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ピコピコ中年「音楽夜話」~愛すべき生まれて育ってくサークル。サークルで出会えた音楽達

「確かに俺はBeatlesを全曲聴いていないけれど…。じゃあ、例えば、夏目漱石の作品を全部読破していなければ、漱石について何も語ってはいけないのかい?」

そこかしこでウェーイ!と酒を酌み交わす大学生達で混み合う、大学そばの年季のはいったロッジ風な飲食店。私はT君に問いかけた。少し「怒り」の感情も混じっていたように思う。

「何もではないけれど、”正確に”語ることはできないよね」

そうT君は冷静に応えた。珍しく感情的に「言論統制だ!言葉狩りだ!」と騒ぎ立てたくもなったが、頭のどこかでは「全くもって至極まっとうな意見だよな」ということを理解している自分もいた。

オタクとは斯くも因果な存在か。はたまた「批評」「評論」ということの難しさか。

結局、この「語るなら、自分が把握できる全てを知ってから語れ」という考え方は、後に専攻した社会学でも役にたってくれたし、私のオタク人生においてはある種の「縛り」となった。

まぁ、平たく言えば、ニワカ語りに異様なまでの抵抗感を抱くヒネクレ男子の誕生であった。だから今でも、興味の全くないニワカな事象について、私は語る言葉を持っていないと思ってしまうし、「頑張れ日本!」といったニワカな感じの盛り上がりには我関せずを貫いている。

事の発端は「音楽研究会」というサークルへの加入だった。

想像していたより、かなりフォークソング的で四畳半的な感じで大学生活がスタートしたが、私はどうにもオサレでキラキラでグルーヴィなウキウキ☆大学生活が諦めきれず「サークル」への加入を画策する。

地方の国立大あるあるなのかもしれないが、自身が所属する学部内では地元出身層を中心としたキャッキャウフフした現役合格者グループと浪人生を含むその他大勢、という2つグループが自然発生していた。

もちろん浪人生、かつ他県出身者である私はマイノリティ側である。

そんなこんなで身を寄せ合うように集まった浪人生グループ。そのメンバーF君がもたらしてくれた「このサークルは飲み会だけの参加でもいいらしい」という情報を元に、下心モロ出し無修正で「テニスサークル」に加入してみた。

しかし、面白可笑しい同性の友人や親友、そして大変お世話になった同性の先輩と知り合えはしたものの、イメージしていたキャッキャウフフとは全くの無縁な結果であった。

森見登美彦さんの小説「四畳半神話大系」で、キャッキャウフフしたサークルのメンバーに鉄槌を喰らわそうと、川の向こう岸からロケット花火で狙い撃つ主人公と小津のようなグループが出来上がった、というと伝わりやすいだろうか。

そうこうしているうちに、キャッキャウフフ的キャンパスライフへの憧れも少し落ち着きをみせる。そして鎌首をもたげる「であれば、大好きな音楽にまつわる何かをしたい!」という欲求。

その欲求の果てに見つけたのが「音楽研究会」というサークルだった。

今思い返せば、その出会いも時代を感じさせるアナログなものだが、男臭い理系学部棟近くにあった学食。そこにはサークルというよりも同好会に近いような、少人数で楽しんでいる数々の集まりの記録を記したノートが置いてあった。

その集まりに参加したければそのノートに自己紹介文を書く。という、これまたアナログな手法で参加を表明するシステムで運営されていたノート棚の中に「音楽研究会」のノートを見つけたのだ。

ノートを開いてみると、研究会の発起人は自分と同じく文系。なんなら自分と同じ人文学部の人も所属していた。そして、活動内容は「音楽について語り、批評する」こと。どうやら同人誌的な冊子を作っているらしい。

明らかに雑誌ロッキンオンやミュージック・ライフ、クロスビートの読者であることを匂わせるようなその文言にビクンビクンと反応した。楽器を練習しバンドを結成することは高校時代に諦めた私である。毎月楽しみに楽しみにロッキンオンとロッキンオンJAPANを読んでいる私である。その場で即、自己紹介を記入したのだった。

そして、冒頭の会話へと至る…。


☆「音楽研究会」キッカケで出会った音楽達

「音楽研究会」

このサークルへ加入したことで、私は自動的に様々なジャンルの音楽に触れることができた。今思い返しても、良いサークルだったよT君。

私と同じく渋谷系を追いかけていたN女史からは、THE YELLOW MONKEYを激しくオススメされ、何度か彼らが開催した新潟でのライブを見に行った。

今でも個人的にカラオケの十八番である「Love Communication」。

V系バンドにも造詣が深いTさんは、うる星やつらのラムちゃん大好きオタクシンガーマシュー・スイートやデヴィッド・ボウイの素晴らしさを教えてくれた。

マシューさんの「GIRLFRIEND」なんて、今聴いても全然色あせていない。今風に言うならば「エモい」。

David Bowie「LET’S DANCE」。後にこの曲を聴くと、鳥肌実氏を思い出してしまうようになるとは、当時は思いもよらなかったなぁ…(笑)

そして共にスチャダラパーやテクノの話で盛り上がっていたFさんは、樹状的にヒップホップやR&B、そしてクラブミュージックを掘り下げていった。

スチャダラパーなどの日本語ラップのミュージシャンについては、思い入れが強い部分もあり、別途別記事で書こうと思いますが…。

Fさん。Def Jam Recordingsのアーティストを手あたり次第に聴き、より粘着質的なグルーヴを求めてデトロイトのファンクの大物、早すぎたパーティピープルおじさんジョージ・クリントンのPファンクに至り。

ちなみに話が脱線するけれども、漫画・アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公ぼっちちゃんが、一人場を盛り上げようと空回りしている、こちらのシーン…

ジョージ・クリントンを思わせる星形のサングラス(笑)

このシーンを観て「あ、ジョージ・クリントン!」と思ったら、同じ感想を抱いていた方がツイートしていて「音楽っていいよね…」って改めて思いました。ファンクは偉大なり。

閑話休題。

Fさんの音楽への想いは凄まじく、Pファンクと同時にテクノ方面にも着手。

ド定番なUnderworld。

松本零士先生のご冥福を改めてお祈りするDaft Punk。

もちろんケミカル・ブラザーズや

電気グルーヴを取り上げた際に、改めて語ることになりそうなケン・イシイまで。私も共に聴き、盛り上がったメモリー。

ちなみに最終的に実家住まいだったFさん。自宅をリフォームするというタイミングがあった際、親にワガママを言って自分用のDJブースを作ってしまったほどクラブミュージックに傾倒。

さらにちなみに本格的にDJとなったFさんの強い希望もあり、後に「音楽研究会」は学園祭でCDJを用いたクラブイベントを開催することとなる。

まぁ、クラブイベントと言っても、音楽研究会メンバーが愛する曲を素人モロ出しでブチブチに曲をぶった切りながら流すというアレでしたけれども…。

その際、私はお恥ずかしながら、その当時良く聞いていたガバ(ハードコアテクノの一種)を流しました。BPMが200越える速さなので、ガバ同士を繋げば曲間の繋ぎ下手を誤魔化せるかも…という消極的な理由もあり(笑)

ちなみにDJプレイした1曲。Hammer Brosで「Here I am」。

暴力的なスピードのビートにのせて「高橋名人!」「ゲームは一日一時間」「Welcome to 冒険島」「僕らの仕事はもちろん勉強、成績上がればゲームも楽しい」「外で遊ぼう元気よく」といった高橋名人語録が挿入されるという素敵な楽曲。

まぁ…、何と言うか、ゲームもアホほどプレイしていましたし、後に「ピコピコ中年」を表明するのも頷ける1曲ではないでしょうか(他人事ズラで)

…。

はい、以上。本当はまだまだ紹介したアーティストや楽曲がてんこ盛りではありますが、「音楽研究会」通称:音研での音楽との出会いで御座いました。

どっぷりとモラトリアム(執行猶予)の沼にハマっていた大学時代。まだまだ音楽ネタは尽きません。次はどのシーンを、何の曲を、どのココロ震わせたタイミングを書こうかしらん。

それでは皆さん、また次の「音楽夜話」でお逢いしましょう。

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