ほそく:例のやつに応募した作品について

(2023.12.3記)
一時審査の結果がけっこう前に出ていたのを、つい数日前に知ったもので。
でも今までどおり淡々と、手直ししたものを上げていきたいと思います。
(知らなかったから、しばらく手直し→公開を続けられたんだけど。
結果を知って、まあまあ凹んだりもしました。
なんていうか、自分の手から生まれたものは自分なりに信じてますからね。それが通用しないっていうのは、そりゃショックですよ。
ていうか、信じてるからこそ公開できるわけで)
次から戦後の話になっていくのですが。
とっかかりを読み返して「はしょり過ぎだった」と気づき、今日は加筆が必要な箇所や内容について、つらつら考えておりました。
次の休みにでも、じっくり腰を据えて書いていこうかな。

読んでくださった方、スキを押してくださった方、ありがとうございます。
書き進めることでしか、お礼ができませんが…
続きも読んでいただけたら嬉しいです。

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この作品は、2019年の夏に書いたものです。
それまでの職場を去る羽目になってしまい、幸か不幸か、書くことに向き合う時間がいっっっぱいあったので。
当初はタイトルもあったのですが、タイトルを考えるセンスというのが皆無なようで(特に長編ものに対して)今のところ未定、という形にさせていただいています。

伊藤若冲ブーム以来、日本画が好きになりました。もともと絵を見るのは好きだったのですが、それ以来足を運ぶ美術展はもっぱら日本画、という感じになっています。
日本画+何かのきっかけで知ることになった戦争画+戦前戦後の絵をとおした社会風俗? みたいなのが出てきます。という感じ。

ちなみに、登場人物のひとり――私が勝手に前半の主人公と位置づけている人にはモデルがいます。
(というか、この人の存在を知らなければまず書き始めることもなかった)
新潟市中央区の古社・K神社の宮司の家系に生まれ、長じて上京し東京美術学校(後の東京藝術大学)で日本画を学び、首席で卒業。その翌年に出征、翌々年に26歳の若さで戦死した方で、長野県上田市の戦没画学生の作品を集めた美術館「無言館」にも美術学校時代の作品が一時期展示されていました。

彼を取り巻く級友はまったくのフィクション+某有名どころの画家をイメージしたキャラなんかを盛り込んで、ひとつのグループにしてみました。
で、彼らが「死が身近であり過ぎる」「やりたいことに情熱を注いではいけない」という異様な時代をどう生きたのか、みたいな話。になったのかな。

わかんないんですけどね、漫画を読む層ではないし(ワナビをやめられずにいるおばさんです)、これが漫画の原作として通用するのかどうか。
時代に逆行してるような感じかもしれないし。


19年に書いたものをちまちま手直ししてみました。
続きも随時上げていく予定です。
よろしければお読みください。

例の応募作の原文(第1回分)|中野徒歩 (note.com)

少年向け漫画誌に合うかどうか分かりませんが、戦争ものです【タイトル未定】|中野徒歩 (note.com)

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