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アンケートを取りながら本を読んだ感想 稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形』(光文社新書)


はじめに

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形』(光文社新書)

読み終えました

後悔はないけど今かなり心が重い
重い理由は主に二つあって

①自分がいかに自分軸でしか世界を見ていなかったか痛感させられたから
②分かっていたはずの現実を突きつけられて答えを出せずにいるから

これから感想というよりも
想起したことやアンケート結果を見ながら少しずつ重みに耐えられるよう鍛えていきたいなって思う
軽くするというよりこの場合鍛える方が良いかなと

8/31(水)日付が変わったばかり
夏休みの宿題を最後まで溜めてた気分になりながら
読書感想文と自由研究といったところだろうか

かなり断片的に自分の記録として書いていくのですが、アンケート集計結果は先に提示しておきます

帯で分かることをメインに、そこまで深い内容には触れない予定ですが、ネタバレなどが気になる方はアンケート結果以降は、実際に本を読んで自分の感想をお持ちになってから是非に
残念ながら私の話ばかりをしているので予習にはならないかと思いますが、ちょっとこいつの心トレ見てやろうという方はその先もどうぞ

アンケート結果

ここで取り上げられている「若者」は虚構ですか?本当に「若者」「Z世代」括ってしまえるほどいるのですか?と疑問に思い
あくまで私の周りの意見を聞きたかっただけなので、簡易的なアンケートですし結果には偏りもあるかと思います
また、直接的なインタビューを行なっている訳でもないので悪しからず
本を読んでみていただけるとかなり具体的な思考が読めますので是非手に取ってみてほしい

【集計方法】
インスタのストーリーズアンケート機能(24時間)×2アカウント
Twitterのアンケート機能(1日設定)

それぞれの結果を分けて違いが出るかなと思ったので、特色もここで書いておきます

プライベートのインスタアカウント
→9割同級生や学校の先輩後輩(19〜25歳)

B 日記代わりに観劇感想や読書感想を載せているインスタアカウント
→同じ趣味の方が多いと思いますが雑多(年齢層は写真を添付します)


C (一応)観劇垢のTwitter
→観劇を趣味としている方が多いはず(年齢層は分かりませんがマシュマロの感じ20〜30代かな?と思います)

【質問】
映画やドラマ(映像作品)のスキップや倍速などをしますか?
1.よくする  
2.時々する
3.しない

【結果】
A
1.よくする  21%
2.時々する  19%
3.しない   60%

B
1.よくする   12%
2.時々する   19%
3.しない    69%

C
1.よくする   13%
2.時々する   29%
3.しない    58%

【回答理由】
インスタはストーリーの質問機能
Twitterではマシュマロで募集しました
いくつかをこの後参考として引用させていただきます
(全文は後日Wordなどでまとめてリンクここに貼り付けようかなとも思います)

【集計後の感想】
どう受け止めて良いのか正直分からなかった
「若者」として括るには少ないような気もするが、Aに関しては5人に1人倍速やスキップを「よくしている」のだ
常識の中に存在しなかった行為を「よくしている」人が2割
なかなか複雑な心境である

「みんな持っているから買って欲しい」の「みんな」ってこれくらいからスタートするのかもしれない

結果の数値よりも私が気になったのは理由だった
Aに関しては、少なくとも“知り合い”の意見なのである
なんとなく理解できるな〜というものから本を読みながら、そんな人本当にいるのだろうかと疑った意見と似たものまで送られてきていた

興味深かったことは、回答理由を答えてくれる方は「しない」人以外が圧倒的に多い
どういう状況の時にするのかを説明してくださる方もいるのだが、端的な理由も多かった
「しない」と回答した人の中には、そもそもそれ以外の選択肢がなかったという人もいたのではないだろうか

感想

購入したのは日曜日
新宿紀伊國屋で平積みされているこの本と横に添えられたびっしりのポップを眺めて、受け入れたくない現実に手を出した

翌日、月曜日
こういうのは今読まないと積読にするって思ったので読み始める
目次を読んでいるだけで
私はこれから「若者」とか「Z世代」と括られて、“こういう視点で見られている”と改めて突きつけられるのだなと思った
中身を読むともう居ても立っても居られない
42頁なんてどんな気持ちで読めばいい??私もう読むのやめた方がいい??ってなっていた

1章はアンケート結果やマシュマロを全く読んでいなかったので、ひたすら眉間にシワが寄っていたようだし、だいぶ怪訝な顔をしながら読んでいたのだろうと思う
自宅で良かった
それでも就活中の出来事があったおかげで、少しは“理解をしよう”という心持ち
また、例として出される作品が最近のものなので、1年後や2年後でもなく“今”が読んで考えるタイミングとしてはとても良い

まず、大前提として私は21歳。
自分自身も若者である
しかし、ここに描かれる若者像とはフィクションと思いたいほどかけ離れている、あまりにも思考が異なる

親しい友人には比較的「偏愛家」が多い気がしていて、各々の教養を美しいと思うし、偏ることを選べる強さも偏らないと生きていけないと認める強さもたまらなく好き
当人が愛しているものに対しては本当にスペシャリストだなと感じるし、しっかり言葉に重みがあるし上手くハマる、強く刺さる
もちろん映像作品も小説も基本観ませんって人もいるので、そういう時はそもそも話題にならないし、映像作品の話をしていたとしても10秒スキップするか否かなんて聴いたことがなかった
倍速なんて話題にすらならなかった
「一気観したら21時間か〜余裕だね」みたいな会話をしていたので
まさか飛ばすなんて考えがそもそも存在しなかった

倍速で観る、という発想がまずありません
C 20代後半「しない」

就活前の私なら
「若者を敵にして、話を盛っているのではないか?」
「そういう少数の人を取り上げているだけなのではないか?」
と、この本に対して嫌悪混じりの疑問を抱いたと思うし、帯文に文句を言いながら、手に取らなかっただろう

しかし今はこうして感想まで書いている
そんな私が世間知らずに気付くのが
就職活動だった

集団面接で感じる「これ絶対観てねぇな」の感覚はまだかわいいもので
インターンも含め、この先会わないだろうと思われる人との会話の中で、あまりにも多くのカルチャーショックを受けた

・最近読んだ本の話になって私が勧めた話を好きだと言った人が、映画を観ただけで原作は読んでいなかった

・最近韓ドラにハマっていると話していた人が何倍速で観るのが良いか意見交換をしていた

・「そのアニメ最終話だけ見ましたオチいいですよね」

など

国文学学ぶ人なら本は読むだろうと思って入学したら、初日の時点で「3年以上自主的に本なんて読んでないよ」って言われた時と同じくらい、それ以上にショックだった
私の世間知らずな幻想は、こうやって打ち砕かれていくんですよね

結局、就職活動中に見た『何者』かになろうとする人たちは、私の目には模範解答“たち”になろうとするように映っていた
個性を求められて無個性に近づいて行くのって面白いめちゃくちゃ人間的
普段は交わらない人と出会えるのは就活の面白いところだったなと思う

このおかげで(?)こういう人もいるところにはいるだろうな〜とは思えていた
それこそ最初は、この本を読んで“受け入れたくはないけれど”理解してやろうくらいのスタンスだった

ここでもまだ幻想を抱いていたのである

問題の42頁
読んだ瞬間、これは私が知らないだけで周りにも沢山いるのではないか?と考えるしかなかった
また私は幻想の中にいるのかと
それを確かめるため、このタイミングでアンケートを取った

本当に皆さん解答が早くてですね、一章を読み終えたタイミングでかなりの意見をいただけていたんです
貴重な意見を読んでいくと眉間のシワが解けていくと同時に、深く息を吸って吐かないといけなくなる
「皆んなこんなこと考えているんだ」
ただ呆然とその意見を眺めて、一つずつに対して自分の考えと照らし合わせてみる
同じようなことが本にも書いてあったりするのだけど、自分に宛られているからか、よりリアルな意見として感じられる
本を否定したいとかフィクションだとか言っているというよりは
“映像で観るのも綺麗だけど実際に観た景色の方が感動するよね”ってのと似た感覚

「私は自分軸でしか世界を観られていなかったな」

と、しばらくの間
本を開けなかった

投票日がやってくると必ず目にするのが
「TLの投票率は100%なのに」
「私の周りは皆んな投票しているのに」
などといったツイート

私は毎回これに対して「私は投票に行きませんでした」という人は少ないだろうなと当たり前のことを思うし、「投票しました!」に溢れる中で言いにくさはあるだろうしな〜と思いながら投票する
そして類友というか、あなたが投票する人だから同じような人が周りにもいるのだろうと思ったりもする

そういうことだよな。

私は今まで自分が投票するから(倍速再生しないから)私の周り同じようなものだろうと錯覚する
そうする人たちを目に入れようともしていなかったし
もしかしたら、たまたま同じような考えの人がいただけ
もしくは私がしないから、していたとしても言わ(え)なかっただけ
なのかもしれないなって

「しない」と回答した方の中には

間も大事だと思うからしない、漫才やコントも然り
A 20代後半「しない」

という意見が複数あったのだけど、

自分が製作側の人間なら、汗水垂らして作ったものやのに!って思うからです。
B 20代「しない」

このように作り手の立場になって考える方もいらっしゃった
放送された時点、公開された時点で作品は作り手か観客に委ねられるような気もする
だけど、作品として世に送り出したものがコンテンツと一括りにされて、娯楽として消費されていくために作っいる人はまだ少ないと信じたい

2章からは、いかに自分の視野が狭いかを念頭に置き、それでもやっぱり納得がいかないと思いながら読み進めました

散々『何者』と使いますが、ポップに書いてあって良いなと思っていたんですよ
朝井リョウさんの『何者』(新潮社)ってすごいタイトルだったのだなと改めて感じています
就活終わったしもう一度読もうかな
個人的には『正欲』(新潮社)を読んだ時の衝撃が好きでしたが、この作品を勧めるという行為が正しいか考えてしまうな

一冊の中で、就職活動を終えた人控えた人ならば、共感ないしは既視感を覚える意見が見つかるかもしれない

もっと正直に言うなら“自己紹介欄に書く要素が欲しい“ですね
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形』(光文社新書)
144頁


就活前に「ESに書けることがいっぱいあって良いね」と言われたのを強く覚えている
私も趣味はあるし好きなものもあるしやりたいと思えることもいくつかあると思っていた

私からすれば、この発言をした相手もオタクをしていたし私にはない趣味を多く持っていると思ったのだが、就活を進めていくとESに書けることと書いても意味のないことがあるのだなとぼんやり分かってくる

私が唯一偽った部分としては
【趣味】と【特技】の欄だ
エントリーシートには趣味は観劇で、特技は写真と書いていたけれど
実際には趣味が写真で、特技はDIY
観劇や読書は趣味ではなく「好きなこと」
どちらかといえばチケットを買うこととか本を買うことのほうが趣味
インターンの時点では実際のものを書いていたけれど、短時間で自分を説明する難しさから偽りが生まれた
好きと趣味の違いに関しては長くなるのだけど、今まで他人の言葉で1番共感したのが女優の杏さん
杏、大倉眞一郎『BOOK BAR ―お好みの本、あります。―』(新潮社)
の中にあるコラムの言葉に首が痛くなるほど頷いた

この一冊の中で登場する人間に対して難しいなと思うのが
個性は必要だしオタクにも憧れる
だけど上位互換がいるから気楽にオタクとは言えない
何かに縋って生きていきたい

『何者』かでありたい

そう思いながら行動し続けていることだ

個性って人に合わせて生きることなの?ってちょくちょく意見を読みながら思っていた
ゆとり教育のせいにしていいのか?
私も若干ゆとりだからな(円周率は3.14)
さとり世代も好きじゃないけどZとかよりはいいかな〜響き的に

何でもかんでも政策のせいにするのは間違っている気もするけど、自分の置かれている現状に満足できない時、大きくてどうせ動かない対象に対して怒りをぶつけることは簡単で、メンタル維持のために有効であるとは思う
ただし、それに依存すると自然に自分が不幸であることを認めるような気もしてしまうし、そもそも他人なんて変わるわけがないのだから、自分がどうするかじゃないの?と思って生きている私には別の次元のお話
高校入学の作文で「世界は変えられない」と書いた時からずっとこの考え方で生きている

読めば読むほど
他人の意見を知れば知るほど
え?人間難しすぎない?
ただ安定した企業に就職するだけでもダメなの?それって何基準?
と、疑問符ばかり浮かんで消えない

オタクが憧れの対象になるように
YouTuberが将来なりたい職業の上位にやってきて
ノマドワーカーが増えていく
人間って天邪鬼なんか?変化って革命でなくてはならないのか?
と、今の段階では思ったが別の視点の本や論を読んでみないことには断定はでない

『偏っていても構わないので、好きな情報だけ得たい』といった趣旨の意見が掲載されていて
思考が停止した
何度読んでも活字は変わらなかった

あまり暗いニュースを受け取りすぎない方が良いとは思うし、メンタルは人それぞれなのでSNSの見過ぎも良くはないだろう
それでも偏っていてもいいのか?
いや、でもそれってある種「信仰」だよな
生きることって何かを信じていくことだとも思うから、自分の中で信仰できるものを見つけて信じ続けられるのは羨ましいことかも知れない
いや、私も既に何かしら信仰して生きているかもしれないな


村田沙耶香『信仰』(文藝春秋)
又吉直樹『人間』(毎日出版新社)
→文庫版は一章分加筆されているので、そちらもおすすめ

③-1

“説明の多さ”に対しては、ずっと考えていたことがある
舞台の予習(説明)動画を作ってくれている俳優さんの話が少しTwitterで出ていた時に
私が書いた意見(抜粋と加筆)

人によるだろうから難しい問題けど、説明しなきゃ分からない舞台ってめっちゃ“現代”を感じる
離乳食与えられてるみたいというか、咀嚼力を失わせるというか
ただチケ代って高いしリピ出来ないような作品もあるし再演だっていつするか分からないし“その1回無駄にしたくない”って気持ちはわかる
私は歴史物の予備知識的な歴史は学んでいくと(というか教養として持っておくと)楽しいなって思うけど
基本全く白の状態で観に行きたいってのが多い
でもそれは、私自身が情報遮断すればいいだけの話だから説明需要が高いのなら、チケット販売のためにも満足度向上のためにもあったら助かる人がいるだろうなとも思う
化粧品や飲食店とは違うものだと思っているから、その類と一緒に考えることはしないけど“今”は小説や映画も中身ほとんど知ってから観たりとかなんなら他人が切り取るダイジェストだけで満足する人もいる
“パンチラインだけで観た気になるなよ〜”とは思うがそこを広めることで視聴率が上がるのも事実
私は“分からない”ってなることよりも“知らないことがこんなにある!”を楽しんでいる節があるからまっさらな状態を好むし、考察が好きだし、後々調べていく余韻を愛してる


“共感=素晴らしい/分からない=つまらない”の公式が大嫌いで
でも現実はそうなりつつあるなと思ったり
考察文化も廃れていると言われていて、説明的で平坦なものが愛されるようになっていくのかと思うとやっぱり寂しい
作品を受け取った後にめちゃくちゃ沈んだり浮き上がりたくないって言っている私はなんなんだろう



読み終えてみると
やはり、これから先は説明的なものが増えていくのかと思い深いため息が出る
人の勝手じゃんって思っていたことでも作品も商売ですしね......多数派の要望に合わせて作品はコンテンツと呼ばれ、芸術は娯楽として消費され、愛すべきものたちの方向性ごと変わっていくのかなってのが辛い寂しい
読む前から理解している“つもり”だったけど、読むことでより根底にあるものを知ることとかが出来たかなとも思う
理解できても納得は出来ないけど
映像作品に限らず、舞台のことも書かれていて、作り手の方の言葉に胸が痛くなった

考察やネタバレは読んでも評論は読まないという方の意見、他人の視点を求めていないというのはある意味、新鮮なものだった
これくらい振り切ってくれているともう別次元として切り離した考え方ができるんだけどな

私が読む前に考えていたことは「(経験を)無駄にしないためのネタバレ(事前学習・予習)」だったのだけど、(時間を)無駄にしないためのなんだなってのが気付き
好きだったらもう一度観れば良いって思える人もいるんですね
「初見」を大切にしている身としてはそこも想像できない範囲だった
しかし、このような意見もある

ドキドキしたくなくて結末知ってから安心して観たいからネタバレ調べてから見ているよ
A 20代前半「よくする」
早く結末を知りたいからネタバレを読んだり、最終話を見たりする
A 20代前半「よくする」


時間の節約でも人と併せたいからでもない意見
本の中にも同じような意見があったのだけど身近にいらっしゃると「おぉ....」ってなる

何度も観てるものの場合はスキップするときもありますが、“初見の作品”に対しては通常速度で観ます。
C 30代

一方で“初見“を意識されているかたもいらっしゃる

友人がネタバレを踏む理由に近いことで
「最近の“若者”は、フラれることが怖いから恋愛に臆病になっている」
という話が時々されているよねって話を出してしてくれて
繋がりを見つけた

「快楽」に対しては去年考えていたテーマだったので再考していきたいと思った
これは“テクストの快楽”なので本を読むことに対しての方が適しているけれど、考え方として併せて参照したい
ロラン・バルト『テクストの快楽』(みすず書房)

③-2

ファスト映画やまとめサイト考察ブログや感想って(同列に並べてしまうのは嫌だし異なるものだと思ってます)
結局は作った人の視点で進んでいくだろうし、カットの仕方やあらすじの取捨選択とか、創り手の意図なんて汲み取れない
実際に自分で観た後だったとしても他人の考察や感想を読んで自分が分かった気になるのは違くないか?と考えていた

3-①で引用したツイートを書いていた時
凄く感想を書くことと読まれることに対してのモヤモヤがあって
私の持つ感想に共感してもらえることは嬉しい一方で「わかる」の一言で片付けられてしまうことが嫌だった
あなたはこれを読んで何が“わかる”の?って
感情の話と幻覚の話が混ざっているのに私の心と完全一致するはずなくないか?あくまで鑑賞のメモであり、私の今までの経験を通しての感想なので実際に観たら全く違うってこともあると思う
自分では感じられなかったところを補うように他者の瞳を借りることは私もするし、そういう人に読んでもらって“共有”出来たら素敵だなって思ってるけど

常に正解を探して損をしないように生きている人たちを見ると寂しさを感じるのに、自分の感想がその人達に消費されていく感覚がしんどくて一時期書くことが嫌になってた

私の感想を勝手に“説明”として摂取しないでほしいと思ってしまったつまみ食いするなよ、食べるならちゃんと椅子に座って味わい尽くしてくれ
いっそおかわりを求めて欲しい

みんながみんな言語化して感想を書く必要もないと思うし、散々「感想を発信する人の方が少数だ」と言われてきたので諦め半分
感想を書けば書くほど消費はされるかもしれないが、私は私のためにやっていて、これのおかげで同じような人間と繋がることができるので辞めはしないと今は折り合いをつけている
それに読んでもらうこと自体は嬉しさがある
(追)今こうやってここまで読んでくれている人がいるなら、どんなことを思うだろうとか本を手に取るだろうかとか、感想が送られてきて来月には友達になっている可能性もあるよなとかも思うわけですよ
(普段令和の学生とは思えないって言われるのだけど、SNSで出会おうとしてるの令和的じゃないの?って言ったら、昔は雑誌に掲載して友達探ししてたから媒体が異なるだけで似たようなものだよと言われた)

好きな舞台には、お客さん沢山入って欲しいという思いもあるし、ご時世的に感想を送る方法が減っているのでSNSでの呟きを希望する演目も多いし
(出演者の方に読まれる可能性考えて書いているけど、実際引リツとかで読んだ報告されると嬉し恥ずかしってなる)



読み終えて思ったのだけど
私を少数派に追いやるくせに搾取するから腹立たしいんだな
金銭が発生しない仕事をしている気分にさせられる

そもそも感想は私の感じたことの一部。
Twitterなんて特に文字制限があるんだからあんなん感想に中でネタバレしない程度のパンチラインなわけですよ
素人が舞台を観て、帯書くとしたらここいれたいなぁくらいの
そもそも物語はパンチライン(伝えたいことや核になるところとかもそう)を追い求めるための回り道だと思っているので
「回り道がタイパ悪い」なんて言われたらもうどうして良いかわからない
無駄だと思われる回り道こそ物語であり細やかなセリフや間なのだと私は思う
本当に伝えたいことなんて掴めずに終わる方が“タイパ”悪くないか?
そうだ“タイパ”ってこの本で初めて知りました早速嫌いです

この言葉を好意的に使う人にとっては、同じ作品を何度も見返すこととか、感情の言語化とか、理解されないことなのかも知れない
そもそも読書時間+このnoteに8時間掛けているなんて知ったら
スペースで一つの舞台の1/4を話すのに5時間費やしたと言ったら
ただ言っておく
10個タブ開いて見ているその考察サイトは、誰かが時間を費やして作ったものだからな
そして読んだだけでは得られないものがあるからな
他人の感想摂取して得した気になっているかもしれないが、それはどこかで搾取されているかもしれないという現実に気づけ
タダより高いものはないからな
本の中で、簡単に『何者』かになろうとする人がオンラインサロンへ入荷する例が挙げられていて、一度窓の外、遠くを眺めた

なんで日本語はよく略すんですか?って最近聞かれたな調べようと思っていたんだった

③-3

帯文の

つまらなと感じたら後はずっと1.5倍速
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形』(光文社新書)
帯文(2022.8.30現在)


飛ばすくらいならやめなよって思ってしまう
「失敗も経験だと思わない人が増えたよね」って言われたことがあって、その時は、ならなぜ「挫折経験」はよく質問されるの?「学チカ」には問題+解決策を入れるべきとされるの?って思っていた
そもそも
とりあえず流し見するのはどうなの?話についていくためにそこまでしなきゃいけない?
人に勧めたものをつまらなかったのに流し観されて上っ面な言葉でありきたりな感想述べられても嬉しくないと私は思う

この人が勧めていたから読んでみようかな、観てみようかなみたいなのは、「きっかけ」として素敵だと思うし、おすすめする時は出会いになる文章書けたら良いな〜と思ったりするのだけど
SNSとか不特定多数にばら撒く(布教)時に思うこととしては
これもツイートしてたことだけど

私がわーきゃー騒いでるからと言って必ずしも全員に刺さるとは思っていないし賛否あるほうが刺さってる場合も多いから全部信じないでくださいね☺︎
“こいつの話なら騙されてもいい”って思った方は是非観てほしいし分からなかったり好きじゃなかったら逆に教えて
沢山観ればみるほど自分の好みも分かってくるし
ずっと母の好きを追ってきて、5年前にようやく自分の好きを探し始めて最近は好きすぎて困っちゃうな〜ってなりながらもまだまだ観られないで終わる好きがいっぱいあるだろうと思って
本屋さんと似たような絶望感の中にいます


これを書いた時は、おすすめしたものを観に行ってくれる人が増えて嬉しい分、本当に楽しめるかなんて分からないよな?そもそも私が好きだと思うもの賛否両論ある作品多いかもって考えていた
結局他人はきっかけに過ぎなくて
自分の好きを見つけて深めていけるのは自分だけじゃないかと思っている
自分の“好き”がなんだかマンネリ化しているなって時とか、人の“好き”に触れることで相手を知るための糸口くらいがちょうど良くて
人から与えられたものだけで生きているのって楽かもしれないけど、その楽なら私はいらないな



これは本を読んでというよりも、意見を読んでいて「推し」の大きさを考えた

『推しが出てるから』という理由のみで作品を観始めたものの、ストーリー等が好みじゃなかったり苦手だったりどうにもつまらなかったりする場合、よく早送りしてます(少なくとも推し出演シーンだけは観るようにしますが、いくら推しが出ていようと興味のかけらすら持てないような作品だった場合は、録画しても見ないまま→見ないまま削除、のパターンも…)。
C 40代「時々する」
複数の理由から抜粋
早送りしない時→純粋に映画を楽しみたい
する時→出演している俳優目当て>内容
A 20代前半「時々する」

好みではないのだけど応援の気持ちがあるからってのは分からなくはない感情
そもそも映像であれば、掛かってくるお金は低いから、飛ばしても「勿体なさ」を感じにくいだろうし、そうなってくると時間を節約することに力を入れるのも理解できる
(ここがまた問題提起されていたのだけど)
舞台よりもその傾向が強くなるだろうなとも思う

1番たしかにな〜と思ったのが
エログロなどの表現を飛ばしたいという意見

理由の一つ目は、所々苦手な描写が有る場合があるからです。その苦手な描写以外特に問題なく楽しめる場合スキップして全編楽しみます。
例えば恋愛物以外の作品に時々出てくる露骨なキスシーンややたら長いベットシーンなどはじっくり見なくても話の大筋は分かるので飛ばしてしまうこともあります。苦手は人それぞれですので、血飛沫が苦手な友人などはアクション映画なのにゴア表現部分だけ早回しで見たりしていました。でも話の大筋はとても楽しんでいて最後には感動で泣いたりしていました。
A 30代「時々する」
複数の理由から抜粋
手術シーンや交通事故などが苦手で映画館では目を伏せますが自宅なら飛ばします
B 「時々する」

私は大量のネズミが苦手なので、そういうシーンは細目で観てしまう
ただ意図して入れられている場合もあるだろうから難しいところではあるのだけど、理由として共感も納得もできる
ただどうしてもファスト映画だけは許せないし何度も言うが素人のカットなんか信じるなよ!
そもそも犯罪だからな
(『石子と羽男』観ましたか?って言いたいんだけどさ、今観る方法ないしさ結局これでまとめサイトへ飛ぶんでしょ?って思うとしんどいので公式のあらすじに行ってください)

オープニングクレジットとかエンドクレジット、あとはオチまで長かったらちょっと早送りする丁寧すぎる演出とかは飛ばしちゃうかも
A 20代前半「時々する」

この基準は、初見であっても有効なのか知りたいところ
比較的映画を観ている人だったと思うので後日話を聞いてみたい

演出に対して「回りくどさ」を感じてしまう理由にも人それぞれ違いがありそうだ

③-4

同じく帯文で

会話のないシーンは即飛ばす
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーーコンテンツ消費の現在形』(光文社新書)
帯文(2022.8.30現在)

音楽だとサビだけ聴いているようなものだよね?イントロや間奏飛ばすってこと?と考えていたのだけど
イントロが長いと流行らないからあえて短かったりなかったりするって話とかもあるし
「この曲好き〜」とか「これいいよね」の基準が低いのか、“サビしか知らないけど”みたいなのを目の当たりにするとかなりしんどさを感じる寂しさ超えてしんどさ
「TikTokで聴いた〜」は褒め言葉なのかどうか分からないけど、それを“良い“と発信するならせめてフルで聴いてから言って欲しい
まあでも人には人の楽しみ方があって
私が「若者」「Z世代」と括られたくないように
人の勝手だとも思う
それでもモヤモヤしてしまうのは
食べ物の写真見ただけで「食べました!美味しいです!」って言っているようなものだし
旅行の動画見て「あの景色最高なんだよ〜」とさも体験したかのように語ってるってことでしょ?(ここまでくると才能を感じるが)
倍速は100歩譲って全てのシーンと言葉を拾えるとして、スキップは作品を観たとは言えない気がするし
そもそもダイジェスト版で知識として得ただけなら同じラインで話さず、前置きに入れて欲しいくらいですよ
「私はファスト映画で観たんですけど〜」って
それはそれで腹立たしいな

好きな作品は基本等速で見ますが、
好みではないけど勉強になるだろうから見たい、グロいけど見たい、好みじゃないけど最後まで見よう…ってときは1.25倍速で見ることもあります。
また、話数が多いドラマも時間がないけど早く見たいということで1.25倍速で見ることがあります。
ただ、倍速試聴した作品の批判はできないなと思ってます。(本来の作品の姿ではないため……)
C 20代

読む前に感じていたことを意見で書いてくださっている方がいました
“本来の作品の姿ではない”

人と感想を共有する事が前提の試聴方法なので、つまらなかった・ここ見るの辛かった、などといった負の感想も一応覚えますが、飛ばした事自体も感想の一部となります。飛ばしてしまった部分が面白かった場合友人達との話題共有で把握する場合もあります。「ちゃんと見てなかったでしょ!」「ごめんあそこのパート見るの辛くて笑」「ああ、あの俳優さん苦手だもんね」これだけでも楽しく会話出来ます。作品への苦手意識よりも一緒に見てくれる身近な人間への親愛の方が優位な場合、共通作品を"一応見た"という事が重要なのだと自己分析しています。
C 30代「時々する」

目的の違いで、作品の楽しみ方が異なる
完全体で視聴していないこともコミュニケーション材料になっていくのだと思うと新しい価値観でした

ただ本を読んでいると全体を通して
生き急いでるの?って感覚になるんだよな〜
インタビューに応じている人は本当に私と同世代なんだよな......タイムスケジュールがどれくらい違うんだろ

時間短縮になるから。言葉を聞き取って話の内容さえ理解できれば良いから。
A 20代前半「よくする」

たしかに情報過多な世の中ではある
「疲労困憊供給過多」
とツイートしかける日が週に何度かある
積読はこちらを見ているし、観劇の感想も書きたいなって思っているし、卒論も進めないといけないのを忘れようとしているし、入社前研修の講座案内が届いた
人生の夏休みだと言われる大学生活の中で暇からいかに逃げられるか考えて生きているので忙しくないと言ったら嘘になる

それでもまだ味わうことを辞めたくはならない
それでもやっぱり芸術を娯楽として消費したくはないのです

消費の話でいうとこの一冊を思い出す

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(太田出版)

大学生になりたての頃出会い
いかに今までの自分が消費者であったかを知り、浪費家として生きようと心に決めた一冊です
今だと文庫版(新潮文庫より)も発売されているし、まず先に情報を得たいという方には下記リンクから対談を読んでいただければと思います

この2冊併せて読むのめちゃくちゃ良いかもしれない

「私は、私」
と言うように
「他人は、他人」
結局は、価値観の差なのだろうなって思う

何にお金をかけるかと同じように
何に時間を使うか

今はどういうカルチャーが創られていて、人々の行動は変化していってと言うことを理解さえしてしまえば、あとは自分がどう動くかだけ
もちろん社会の中にいるので、影響を受けてはくるのだけど、知らないまま文句だけを言い続けるのと、現状を理解して自分が出来るだけ快適に過ごすのでは全く違う

アンケートを取ったことで、身近な感覚として意見を受け入れられたし、自分自身の考え方や視野の狭さに気付くことができた
物凄く回り道のように思えるかもしれないけど、一冊と向き合って過去に読んだものとか、他人の視点とかを交えながら自分の感情を整理して言語化して
こういう時間が私は好きって再認識も出来た

今後「最近の若者は〜」って言われても3ミリくらい許せそうな気がする

これは書評でもないし、私が感想で触れていないところも沢山あって(ほとんど触れてない気もする)その中にも興味深い話が盛りだくさん
どれを読んでも目次の時点で想像している理由とは全く別角度のものもあるし、自分の想像ってあまりにも狭くて笑ってしまう

ここまで書くとだいぶ心を支えられるようになってきた
読んで良かった

1番は、私がいかに無知で自分主体で物事を判断しているか知れたこと

終わりに

この本を同世代の人に読んで欲しいけど
きっと手に取るのはここでいう「若者」ではないのだろうと思うと消えない靄が残る
バズったらバズったで短縮されたまとめサイトが読まれるんでしょうね!!なんなら帯だけ読んで納得した気にされてしまうのかな
どうか「TikTokで話題」という帯が付きませんように
(これが完全に悪いことだとは思わないけど、この作品においてはどうも皮肉的になりそうだし)

一冊の本に対して疑問に思ったことをアンケートに取って読み込んで
自分の言葉で書いていくことが出来る自分自身で良かったと思う

過去に読んだ本とか、話したこととか、観てきたものとか全部が繋がっている
そういうところを吹っ飛ばして簡単に手に入れられる知識をやっぱり欲しいとは思わない

昨日友人と話していて、中身が濃くて気付きが多く楽しい時間だった
やっぱり私は人間と向き合うことが好きだし、会話の中で思考の整理がされていく感覚もたまらなく好き
共通の話題は芸術だけではないと思うし、誰かのために習得する付け焼き刃な知識よりも、あなたが愛しているものの話を聞きたいなと私は思う
書き言葉と話し言葉を反対に使用した場合、受け取る印象について話していた時に
略語や造語などを創り出すのが若者の仕事なら、文化をアップデート(ほんの少しの吐き気)させていくのも若者なのか?なんてぼんやり思っていた

こんなに回りくどくて面倒臭いやつと話してくれる人がいること
大切にしていきたいと心から

これがカウンターカルチャーになるんだったら私はいくらでもサブカルチャーに浸るし
普通の枠から逸脱しまくってやると強く思いました

思い返せば、古典(時々文学というだけでも)を勉強している時点で「無駄」と言われる時代だもんな
(別の話にはなるけれど「高校に古典は本当に必要なのか」は非常に面白いシンポジウムなので興味があれば見てほしい)

無駄を愛さなくなった世界で
浪費家の私は
消費されながら擦り切れるまで無駄を愛します


筒井康隆『残像に口紅を』(中央公論新社)などは今書店に行けばそのような帯が付いている文庫を買うことができるはず
未来の人が古本屋で手に取ってその帯を見た時の感想が気になる


最後まで読んでくださった方へ
良ければマシュマロのリンクを貼っておきますので
・年代
・映像作品をスキップや倍速などの早送りするか否か
・その理由
送っていただけると嬉しいです

同じ本を読んだ方がいらっしゃればその感想もお聞きしてみたい
これから読もうと思った方にもお願いしたいのだけど
「どうして読もうと思ったのか」も教えていただきたいです



これだけの文字数で気持ちを支えるのは
私の意思表示でもある

最後に勧めたいのは
片桐はいり『もぎりよ今夜もありがとう』(幻冬社)



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