイメージが異なる感じ
保健室のような雰囲気は少なく
どちらかというと文の声を表したみたいな部屋だなと思った

映画には出てこなかったが掃除の仕方
“毎日ワイパーをかけて2日ごとにウエットシートで床拭きをする”
私が何気なくこの習慣を取り入れたのはこの小説の影響だったんだな

【人は見たいようにしか見ない】
映画でこの台詞を聞いた時
他のどの言葉よりも入り込んできた

2人を囲む人たちと
その姿を見る私たち観客

人は見たいようにしか見ない

そのことを忘れずに生きるべきだと気付かされる

🌔原作を読み返して思うこと

もう何度も読んでいるのに
映画のおかげで今までに見えていた活字の上の映像があまりにも美しい
映像にはなかった部分まで解析度が上がった気がするのは何故だろう

覚えておきたい“言葉と表現”に線を引いたらこの本は真っ黒になってしまうだろうと読むたびに思うのだが
映画も覚えておきたい光景を切り取ったら結局映像になってしまうなって思うくらい全ての瞬間が美しかったことを思う

もし小説を知らずに映画を観たら

観ることができたら

あの余白にどんな思いを馳せただろう

想像で補えなかった映像を小説が完璧に掬ってくれる感覚を味わえたらどんなに興奮しただろうと
原作を知らずに観た人を羨ましく思うが
もし読んでいなかったらきっと悔しくて眠れなかっただろうからこれで良かったのだと思うことにする


「共感はしない」
これは小説を読んだ時からそうだった
映画はより共感しないものだった

でも、それがいい
共感するから良い作品なのではなくて
共感できないのにそういうこともあるだろうなと想像出来てしまう表現力と
既存の概念を切り裂きながらゆっくり染み込んでくる感覚がたまらなく好き


この小説をはじめて読んだ時
私は文くんと同じ歳だった

そして、その頃の私はよく公園のベンチに座って本を読んでいた
時にはそこにいる子どもを眺めることだってあったし
読んでいる本によってはこういう感じなのかなと小学生くらいの女の子の行動を目で追うこともあった
小さい子どものお母さんは私に笑顔を向けていたしわざわざ世間話をしてくれた

もし私が女ではなかったら
たとえ同じ瞳で見ていても姿形が男だったら
あのお母さんはどんな顔で私を見ただろうか?

この本を読み終えた時
今まで感じなかった部分で自分が女であることを感じた

同時に、未成年だった私のはエメラルドクーラーは憧れの的だったし
バカラのグラスも宝石のように思えた
今はお酒も飲めるしワイングラスではないけれどバカラのグラスを贈ってもらったりもした
あの頃憧れていたものを思い出すと言う意味でも再読は楽しいものだ

今しかないと分かっていながらも
素敵な作品に出会うと
それは小説でも舞台でも
あの頃の私だったらどう思っただろうとか
もっと先の私なら何を見るだろうとか
そうやって今以外の自分に思いを馳せて
しまう

そういうものに触れながら今を大事にしたいし
できるだけ受け取ったものに向き合っていきたい

思いつくことを断片的に書きながら
また良い作品だなとしみじみ思う

まだしばらく浮き上がりたくない


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