無題/戦争画をテーマにした物語(第3部のつもり②)
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その週末、私と陽子、それから平澤君(喫茶店に呼び出して、どうにかこうにか伝えた)は新潟へ行って、青海君の葬儀に参列した。
彼がアトリエ代わりにもした拝殿で、我々3人は友人として、前のほうの席に座らせてもらった。神式の祭壇には小さな白木の箱が置かれ、傍らに軍服姿の青海君の遺影、そしてぼろぼろの画帖と絵具箱が並べられていた。「俺達が贈ったやつだ、こっちに届いてよかったな」などと思いながら祭壇をぼんやり眺めているうちに式はどんどん進んでいって、いつの間にか終わっていた。すすり泣きも悔みの話し声も聞こえたし、陽子の背中を見て「あれは婚約者だったのか」などという人のひそひそ話も耳に入った。弔辞を読む人の声はやたらよく通るはっきりした声だったが、なんだか靄がかかった中で執り行われているように思えていた。
葬儀の前と後は、それなりに慌ただしくしていた。平澤君が気丈に「手伝わせてください」と声をあげてわざと忙しくしていることを選んだから私もそれに便乗したが、彼がいなかったらきっと私は何もしなかっただろう。とにかくひとりになりたくてどうしようもなかったから、手伝うべき時には姿を消したりしていたかもしれない。
葬儀の後、我々はいつものように青海君の実家に泊めてもらうことになっていた。平澤君は実に6年ぶりだ。東京から駆けつけたみづいさん(浜名さんは残念ながら都合がつかなかった)をはじめ、村上の下宿先から戻って葬儀に参列した甥の雅之君、1年半の間にさらに印象を変えた姪の澄世ちゃん、そして真柄さんも一緒になって夕食をいただいた。
「本当に、今回はお招きいただいてありがとうございました。私はもう、こちらのお宅との縁はなくなってしまったのに」
陽子がそう言って、深々と頭を下げた。「お陰様で、最後のお別れができました」
「そんなこと言わないで」
そう返したのはみづいさんだ。「遠いけど、あなたが来たくなったら好きな時に来ればいいのよ。そうすれば、晴久もあなたに会えるでしょう?」
「そうらよ、新潟にも実家ができたと思うてさ」お母さんが涙を拭いながら言った。「一度は私達の娘になろうかとしてくれたんだすけ、簡単にお別れなんかいうたら切ねえねっかて。
ほんにね、この子にお嫁に来てほしかった。『二足の草鞋だ』言うてたあの子こと支えて、夫唱婦随で頑張ってるとこを見たかった。
それでもさ。東京でいい人を見つけて幸せになってくんなせ、そうせばあの子も安心するすけ。おめさんが旦那さん連れて家に来たって、私達は笑うて迎えてやるこてね」
しかし、みづいさんはこう吐き出した。「浜名がね、言ってたのよ。『陽子ちゃんの助けで、晴久君はもっと活躍できたはずなんだ。戦争になんてなってなかったらふたりはとっくに結婚して、彼は新潟の芸術界に足跡を残すべく動き始めていただろう』って。
本当にね、どうしてこんなことになっちゃうのかしらね」
澄世ちゃんと一緒に何度もモデルをつとめていた雅之君は、少し照れくさそうに「優しくて強い叔父さんに憧れていた」と言った。雅之君は水彩画に取り組んでおり、叔父譲りの腕前を学校で披露することがあるという。最近は戦意高揚のための絵を描かされることが増えてきて、そんなポスターのコンクールなどもあった。そして(不本意ながら、だろう)優勝した。
「ここだけの話らけど」とかすかな声で前置きした後、雅之君は「叔父さんなら、あんげ絵は描きたがらないろうな」と呟いた。
「そうだな。俺も大畑もそうだよ、もっと明るい題材で描きたい、って思うくちだ。俺は絵をやめて商売人になっちゃったけど」
平澤君の声が、へんに優しく深みを増したように聞こえたのは、やはり父親になったからか。「雅之君はどうだ、どんな絵を描きたいんだ?」
「風景画が描きたいです。郷土の自然とか街並みとか、そういうのが描きたい。いい景色がいっぺことあるてがんに、今そんげこと言うてたら怒られます」
「きれいな絵を描きたいと思うのは心がきれいな証拠だよ」と声をかけてやりたくなったが、さすがにそんな気障な台詞を吐く勇気はない。しかしこの雅之君にも青海君と同じ心がある、と感じた。穏やかな物腰はきっと彼のご両親譲り、青海家の男子の特徴でもあるのかもしれない。
青海君も、上京前はこんな風にちょっとはにかむような表情を浮かべる少年だったかもしれない、でも悩みながらも強くなった。雅之君もきっとこれから、きれいな心を捨てなかったという形で自らの強さを証明してみせた彼の叔父さんのように、強さと優しさを併せ持った青年になるはずだ。
「私、心残りがあるの」
こんどは澄世ちゃんだ。みづいさんへの憧れの裏返しか、訛りは仕方ないとしてもなんとか方言を使わないように頑張っているところが可愛らしい。
「4年生の時、夏休みに叔父さんが帰ってきてた時にね。算数の宿題につき合ってもらう代わりにモデルをやる、って約束したの」
当時、澄世ちゃんは算数を大の苦手としていた。なかなかはかどらなかったが青海君は嫌な顔ひとつせず、居間の座卓の上に帳面を広げた彼女の傍らに腰を下ろし、長い時間勉強をみてくれた。
澄世ちゃんは「答えを教えてくれればいいのに」「『もういいよ、後にすれば』って言ってくれればいいのに」と期待していたが、青海君はヒントを与える代わりに正答を告げたりはしなかった。彼女はいらいらして意地悪されているような気分になってしまい、目標の1ページ分をやり切ったところで自ら提示した約束を反古にして遊びに行ってしまった。
「叔父さんが亡くなってから『なんで私、あの時遊びに行っちゃったんだろう』って思ったの。叔父さんは神社のお手伝いで忙しかったし、時間があれば一枚でもたくさん描いておきたかったはずなのに。私のほうがよっぽど意地悪だった、遊びで帰ってきてたんじゃないって分かってたのに」
「君の叔父さんは、そんなことを根に持つような男じゃないよ」
「そうよ。彼は優しい人だったわ、分かるでしょ?」
私や陽子が声をかけてやると、澄世ちゃんはうなずいて涙を一粒流した。
「でも、『私は叔父さんの絵が大好きだったのに、なんで描いてもらわなかったんだろう』って。私のせいで、叔父さんの作品が一枚少なくなっちゃった。一生懸命描いている時の顔が格好よかったし、いつも素敵な絵に仕上げてくれたし、大好きだったのに。
私、ひどいの。恩知らずなの。夏休みに、叔父さんが私の後押しをして自分の力で解かせてくれたおかげで、2学期から算数が少し好きになって成績も上がったの。でもそんなことすっかり忘れて、叔父さんに一言もお礼を言わなかった。ね、ひどいでしょ?」
「さすがは青海、人の力を引き出す達人だな! 君も恩恵を受けたひとりだったか」
澄世ちゃんに、平澤君がちょっとわざとらしいほどの明るい声で言った。「ここにいる大畑も、もちろん俺もそうだ。俺はこの髪の毛と同じひねくれ者のはねっ返りで、人に刃向かうのが大好きだったのに青海の優しさが伝染しちゃったし、大畑も弱気の虫を退治できた、たまに元に戻っちゃうけどな。
それから、陽子ちゃんも青海の卒業制作でモデルとしての魅力を最大限に発揮した。その作品は我らが母校に残ってるんだ、こんど東京に来ることがあったら見に行こう。俺達が案内してやるから」
彼から受けた恩を忘れずに、そのお陰で得られたものを大事にして生きていくだけでいい、彼は空の上で「その調子」と言ってくれるだろう。それでいいんじゃないか。平澤君はそう伝えたかったのかもしれない。それはそうかもしれないが、「恩返しができない」と嘆く澄世ちゃんの気持ちはよく分かった。
平澤君が言ったように、私も彼と出会い切磋琢磨することで得られた自信や刺激があって、弱気の虫を5割ぐらいは退治できた。卒業制作であれだけの成果を残せたのも、そんな日々、彼や平澤君の存在あってのことだと確信している。平澤君が澄世ちゃんに伝えようとしたことを私もそのまま受け取るとして、自分なりに彼からもたらされたものを大事にして生きていくことが恩返しになるのかもしれないが、それだけではやはり寂しい。
彼と過ごす楽しい時間はもう再現できないし、なにより青海君が青海君自身の人生を歩むことができない。澄世ちゃんが彼の作品について「一枚少なくなった」と言ったが、彼女の行動云々はさておきまさにそれ、だろう。当然ながら彼の作品はこの先一枚たりとも増えることはないし、私の作品が増えたとしても彼の批評を聞くことはできない、平澤君は彼に仕事や家族の話を聞かせてやれない。青海君が生きていれば、我々と彼は互いの人生を見守ったりともに喜んだり、時には意見することもあっただろう。しかし、そんな場面はもう巡ってこない。
この瞬間に、同席していた人すべてが、青海君が死んだという事実をようやく実感したのではないか。店の帳場で新潟からの電話を受けて以来、霧の中を漂っているようだった私も、さすがにその世界から引きずり出された。その場にいたすべての人、彼をかけがえのない存在と認めていた人々とともにしばらくの間、さめざめと泣いた。
今後は青海君を知る人すべてが、彼にまつわる楽しいことを思い出すのと同時に、残酷さや虚無感を噛みしめることになる。素晴らしい友の人生が、そんなものと紐づけされてしまった。それらが覆されることはないのか、せめて想起されるものが違う何かに代わってくれはしないのか。
「こんなおじさんが語ることじゃない、って笑われちゃうかもしれないけどさ」真柄さんがいきなり切り出した。
「晴久は死んじまって、俺達は残された人間、ってことになったわけだ。あの子がこの世に遺していったもの、思いっていうものを背負う立場にもなったんだよな。
俺から見れば、あの子は『上京して絵の勉強をする』って俺のうちに挨拶に来た時とほとんど変わらなかったな、それこそ卒業して帰ってきて、出征する時まで。花嫁まで見つけて、そりゃ大人になったとは思ったけど、根本が一切変わらなかった。大したもんだよ。
そんな晴久が遺していったものはなんだったのか、何を背負ってどう形にしていけば、一番喜ぶのか。そんなことを考えてやらなきゃな、と思うんだ」
「僕もでしょうか?」
そう訊ねた雅之君に「もちろんだ。お前がそれを考える筆頭にならなきゃいけないんじゃないのか」と返した真柄さんは、こう続けた。
「新潟に帰ってきてから晴久なりに一生懸命やってたんだ、でも時間が足りなかったし、運もなかった。これからって時に戦争に巻き込まれちまうんだもの。
きっと、やりたいことが山ほどあっただろう。陽子ちゃんにはそれを手助けしてほしかった、東京の仲間には遠くから応援してほしかったはずだ。もしかしたら雅之にも助けてほしい、と思ってたかもしれないんだぞ。
でも晴久は死んじまった。あの子が何もできなくなったのと同じように、俺達もあの子に何もしてやれなくなった。そこでどうするか、ってことになるわけだろ?」
「はい。僕も叔父さんにはいろいろ教えてほしかったし、いろんな相談もしたと思います。とにかくこの世にいてほしかった」
「そうだろ。俺もさ、関東大震災で東京の仲間がいっぱい死んじゃって、その時にはお前と同じように『この世にいてほしかった』って思ったんだよ、仲間ひとりひとりの顔を思い出すたびに。でもそれはないものねだり、ってものになっちまったんだよ。
とにかく寂しかったし震災のどさくさで仕事もないし、『俺もあいつらのところに行っちまおうか』なんて思ったこともあった。でもそれじゃあ駄目だ、俺が『この世にいてほしかった』と思ってるようにあいつらだってこの世にいたかったんだ、何もできなくてもせめてそれだけは俺が代わりに叶えておいてやろう、って。それで新潟に帰ってきたんだけどさ。
まあ、俺はこれから老いぼれていくしかないけどな。雅之はこれからだろう? お前の人生だからお前が一番いいと思う道を歩んでいけばいいけど、その中にちょっとだけでも晴久の面影が入っていれば、あの子も喜ぶだろう。そういうことだよ」
真柄さんの言葉で、ほんの少しだけ救われたような気がした。これは雅之君だけではなく、澄世ちゃんはもちろん平澤君や私にも向けられた言葉だったのだろう。
この時、へんに穏やかであたたかな気持ちになっていることが、不思議で仕方なかった。彼を送ることによってこんな空気がもたらされたのはなんとも悲しいが、将来がまったく見通せない日々はこれからも続くのだしもっとひどくなる可能性だってある。それでもせめてこの夜だけは、こういうあたたかな気持ちの中に身を置きたい。あたたかな気持ちにすがる、ということにもなるのかもしれない。
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