ただそこにいる
2020年4月16日からMARUMORI-SAUNAは休業している。
休業期間中、施設メンテナンスのために何回かサウナに火をいれた。
サウナ室内の壁やベンチなどに蓄積されている「熱」を留めておきたいと思ったからだ。 半分以上は気持ちの問題かもしれないが。
先日サウナをメンテナンスした時、どうせなら私もサウナに入ってしまえと、一人サウナを堪能させていただいた。
サウナを経営していると、いつでもサウナに入れるのが羨ましいとよく言われるが、そんなことはない。当然ながらお客様が最優先であり、MARUMORI-SAUNAにじっくりと入ったことは数回程度だ。
コロナのせいで休業した結果、自分たちがじっくりとサウナに入れるようになるとは、なんだか皮肉だ。
そんなことを考えながら、サウナ室で思う存分ロウリュ。ここぞとばかりにロウリュをして、4回目に耐えきれずに川へのダイブ。
水温もあがってきており、心地よい。15℃ぐらいだろうか。
その後は、岩の上で横になり外気浴。
岩の上で、2019年の台風洪水にも耐えた木と見つめ合う。
ふとこんなことを考える。
台風後、秋、冬、そして春から夏へ。
ただ季節が巡り、葉っぱが落ちて、新しい芽が出る。
この木、この自然はただそこにあり、それ以上でもそれ以下でもない。
台風に耐えた木の生命力に感動するとか、生命の芽吹きは素晴らしいとか。
この木は、きっとそういうものではない。
様々な出来事に勝手に意味を与えて、勝手に解釈しようとするのが人間だ。
圧倒的な大きさの自然に対峙すると、こうでもしないと生きていけないよな、これは人間の知恵だなと思いながら、一方で人間という存在の小ささと人生の無常感が湧き上がる。
そんなことを考えながら、それでも私は、今ここにいることを改めて感じる。
それで良い。ただ季節の廻りとともに、葉を出し、葉を落とし、また、葉を出せばよい。
五感を開く。
まずは目を閉じる。いつも頼り切っている視覚はOff。
最初は聴覚に集中する。人工の音はなにひとつ聞こえない。
水の流れる音・鳥の声・風の音・葉っぱのこすれる音・・・
次は触覚だ。
肌にあたる風の感覚が心地よい。背中にあたる石の感覚はなぜだか柔らかい。
次は嗅覚へ。5月の新緑の頃の空気はなんだか甘い。
鼻腔の奥に甘さが残るこの香りが最高だ。
最後は味覚。もうこの頃には思考がグルグルと。
自然とダイレクトにつながる。
自然とつながるとは、こういうことかと、ぼんやりとした頭で思い描く。
そんな感覚をぐるぐると。
肌寒さを感じて、思考が戻ってくる。どれくらい外気浴をしていたのだろうか。時間の感覚はもはやない。さぁ、またサウナ室に戻ろう。
こんなことを数回繰り返しながら、私たちが提供しているものはサウナという形ではあるが、たぶんサウナではないことを改めて確信。
身も心も自然にダイブする。
そして自然とつながり、ただそこにいる自分を見つける。
ただそこにいる。今、ここにある自分を感じる場所であり、そういう体験ができるきっかけを提供している場所なのだろうと。
自分の存在を改めて感じる場として。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?