ピコピコ中年「音楽夜話」~誰のせい?それはあれだ!スチャダラパーのせい
暑い。ただただ暑い。
夏は開放的で好きだが、もうちょっとだけ、こう日本らしく、慎ましやかに暑さを控えてはくれないものか…。やっと辿り着いたアパートの扉を開けても、煙草とコーヒーとアルコール臭混じりの熱気がねっとりと体中にまとわりついた。
取る物も取り敢えずエアコンの電源をオンにする。
唸るような重低音と共に吐き出された熱気が、徐々に冷気を帯びてくる。嗚呼、助かった。いや、ありがたい。エアコン様様である。
このエアコンが付いているアパートに引っ越すことができて、本当に良かった。大学入学から2年間過ごした、エアコンなしのボロアパートで迎える新潟県下越地方海岸沿いの夏は、まさに暑さとの戦いだった。
…
サークルで非常にお世話になり、よく遊んでいた2学年上のS先輩のアパートにはエアコンがあったが、涼むためだけに押し掛けるのは何だか気が引けた(結果としてS先輩が卒業する際、先輩の口利きもあり、この不動産屋の隠し物件的な好条件アパートに先輩と入れ替わりで入居できたわけだが)
類は友を呼んでいたのか、エアコンが付いている部屋に住んでいる友人はいない。どこに集まっても、窓を全開にしてパンイチになるぐらいしか暑さをしのげない。
パンイチでギターを抱えガンズ・アンド・ローゼズやMR. BIGを弾くセガ信者のE君。パンイチで「エンヤの歌って透明感があるよね」という北海道は旭川出身でクリスチャンのR君。「愛知県では自転車のことケッタマシーンって言うんだぜ」と教えてくれたガタイのいいN君。パンイチでも暑いよねぇ、とか何とか皆で言い合いながら、最終的に全員パンイチのまま酒盛りへと突入するのが恒例だった。
パンイチ酒盛り。いかに安く少ない量で酔えるかというコスパを追求した結果、ショットグラスでジャックダニエルやアーリータイムスといったウイスキーを、まるで西部劇の酒場にいる荒くれ者のようにクイクイと飲むようになった禁断の酒盛りである。もちろん女子の影などどこにもない。そして、どうでもいいことだが、皆、パンツはトランクス派であった。
また、涼を求めて外出した際は、タワーレコードで普段聴かないようなクラシックまで無駄に試聴し時間をかせぎ、疲れたらドトールコーヒーに入店。煙草をくゆらせながら、購入したCDやらサブカル雑誌やらをめくり、アイスカフェラテ1杯でタコ粘りしていた。
どうやったって暑いものは暑いのだから、いっそ夏らしく海にでも行ってしまおうか。
そんなある日、夏に朦朧としてるうちに翻弄されてしまったのか、「夏の海」という単語が持つ開放的な魔力に惑わされたのか、工学部のY君と私は自転車のカゴにビールを数本入れて大学側の海岸へ向かった。
Y君とは友達の友達として知り合い、仲を繋いでくれた友達とは自然と疎遠になり、それが自然なことであるかのように、いつの間にか昔からの友人のように遊ぶようになっていた。
炎天下、見上げれば入道雲、道の先にはユラユラと陽炎。フラフラと海岸へ続く坂道を自転車で進む私とY君。自転車を漕いでいることを後悔し始めた私に、Y君も同じ気持ちだったのだろう、ニヤリと笑いながら語りかけてきた。
「これ、あれだね。そそのかされちまったかもね」
「あ、確かに。ついつい流されちまったかもね」
「誰のせい?」
「それはあれだ!」
私とY君「夏のせい!」
二人の脳内ではスチャダラパー「サマージャム'95」が爆音で流れていた。辿り着いた砂浜の砂は異様に熱く、遠くのカップルを羨ましそうに眺めながら、すでにぬるくなったビールを飲んだ1996年夏の出来事である。
☆スチャラカでスーダラなラッパーとの出会い
スチャダラパーに出会ったのは高校の頃だった。お金はないが、無駄に時間はあり、さりとて勉学に勤しむわけでもなかったヒマなある日。「なんかヒマだなぁ」と思いながら観た、NHKの音楽番組でスチャダラパーの特集がきっかけである。
スチャダラパーやその曲に関する解説が多少あり、その後流れてきたのは「ヒマの過ごし方」。
ヒマな時にヒマをテーマにした曲に頭をぶん殴られたような衝撃的な出会いだった。
もう「何だかモヤモヤ日々思っていることを言語化してくれている!」と小躍りしたくなったことを覚えている。そして、聖☆おじさんになった現在でも、この感覚は変わっていない。
そう、人間ヒマがないと駄目なんですよ。今までの人生で出会ってきたオモローな人達は、すべからくきちんと「ヒマを過ごしている」。ヒマ時間が育ててくれた豊かな人間味がある。
氷河期世代だ、ロスジェネだ、失われた30年だとか何とかを経て、やっとこモーレツに働く=正義からのパラダイムシフトが緩やかに進行してきているように思える今こそ、改めて「ヒマ」の重要性を噛みしめられる名曲である。
本当の自分を取り戻す、豊かな時間に改めて気付く、マインドフルネス、人生を噛みしめ丁寧に生きる、などなど。耳ざわり良く意識高そげな表現も結局南極「ヒマを過ごしている」ってことである。カッコよく表現して自分に酔ったりせずに、まさに「ヒマを見つけて ヒマを知れ ヒマを生き抜く強さを持」たねばいけないな、と思いながら…。
ちなみに、上記に埋め込まれたyoutube動画は2013年のライブ版。この映像を観ていただくと、この曲にANIパートがほとんどない理由がお分かりいただけることと思う。そう、ANIが「ヒマ」を体現しているのだ。まさに「B-BOYブンガク」(スチャダラパーの曲)。
☆故に今でも「オモロ・ラップ」派
スチャダラパーと出会い、スチャダラパーをちょっと掘り下げてみると、グループ名の由来「スチャダラ」は、あの演劇ユニット:ラジカル・ガジベリビンバ・システムの公演「スチャダラ」から拝借していることを知る(後に宮沢章夫氏の「スチャダラ2010」にはスチャダラパーの3人が出演)。
他にも
コロコロコミック派だったあの頃が蘇る曲。イエーイ!コロコロ大好きー!
SFC版「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」のCM曲。
スチャダラパーの名を世に知らしめた「123を待たずに16小節の旅が始まる」あのド名曲。
今でも旅の時には脳内で必ず流れる、渋谷系の流れからも語られることが多かったLB Naiton(Little Bird Nation:ヒップホップグループ・クラン)の「Get Up And Dance」。この曲に釣られて「ポンキッキーズ」も観てしまってました。
サブカル文脈的にもニヤニヤしながらその活動を追えるスチャダラパー。サブカル好きで、順調にサブカルクソおじさんに至っている私がハマらないわけがない。
かくして、私が好きな「ヒップホップ」は、怒りや反抗心や攻撃を出自にしたオールドスクールかつハードコアな、歴史的にも文化的にもオリジナルな派閥の方ではなく、デ・ラ・ソウル(De La Soul)などに端を発した「楽しげ」な「オモロ・ラップ」になってしまったのだった。
…
はい、以上。2023年昨今、季節外れの猛暑日が訪れていることもあり、暑い日に脳内で流れるアンセムからスタートした今回のスチャダラパー回で御座いました。
どっぷりとモラトリアム(執行猶予)の沼にハマっていた大学時代。まだまだ音楽ネタは尽きません。次はどのシーンを、何の曲を、どのココロ震わせたタイミングを書こうかしらん。
それでは皆さん、また次の「音楽夜話」でお逢いしましょう。
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