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年収190万35歳がお金の話します7 【本当に貧しかったのは?】

前回はこちら↓

せっかく自立したのに身内に甘えて世間知らずなまま30歳を迎えてしまった私のことを前回書きました。

お金のこと、現実的な生活に関する知識で言えば、恥ずかしながら私は今でも無知が過ぎるほど無知です。
正直お金のことをちゃんと考えよう。と思い始めたのはつい二か月前でした。二か月も経ってないかもしれない……。

きっかけがあったのです。
それは私よりも稼ぐことに意欲的な友人が出来たからです。彼女は私よりもずっと稼いでいて、私よりもかなり浪費家でした。私の貯金額以上のお金を彼女は一瞬で使ってしまえます。
それほどの差がそこにありました。

私はそのことを羨ましいとも感じましたが、それよりもふと気が付いたんです。

「私ってもしかして最初から諦める癖がついてしまってるんでは……?」

この6年くらいを振り返ってみて、自分が気持ちよくお金を使ったことがあったのか。思い出しても出てこないんです。
いつも罪悪感と友達でした。お金を使ってしまうことが罪深いことに思えましたし、逆に、使えないことも辛く感じました。

友達と遊んでいるときに予算のことを気にしてちまちまとケチりたくないと思ってたんです。今もそう思います。
でも私はいつも気にしてました。友達には気づかれないように気にしていたんです。

そもそもお金に疎いタイプではあるので何にいくらとか細かく見ることはほとんどないのですが、例えば飲食店のメニューを見ながら価格の比較なんかを極自然にしていたと思います。
安いものの中で満足できるものはどれだろう。という基準が確実に存在していたんですね。

私は節約家な気質でもありません。節約家さんというのは、節約が楽しいと感じられますよね?
私は節約自体にはそんなに興味がありませんでした。ただ使えるお金がそんなに無いから使わないようにしなければ、と思っていただけです。

あ、なんかすごく貧しいな私。
と感じました。

そうなんです。
私は年収190万円によって貧乏になったのではありません。

年収190万円で、心を貧しく育ててしまったんです。

そのことに気が付いて大変ショックを受けました。
お金は少なくていい。穏やかな生活をしたい。そう思って働き始めたはずだったのに。この有り様なわけです。全然穏やかじゃない。

自分はお金がない家の人間で、今もお金には縁のない人間だ。という認識が豊かさを放棄させ、精神を蝕んでいたんです。

起業のコンサルタントをされている方が、ちょうどこの私にぴったりなことを仰られているのを見ました。

「一定以下ラインの収入の人は、いくら心のケアをしてあげてもダメなんですよね」

いくら売れる方法を一緒に考えても、盛り上げようとしても、本人が心の根っこで諦めていては無駄だ。
ということを言っているんですね。

いやそれ!それ私!って思っちゃいましたよね。どんなタイムリーだよって。

お金はあってもなくても、私達は幸せを感じることができます。
そんなことは誰もがわかっていると思います。収入が少ないなりに気持ちにゆとりを持って生活している人も大勢いらっしゃいます(きっと)。

しかし私はお金のことを意識しないようにしてしまっていたのが仇になったんです。
考えてはいけない。と思った時点で考えている。という現象と同じですよね。お金への意識を遠ざけようとすると、意識はそちらへ向いてしまうのです。

向いてしまうのだから潔く向き合ってしまったほうが早道になったんでしょう。別に遠回りを選んだつもりではなかったのですが、結局遠回りをした結果になっていると思います。

実際、このことに気が付く前と気が付いてからだと、明らかに精神的な安定度が違っています。足元を見ずに歩き続ける不安とおさらばできたということでしょうか。
これからは足元の障害物をどうクリアしていくのかという試練がありますが、目隠しをしながら行くよりも気持ちがマシというもんです。


さて。お金に対する自分の意識が変わってきたところで、私の中では数珠繋ぎで色んな発見が起こっていきます
というところを一番書きたかったんですよ!今までのは前振りみたいなもんなんです!長い!!

お金ってお金じゃなかった。と気が付いた話です。

よーし、次につづく。

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