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閉じ込めた日々を瘡蓋で綴じて

こちらは前作「僕は道端の小石に話しかけている」と関連した話になっています。
そのため、まずは前作からお読みいただくことを推奨しております。

 私には、忘れられない「ある出来事」がある。
 それは今まで誰にも言えなくて、自分で思い出すことすら憚られる類のものだ。
 意図せず思い出した時は辛かったし、忘れてしまいたいと心の底から思っていた。どうにかして過去の痛みを消せるなら、どんな方法にでも縋ったと思う。
 だけどあれから大分時間が経った今では、その傷も少し癒えたのかもしれない。時間が解決してくれるという言葉は、ちょっとだけ本当なのかもしれない。
 それでもやっぱり今でも誰にも言えないし、言いたくない。だから自分だけが見れるこの日記で、あの時のことを書いてみることにした。

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 古明地こいしは珍しく自室に籠り、こうして一人で日記を書いていた。
部屋の明かりは点けず、机上のテーブルランプだけを灯して、紙面を少しずつ埋めていく。
 しんとした部屋の中で聞こえるのは、彼女が文字を綴る微かな音だけだ。
真剣な目で紙面を見つめながら、彼女は過去の記憶の扉をそっと開き始める。

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 私は覚の中でも変な子で、浮いている存在だったのは自覚している。
 何故なら、人間が好きで、一切人間を脅かしに行こうとしなかったから。

 私は妖怪だ。本来、妖怪と人間は相容れない存在。それでも私は人間が好きだった。
 人間って面白い。色んな感情を持っているから。まるで万華鏡のようにコロコロと変化する。それは心を読まなくても分かることだった。
 だけど、心を読まなくても分かる分、心の中はとても複雑だった。表と裏で感情が違うこともあるし、覗かなきゃよかったと思うこともしばしばあった。そういった経験が多くなってくると、私は段々と人間の心を読むことに対して苦手意識を覚えるようになった。
 心を読まなくてもきっと、人間と話すことはできると思うのに。
 人間を怯えさせる立場である妖怪でありながら、私はそう思っていた。
 そして、そう思うにつれて、私は人間の恐怖心を利用する妖怪の在り方も苦手になってしまった。そんなことを言っていたら、人食い妖怪が人間を食べないのと同じで、生きていけなくなってしまうのだけど。
 だから私は、自分からは人間を怖がらせに行くのをやめてしまった。ただ、この本音が伝わってしまえば確実に集団から追い出されてしまうから、表面上は「人間の心を覗くのがつまらない」という感じにしていたのだけどね。これは、ずっと私の味方でいてくれたお姉ちゃんですら知らない私の秘密。
 こいしは覚としてのやるべきことをやらない怠惰な子。ただ、覚として実に優秀な姉が妹を手放さないから追い出せない。仕方なくここに置いてあげてるけど極力関わらないようにする。かつていた集団では、私はそんな風に思われていたみたい。そりゃ、他の覚が自力で得てきた恐怖心をつまみ食いして生存しているようなものだもん。お荷物だから煙たがられるのも当たり前なんだけど。
 そんな感じで、私は浮いていて、集団の中ではほとんど孤立していた。

 それでも私が平気でいられたのは、集団とは別の所に居場所があったから。
 私は妖怪という素性を隠して、よく人間の子どもと遊んでいた。心を読むこともないし、ただただ目の前のことを楽しくできるその空間が大好きだった。
 あの子が輪の中に引き入れてくれなかったら、日々をどうやって過ごしたらいいかも分からなかったかもしれない。

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 そこまで書いて、こいしは一旦手を止めた。
 「あの子」。彼女はその子との出会いを、今でも鮮明に覚えていた。それこそ忘れられるはずがなかった。
 彼女の退屈な日常を鮮やかに彩ってくれたのは子どもたちで、その子の言葉がなければこいしは永遠に色褪せたような日々を送っていたかもしれないのだ。
 彼女はふと天井を見上げ、その時のことを思い出していた。

 そして暫くして、彼女はそのことを綴り始める。

 +

 それまでの私の日常といえば、山のあちこちや麓の人里の周辺をふらふらと散歩することくらいしかやることがなかった。山の巡る四季の風景や空気を感じるのは心地よかったし、癒された。何度も通ううちに自分だけの特等席を見つけることもあって、楽しかった。人里付近の散歩も、誰かに話しかけることはできなかったけど、多くの人の色んな表情を観察するのは面白かった。
 でも、それだけだった。それ以上のものは何もなかった。刺激が停滞すればやがて退屈になるし、感情も良くも悪くも凪いでゆく。飽きもする。だけど、それ以上に日常を変えようがなかった。
 そんな時に、あの子が現れた。

 その日に私が散歩していたのは、人里からそう遠く離れていない、少し広めの原っぱだった。そこではよく子どもが遊んでいるのを知っていたから、ここには時々来ていた。陰からそっと、様子を見るだけなんだけど。
 かつて心を読んでいた時から、人間の子どもは大体思ったことを表に出している傾向があるのは分かっていた。だから、見ていて安心というか、落ち着くというか、そんな感情を抱けるような気がしていた。
 確か「今日も皆で楽しそうだなぁ」とか思いながら、ぼうっとして様子を見ていた。
 そうしたら、突然近くで声が聞こえたんだ。
 「こんなところでどうしたの?」って。
 びっくりしてその声の方向を見たら、一人の男の子がきょとんとした顔でそこに立っていた。それがあの子。多分その子からすれば、皆の中に入らずに一人、陰からこっそり見ていたのが不思議だったんだろう。
 まさか人間に見つかるなんて、と思った私はその場からすぐに立ち去ろうとしたけど、同時にあることに気付いた。この子、何で妖怪の私を見ても怖がらないんだろうって。
 その時、私は自分でサードアイを服の中に仕舞っていたことを思い出した。外に出ていたらどうしても人間の心を読み取ってしまうから、日頃から外に出さないようにしていた。
 もしかしたらサードアイを仕舞ってしまえば、私も人間の女の子に見えなくないのかもしれない。
 そう思って「皆で遊ぶの、楽しそうだなって」って私は言った。
 その子は「じゃあいっしょに遊ぼうよ」って、腕を引っ張って輪に入れてくれた。
 それが、楽しい日々の始まりだった。

 そこにいた子どもたちは幼い子ばかりで、輪に交じった途端に私は「緑のお姉ちゃん」と呼ばれ始めた。皆、私を妖怪だと疑うことなく慕ってくれたのが嬉しかった。
 覚の中では私が一番の末っ子で、しかも歳も離れていたから、こうして大人数で遊ぶということがほぼなかった。だからこそ、同世代の仲間と一緒に楽しく遊んでいる人里の子たちが羨ましかったところもあったと思う。
 でも今は、その子たちに交じって一緒に遊んでいる。その事実だけでも、嬉しくなるには十分だった。
 この日から私は散歩をやめて、その原っぱに通い始めた。大体原っぱにいるのはいつも同じ子で、数回通えば私も名前と顔は覚えたし、あだ名で呼ぶ子も何人かいたくらいだ。元気いっぱいな子もいれば、ちょっと大人しめな子もいた。そんな子どもたちの輝く表情を見ながら遊ぶのは、退屈のたの字も出てこないくらいには楽しかった。
 そして色んな遊びをした。追いかけっこの類のものだったり、時々皆が家から遊び道具を持ってきてくれた時はそれを使って遊んだり。同じ遊びをしていても、その日の子どもによって全く違ったものになるその感覚も面白かった。全く飽きることもなかった。
 あの子のお陰で、私の日常は刺激に溢れた素敵な日々になった。
 そんな日々がずっと続けばいいなと、この時の私は思っていた。

 +

 「あの子」を思い出しているこいしは、どこか懐かしい笑みを浮かべたような表情をしていた。暖色の明かりに照らされたその表情は、どこか愛の面影があった。それは自身の愛する出来事へのものか、はたまた兄弟のように時間を共にした少年へのものか。それは彼女にしか分からない。
 しかし、その表情がまたふと変化する。
 ぴたりと止まった手は一度机に伏せられ、そこにペンが置かれた。そして、紙面を真っ直ぐ見ていた瞳はゆっくりと閉じられる。すぅ、と軽く息を吸う音がした少し後、彼女ははぁ、とその息を静かに吐いた。
 再度ゆっくり開かれたその瞳には、切なさの滲んだ光が浮かんでいる。

 +

 人里の子どもと遊び始めてから、何日経った頃だったかな。もうすぐ解散する頃合いだと思っていたその時、私に声をかけてくれたあの子の名前を呼ぶ声が背後から聞こえた。
 そしたら、あの子は「あっ、お兄ちゃん!」って、また違った笑顔を見せて、そのお兄さんに手を大きく振っていた。あの子を迎えに来たお兄さんはこちらに近付いてきて、ふと私に気付いた。
 「今まで見かけたことない子だね、君も里の子?」と彼が訊いてきた時はどう答えようかと思ったけど、あの子が「こいしちゃんは最近いっしょに遊ぶようになったんだよ!」とすぐに言ってくれたから、あの時は救われたなぁ。
 てっきり疑われてるのかと思ったけど、お兄さんも弟の言葉をそのまま受け入れたみたいで、その後特に何かを探られるようなこともなかった。その日はあの子はお兄さんに連れられて家に帰っていったし、残りの私たちも各々帰るべき場所へ帰った。

 でも、それから私とお兄さんの関わりが少しずつ増えていった。
 お兄さんは数日に一回くらい、夕方になるとあの子を迎えに来ていた。
 あの子とお兄さんは歳の差がある兄弟らしく、外見だけでも「子どもと大人の間」くらいの印象を受けた。本当は妖怪である私の方がずっと歳は上だけど、私は人間で換算すれば、子どもたちより少し上なくらい。だから、あのお兄さんよりは下という設定にはなる。
 それでも私が子どもたちの「お姉さん」であることに変わりはないから、子どもを見守る存在同士としてよく話すようになった。
 「〇〇ちゃんはこれが得意だよね」とか、「〇〇はああ見えて照れ屋さんだよね」とか、思っていたことを共有したり、子どもたちのことを教えてもらったりした。普段は見ることのない人里での様子を聞けたのは面白かったし、外側から改めて知るのは人間観察的にも新しい視点だった。子どもは内側から見ても外側から見ても本当に飽きない。
 それが楽しくて、私はお兄さんに会うと毎回何かしら話すようになった。

 まさか、こうして人間と話せる日が本当に来るとは思わなかった。
 本来は心を読んで、人間を脅かす存在。そんな覚である私が。
 一切心を読まずに、相手に恐怖心を与えることもなく、ちゃんと会話をしている。
 覚としては明らかに失格だろうけど、それでも私は嬉しかった。

 そして、そんな風に話していくうちに、話題は子どもたちのことに限らなくなった。時々、お兄さんの人里での日常話も飛び出すようになった。私も、今まで散歩で見てきた風景の話をするようになった。
 そうやって日々少しずつ話していくうちに、私は気付いてしまった。
 私はこの人のことが好きなのだと。
 それが、どういう類の「好き」であったのかは、未だによく分からない。だけど、お兄さんのことを好きであるという感情そのものは決して揺るぐことのないものだった。
 他人をよく見ているところや、頷いて話をきちんと聞いてくれるところ。多分、そういったところに、いつの間にか惹かれていたのだと思う。
 そんな、恋心の前後に位置するような感情を秘めながら、私はこの人と日々会話をしていた。

 +

 ここまで書き終えたこいしの顔がきゅっと歪んだ。眉間に少し皺が寄っていた。
 それは、苦しさを堪えているかのような表情だった。
 ――あぁ、そうだ。こいしは思った。
 私はやっぱり、この人のことが好きだったんだな、と。

 そこから暫く、彼女の手は止まっていた。その手は微かに震えているようにも見えた。
 だが、唇をぎゅっと結び、彼女は再び過去を書き進める。

 +

 ある日、いつものようにあの子のお迎えにきたお兄さんと、少し話をしていた。その日に何を話していたかはもう覚えていないけれど、その日もきっと他愛ない日常話をしていたのだろうと思う。
 あの子が十分に子どもたち同士で遊び終わって、「お兄ちゃーん!」とこちらに駆け寄ってきた。私たちにとってはそれが会話終了の合図で、普段ならその後すぐ「それじゃあまた」って、この人は帰路につくはずだった。
 それなのにこの日は、その場で立ち止まっていた。そして「こいしちゃん」と言った。
 「近いうちに二人で会えないか」彼はそう言ってきたのだ。
 そんなことを言われたのは勿論初めてで、正直、どうしたらいいのか分からなかった。でもお兄さんに惹かれていた私に、誘いを断るという選択肢は存在していなかった。
 戸惑いつつも私はそれに頷いて、後日、人里のはずれで会う約束をした。

 呼び出された時間は夜で、案の定里の人気は少なくなっていた。サードアイを隠せば一応人間の子どもに見えなくもない私だったけど、それでもやはり人里にいれば目立ってしまうことに変わりはなかった。だから、人が少なくて見つかりにくい夜に会うというのはこちらにとっても都合がよかった。
 前回人里に入ったのはずっと前のことだったから、久しぶりに足を踏み入れることに少しドキドキしていた。
 ただ、ドキドキしていた理由はそれだけじゃなかったはずだ。
 明かりがあまりない中で、私はお兄さんの待つ場所へ向かった。そろそろかな、というところで、誰かが一人そこに立っているのを見つけた。
 お兄さん、一体何の用だろう。子どもたちには内緒の話なのかな。
 「お兄さん」と私はその人に話しかけた。
 「あぁ、こいしちゃん」とお兄さんが言った。――

 +

「っ――!」
 カタンッ!
 こいしの手からペンが、音を立てて机に落ちた。実際はそれだけの音なのに、それは部屋中に大きく響いたかのように聞こえた。
 その後は、彼女が荒く呼吸をする音だけが聞こえていた。
 ――あぁ、今でも痛いか。
 彼女の震える両手は胸部をぎゅっと握っていた。
 ――こんなことしてまで、思い出さなきゃいけないかな。
 彼女は両目を強く瞑っていた。
 ――でも、
 しかし、暫くしてその力がふっと緩んだ。
 ――このことを、このままの記憶にしたくない。
 こいしは一つ、深呼吸をした。そして再び紙面を見る。ペンが滑った弾みで、余計な線が一つそこに入ってしまっていた。
 それを少しの間見つめた後、彼女はペンを持ち直した。

 ここから少し、彼女の回想をお届けしよう――。

 *

 彼がこいしの名前を呼んだ直後、こいしは視界がぐるっと回ったような感覚を抱いた。それが、強く手を引かれた後に建物の壁に押し付けられていたのだということに気付いたのは、そうなってから数秒後のことだった。
『お、お兄さん……?』
 こいしは震える声でそう言うことしかできなかった。月明りで微かに見えたその表情には、いつもの優しい面影などどこにもなかった。無表情だったその顔がフッと緩んだ後、彼はこう言い放ったのだ。
『ずっとこの時を待ってたんだよ』
 そして、彼はこいしの頬を思い切り殴った。その衝撃で、彼女は地面に倒れ込んだ。もう、何が何だか分からなかった。彼がどうしてそんなことをするのか。理解などできなかった。
 しかし、このままでは何をされるか分かったものではなかった。
 ――逃げなきゃ。
 瞬時にそう思ったこいしは、その場から逃げようと立ち上がった。だがそれも束の間、少年は素早く彼女の片腕を掴んで阻止する。
『逃がすわけないだろ、折角この機会を作れたってのに』
 普段と同じ声のはずなのに、普段よりもずっと低く聞こえたその声に、こいしは思わずびくっとした。腕を掴む力は思いの外強く、どうやっても振り解けそうになかった。
 ――どうしよう、このままじゃ、
 絶望しかけたその時、こいしの頭の中に言葉が浮かんできた。
《こいし、自分の身は自分で守るのよ。私たちは覚。人間はどうやっても、心を読める私たちには敵わない》
 かつて、姉が幼いこいしに向けて言った言葉だった。
 こいしは掴まれていない方の手を服の中に入れ、人間の前ではずっと表に出していなかったサードアイを取り出した。
『えっ?』
 こいしの思わぬ行動に少年は油断した。その隙を見逃さなかった彼女は即座に彼の足を思い切り踏みつけた。声を上げて痛がった瞬間に腕を掴む力が緩んだので、こいしはその手を振り払って彼から距離をとった。
 そして、サードアイで彼を見つめる。
《弱い者は支配してあげなきゃいけないんだ》
《俺は支配される側の人間じゃない》
《今まで優しくしてきたのも、こうして油断させるためだった》
《どうせ里では見ない奴だから、何してもばれないと思ったのに》
《反撃されるのは予想外だったが、また捕まえれば――》
 そうして聞こえてきたのは、彼女が今まで一番聞きたくなかった、人間の裏側の発言だった。
 ずっと優しかったあの姿は、上っ面に過ぎなかったのだ。
『……そう、私が弱者だと思って、支配しようとしてたのね』
 こいしは呟くようにそう言った。
『なっ……!?』
 暗い場所に呼び出したことが仇となり、どうやら彼女が巷で噂の覚妖怪であることはまだ気付いていないようだった。突然心を読まれたことに驚くしかない彼を前にして、こいしは続けた。
『お兄さんが何を考えているのか、今の私には分かる』
 そして再びサードアイに意識を集中させ、心の奥底を読み取る。そこからトラウマを引き出してぶつけるのが、彼女の姉の得意とすることだった。
 本当はそんなことはやりたくなかったこいしだったが、今は必死だった。
 サードアイから見えたのは、彼の両親らしき人から暴力を振るわれている少年の姿だった。そのことがきっかけで、どうやら「弱い者は支配されるから、支配する側に回らないといけない」という思考になってしまっているらしかった。
『……あなたは親に支配されているのね』
 こいしは一歩彼に近付いた。少年は一歩後ずさった。
『それで誰かを支配しなきゃ生きていけなくなったのね』
 またこいしは一歩近付き、少年は一歩後ずさる。
『――可哀想に。』
 そこでようやく、彼は噂で聞いていた覚妖怪の存在を思い出したようだった。
『おま……っ、まさか……!?』
 さらに後ずさった彼は、後ろを見ていなかったせいで建物にどんとぶつかった。目の前の異質な存在が今度は自分を追い詰めてくる気がして、彼は思わず叫んだ。
『こっ……この化け物ッ!!』
 叫んだ瞬間、こいしは思わず怯んだ。その隙を見て少年は「うわぁぁあ!!」と叫びながら、その場から危なっかしい走り方で逃げ出した。
 その少年の声で、人々が家の外を窺い始める気配がした。
 ――とにかく、今はここから離れなきゃ。
 こいしは震える足でなんとか走り、人里から離れた。

 それから暫く走り、丁度人里と山の集落の場所の真ん中ほど。そこでこいしはふらふらとした足取りで何歩か歩いた直後、へたりとその場に座り込んだ。
 心を読んでいる間は、まるで姉か何かに取り憑かれていたかのようだったのだ。必死すぎて、自分が何を言ったかさえほぼ覚えていなかった。
 ただ彼女の頭に残っているのは、優しくて好きだったお兄さんが、心の中ではあんなことを考えていたこと。
 そして、
《この化け物ッ!!》
 はっきりと、こいしに向かってそう言ったことだった。
『……化け物、か』
 彼の言葉をこいしは復唱した。その時微かに見えた、怯えた表情を思い出した。同時に胸に激しい痛みが襲いかかった。
『…………ははっ、』
 ――少し前まで、あれだけ優しくて、話してる時が一番好きだったのにな。
『あはは……っ』
 ――心なんて読まなくたって、きちんと話せていたのにな。
『……うぁぁぁぁあ……っ!!』
 ――もう、二度と戻れないんだな。
 こいしは声を上げて泣き始めた。読みたくなかった心を読んでしまったこと。好きだった人の裏側を知ってしまったこと。好きだった人に拒絶されてしまったこと。もう二度とあの子どもたちと遊べないこと。もう二度と、あの楽しかった日々には戻れないこと。
 いくら防衛手段として使った覚としての力でも、その結果として楽しかった日々を壊してしまったのも事実だった。
 ――やっぱり、人間の心を読んだって、何もいいことなんてないじゃないか。
 ――どうして私は覚なんだろう。どうして私は人間じゃなかったんだろう。
 ――覚としても、人間としても、どうやったって生きられないのなら、

 ――私にはこんなもの、もういらない。

 こいしがそう思った瞬間、サードアイに鋭い痛みが走った。サードアイの瞼の内側から糸のようなものが生え、それは瞳を閉じるように瞼を縫い付けてゆく。その様子はまるで薔薇の棘が巻きついていくようだった。痛みに思わず体を震わせながらも、こいしはその様子を止めることなくただただ見つめていた。
 ――もうこれで、何も見なくていいんだな。
 その安堵感と共に、こいしは「はは……」と乾いた声で微かに笑った。

 *

 その様子を思い出しつつ書いていた現実の彼女も、涙を零しながら手を動かしていたようだった。日記の文字が涙で滲んでいる箇所がいくつかあったからだ。
 それでも最後までそのことを書き切った彼女は、疲れてしまったのか机に突っ伏して静かに寝てしまっていた。
 寝るために机の端に避けられていた彼女の日記は、こう締め括られていた。

 +

 確かに、あの時は辛かった。本当に消えるつもりで私は瞳を閉じた。
 でも、お姉ちゃんが幻想郷という場所を見つけてくれたお陰で、今私はこうして生きていられてる。
 あの出来事がなかったら、私はあの時の退屈な日々をずっと繰り返していたのかもしれない。そう思うと、結果的に幻想郷に来れてよかったと思うところはあったりする。
 ここでは、私が妖怪でいても皆が受け入れて接してくれる。ありのままでいても日々を過ごせる。
 もう閉じた瞳は自分でも戻せないけど、あの時のことを「悪」にするのはもうやめたいと思ったんだ。

 ねぇ、お姉ちゃん。そして、過去の私。
 私、今、ちゃんと幸せな日々を過ごしてるよ。

 fin.

《後書き》
3か月越しのこいしの続編です。長かった。マジ長かった。
書いても書いても全く納得できず、書いては消しの繰り返しでした。一人称や三人称で試しても、ストーリーの順番入れ替えても全く腑に落ちず。
で、ようやく思い付いたのが「日記」。
こいしが日記を書いている設定で書いたら、めちゃくちゃすんなり書けました。3か月悩んでたのが2日で書けました。何だこれ。
因みに次からは普通の書き方に戻ります。今回だけ特別。

こいしが瞳を閉じた理由って、それ相応のショックじゃないと難しいだろうなぁという思いが私の中でありまして。
本当は「恋した人に化け物扱いされたから」という感じに考えていたのですが、結果的にそれに「やりたくなかった『心を読むこと』を好きな人にした挙句、一番聞きたくなかった内容を聞いてしまった」というのがプラスされた感じです。書いてて我ながらめっちゃ残酷。こいしファンの方マジでごめんなさい。

ただ、本来はこいしの瞳が閉じたシーンで終わりの予定でした。
それが日記になったことで、今回の最後のシーンが追加されています。前回のさとりのセリフが伏線みたいになりました。勿論当初はそんな予定はなかった。
どうしよう、後書き書くの難しいからこの辺で終わりにします。

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ここまでご覧いただきありがとうございました。

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