例の応募作の原文(第2部のつもり③)

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 昭和14年当時の銀座は、賑わいや華やかさを否定し、温かみや笑い声を踏みつけにする連中が跋扈ばっこする街に成り下がっていた。しゃれっ気たっぷりの学生にお上が目を光らせ、街を歩けば憲兵が飛んできて「断髪誓約書」とかいう書類を突きつけその場で署名させたり、浮かれて飲み歩く者を対象とした「サボ学生狩り」なるものを実施し一網打尽いちもうだじんにした。きっと憲兵殿も半ば楽しみながら、これらの任務にあたっていたのだろう。我々のような人間を取り締まったのは見せしめとして最適だったからでしかないはずだ。
 だから私達も、街をスケッチしたい時には当然夜などは避けて昼間に真面目くさった顔でそぞろ歩き、やかましい奴らがいないとみれば密かに画帖を広げ軍服姿を見れば慌てて中断し、とやりながら、なんとも中途半端な代物を仕上げるしかなかった。いや、仕上げまでたどり着かないほうが多かったかもしれない。ちなみにこの頃はほぼすべての学生がつまらない七三分けに整えていた、くせっ毛の大西君などは「整髪料を倍使うようになった」とこぼしていたものだ。
 ある日曜、私と青海君は例によって真面目ぶったふりで銀座を歩き、スケッチにちょうどいい場所を探していた。目抜き通りはもちろん以前スケッチ会の会場とした小路こうじまで、どこに行ってもとにかく戦争ムード一色で「これを描いてみよう」と足を止めてくれるものにどうしても出会えず、ただずるずる歩き回るばかりになってしまう。千人針を請う女などは絶対に描きたくない、と思っているところに、島崎先生と鉢合わせした。
「やあ、スケッチか。この辺にはよく来るのか?」
「はい。かつては根城ねじろのようにしていました」
「根城は大袈裟だ、ハル」
「大畑君、ちょっと画帖を見せてごらん。君の人物画は他の生徒とはちょっと違う、目を見張るものがある」
「ありがとうございます」
「大畑は軍事教練に参加できない分、鍛えられたんです。僕らが絞られている風景を何十枚も描いていますから」
「最近、行くのをやめたんです。見るのが辛い情景が増えてきたような気がして。
 ハル、俺はみんなが絞られてるところを描いてたんじゃないよ。躍動するところを切り取ろうとしてたんだ」
「ごめん。冗談だ」
「なるほど。それは題材として面白いかもしれないな」
「『東京オリンピックの芸術競技参加を目指して頑張ろう』なんて、仲間が盛り上げてくれたこともありました。なんだか懐かしいです」
「私達講師の間でも、出場選手輩出に向けて機運が高まったこともあった。授業の一環として、やってみてもよかったんだ」
「でもそれも叶わないし、もう俺達は卒業制作に向かって進むしかないんだ。僕らは、その題材を探していたんです。そろそろ考えなきゃいけないでしょう?」青海君が言った。
「こんな時代だからといっても、さすがに5年間の集大成を残せないなんてことにはならないだろう、とは思うんです。でも正直、『これを描きたい』と思える瞬間がない」
「そうだな。君は都会の風俗を描きたいのか?」
「はい。こう言うといかにも田舎者の趣味のようですが、上京してきた時から華やかな銀座の街が大好きで、何十回もスケッチに通いました。
 僕は都会の空気を描きたいんです。そこにある文化とか流行とか、そこに憧れたり惹きつけられたりする人達、あるいはみんなが憧れる何かを発信しているものとか。素敵だと思えるものやわくわくさせてくれるものが溢れていて、そういったものを誰でも自由に享受できる街、そこに溢れている空気を表現したいんです」
 ここまで一気に語ってから、青海君はなんだか虚しくなったような、微妙な色を頬の隅に浮かべた。「でも、今の東京からはそういうものは消えてしまいましたよね。ほんの少し残ってはいても、みんな遠慮がちで。文化の女神がいるとしたら、こう、肩をすくめているような……」
「なるほど。そうなると、描く気もせるな」
「失せてなんかいませんよ。でも、本当に難しい」
 青海君は額をこすりながら、「あの頃のままだったらよかったんだ」と呟いた。
「いいじゃないか、君が思う街を描いてみれば。君が思う華やかな街、文化に彩られた美しい街を形にしてみればいい。
 卒業制作の題材は決まりだな。君が好きだった銀座の名残がある場所を、なんとか探し出さなくちゃ」
 島崎先生も青海君も、「平和な」という表現は使わなかった。しかしきっと本当は、それこそが(かつての、といわなければいけないが)銀座という街に対してふたりが持っている、共通したイメージだったのだろう。

 夏休みが終わり、我々はいよいよ卒業制作に向けて本格的に動き出した。青海君は島崎先生の助言をかてに画題を求めて相かわらず銀座を歩き回っていたが、輝きを失った街では、これと思えるような風景にはやはりなかなか出会えなかった。それでも血眼ちまなこになって歩き回り、「描きたくなる銀座」をむことなく探し求めていた。
 私のほうはといえば、島崎先生が褒めてくれた人物画を描いてみようかと思い始めたところだったが、軍事教練見学で腕を磨いたといっても、辛さを感じてしまう姿を好きこのんで題材にできるほど図太くはない。千葉の海辺にある親戚宅近辺の風景でも描こうかと電車に揺られて何度か下見に行ってみたが、素描を始めても途中で嫌になってしまう。それでは何が描きたいのか、と問われても即答ができない体たらくで、棚上げにしたい気分とのせめぎ合いがしばらく続いていた。
「そりゃそうかもしれないよ、隆一は所詮は街の子だ。俺みたいな田舎者なら、少しは楽に描けるかもしれないけど」そういう風景を描くのならやはり郷愁というものが必要になるのではないか、と青海君は言った。
「ああいう風景から鮮烈な感情が生まれるなんてことはなかなかないだろうな、特に俺達みたいな若い奴からは」
「発ちゃんは、何を描くんだ?」
「俺か。俺は、彼女を描くことにした」
 あまりのことに、というと失礼だが、私も青海君も思わず笑ってしまった。
「首ったけなんだな」
「まあな。できたやつは、彼女にやるんだ」
「将来一緒になるんなら、発ちゃん自身いつでも見れるもんな。座敷の床の間にでも飾るんだろう、見に行くよ」
「冷やかすな」
 大西君はいつの間にか、恋人の富枝を軸とした将来の展望をきっちり構築していた。夏休みの間に結婚を申し込み、彼女の実家に挨拶を済ませてあるという。卒業後すぐにでも新しい生活を始めるつもりで、相手先とその辺の段取りもしっかり考えてあるそうだ。
「話したことあるかな、あの子は乾物問屋の一人娘なんだ」
「まさか婿入りでもするのか」
「うん。商売のイロハを、一から教えてもらうんだ」
「本当か?」
「お母さんはどう言ってるんだ?」
「大丈夫。『おめでとう』って言ってくれたよ。お袋も俺の父親とはとっくに切れていて、迎えてくれる人が見つかったっていうしさ。
 幸い向こうのお義父とうさんが俺を気に入ってくれたし、俺もあの家の一員になりたい、と思った。俺は家庭というものがない中で育った人間だからはじめは手探りでやっていくしかないけど、『あの人達の中でならなんとかなる、きっとうまくいく』って思えるんだ。
 いいか。一緒に絵を勉強した発ちゃんが、帝都芸術学校日本画科38期生の大西発雄が、この世から消えてなくなるわけじゃないんだ。お前達の胸の内にも、俺の胸の内にもその面影は残る。俺はただ、うんと幸せになれそうな道を見つけることができた、それがたまたま日本画とは離れたところにあった。それだけだよ」
「富枝ちゃんの苗字、なんだっけ?」
「平澤」
「平澤発雄か。しばらく慣れないだろうなあ」
「大丈夫だって」
 彼が絵をやめてしまうのはもちろん寂しいが、商売人として生きている大西君、店先ではつらつと働く大西君の姿を想像するのは簡単だった。
 大西君の性格や意欲はその力強い画風によく反映されており、クラスの中心人物として愛される男でもあった。しかしおそらく、彼は描き手としての自分にはかなり早い段階で限界点を見出してしまっていたのだろう。上級生になるにつれて腕を上げはしたものの乙の中くらいが指定席となり、その時点で一個人としての幸せな人生を模索するところに、こっそり軸足を移していたのかもしれない。
 しかし大西君の心の強さや大きさを本当に発揮できる場所が商売の世界であること、「この選択に間違いはなかった」と笑って振り返る日が来ること。それを願わずにはいられなかったし半ばそう確信できた、彼のやる店なら繁盛しそうな気がする。しかしその日を迎える前に、まずは出征し生きて帰ってこなければならないのだ。
「もちろん、子どもだって仕込んでいくんだ。生まれる頃には俺は戦地にいるかもしれない、そうなったら富枝も心細い思いをするだろうけど、実家のお義母かあさんだってついてるんだから」
「首尾徹底してるな」
「俺は本屋を継ぐことになるけど、とりあえず描き続けるよ。まあ既定路線だ」
「俺はまだ、帰るかどうするか決めかねてるけど。今は卒業制作のことだけ考えていようと思う。
 俺達はいつどうなるか分からないんだから悔いの残らないようにしたいし、同時に親孝行だってしておかなきゃいけない。でも、東京でやり残したことがあるような気もする。なんだかもう、ごっちゃになってるんだよな。
 ただ、卒業制作の題材がさ。見つかりそうなんだよ」
「本当か。ハル、よく見つけたな」
「うん。陽子ちゃん、っているだろう」
「モデルの子か。あの子がどうした?」
「ものすごいヒントをくれたんだ」
 人物画の授業で学校に出入りするモデルのひとりで、主に洋画科の授業に協力していた陽子は当時いたモデルの中では一番の古株だった(といっても我々と年は変わらない)。
 彼女は銀座生まれの銀座育ち、しかも以前我々がしゃれた店構えに惹かれてスケッチしたこともある「細川洋品店」の娘だった。名うての婦人服仕立て職人の家に生まれて日本一華やかな街の真ん中で育ったせいか、お洒落のセンスや立ち居振る舞いなど美しく見せるこつが自然と身についたのだろう、彼女が放つ洗練された雰囲気だけでも、描きたくなる要素のひとつといえた。モデルとして優秀だったし、彼女自身その仕事を気に入り誇りを持っているのはその面持ちを見れば分かった。
「青海君に引き合わせてはどうか」と考えた島崎先生が手を回してくれ、先生の案内でさっそく細川洋品店を訪れた青海君に、陽子は「カウンターなど、店内を描けばいいのではないか」とアドバイスした。その名のとおり快活であっけらかんとした彼女は同時に利発で物怖じしないところがあり、島崎先生にも敬語などを使わずに話し、言いたいことがあれば堂々と意見することさえあったらしい。「題材で困っている生徒がいる」と相談した先生に素晴らしいひらめきで提案してくれたのだ、これは男が思い至らない視点だった。
「店の名前まで変える羽目になっちゃったでしょう、ついこないだまでは『テーラー細川』だったのに。派手なことができなくなっちゃったし、ショーウインドウなんかは空っぽだけど。布地も地味になっちゃったわね。でも中はご覧のとおり、何も変えてないわよ」
 店内の棚には落ち着いた色の布地を巻いたものが重ねられた一角や、ボタンを納める箱が並んでいた。小箱に直接縫いつけられて並ぶボタン達は、ひとつひとつが個性あふれる顔立ちをしていると表現したくなるようで、その様子が可愛らしいと思えてくるほどだ。それらが並ぶ棚には洋服を作る側と着る側両方の高揚感も詰まっていた時期があったはずだ、それがおしゃれを生み出す店の本来の姿というべきではないか。女達はきっと、この店に長居して生地を品定めしデザインを選び、ボタンを手にとっては思案する。そして、これから仕上がるその服を着て銀座の街を闊歩する姿を夢想するのだ。
 しかしそれは当時の、昭和14年の銀座の姿ではなかった。まず店からは人目を惹く柄物の生地がほとんど消え、茶色だのらくだ色だの、あるいは青だかねずみ色だか判別に困るような曖昧な色のものばかりが並んでいた。店のほうも「そんなつまらない生地で何を仕立てるのか」とばかり商売っ気をなくし、ベテランの女性店員もカウンターにぼんやり座っているだけ、という体たらくだ。青海君が描きたいものなど、もはや残像しか残っていなかった。これでは嘘を描いてしまうことになる、と彼は少し悩み、島崎先生にその思いを吐露した。
「日本画と洋画の決定的な違い、というところに立ち戻ってごらん。
 洋画の表現の軸にあるのは、現実を反映することだ。それに対して日本画の表現には、『絵画と現実は違う』というのが根本にある。日本画では描く対象に墨で外枠をつける鉄線描てっせんびょうが伝統的に残っている、朦朧体もうろうたいの出現でそこにこだわる必要はないという流れになっているが。ところが、現実には黒い線で縁取られた人間も物も存在しないじゃないか。洋画に比べれば明らかに写実性が低いのは君も知ってのとおりだろう。日本画とはそういうもの、むしろそれでいいんだ」
「それは分かっています。僕が悩んでいるのは、題材のことです。僕は存在しないものを描こうとしている。卒業制作は薄っぺらい虚構になってしまうかもしれません」
「いいじゃないか。だからこそ描いてしまえばいい、と私は言いたいのだ。
 君が描こうとする華やかな銀座、美しいものや平和を享受しその幸せをかみしめる人が溢れている銀座は、たしかに今はもう存在しない。大事なものをはき違えてしまった連中によって、過去のものであり唾棄すべきものとされ、それこそ虚構にまでしてしまった。
 でも、君はあの銀座が好きだったんだろう、そこに理想を見出していたんだろう? それを描いて残していけばいい、と言っているんだ。絵1枚じゃないか。我々には、そうやって世の中に跡を残していくことしかできない。そう思わないか?」
「そうですね。描いておけば、いつか『かつてそんな時代があった』と見てくれる人もいるかもしれない」
「違う。残すべきは、君の思いだ。表現者じゃないか。その世界こそが君の理想だった、という思いには偽りなどないじゃないか。思いを乗せるんだよ。
 いつか出征し泥や敵の血にまみれる日が来ても、君が表現者であることに変わりはない。そのために描いてほしいしそうすべきだ、と言いたいんだ。
 もし仮に戦地に行かず絵を描くことが許されたとしても、戦争に関係する作品以外手掛けることができない、そんな世の中になるかもしれないんだ。そうなる前に君が思う美しい世界、理想の世界を形にして、残しておかなければいけない。そう思わないか?」
 これで青海君は腹を決めた。先生とこんな会話をした日を境に、彼はあらためて銀座に足しげく通うようになり、陽子の店で布地のひとつひとつ、ボタンの箱などのデッサンをこつこつと重ねていった。
 彼が大好きだった銀座の姿を、あたかも現時点で存在しているもののように、まさに目の前に広がっているように描き切ること。街に溢れる賑わいと華やかさ、聡明で進歩的で社会への愛を持つ人が生み出したものを享受できる世界。それはきっと、島崎先生が抱き続けていた理想の世界でもあった。だから島崎先生は、青海君を最高の方向へ導くことができたのだろう。

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