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黄金のレガシー 感想 #2 ゾラージャについて

© SQUARE ENIX

前回の記事で自分の中のもやもやについて整理したので、次はキャラクターについての感想と考察めいたもの、そして妄想を書いていこうと思う。
最初はゾラージャについて。

ここからネタバレあり、クリア後推奨です














ゾラージャ兄さん、ほかのキャラとくらべて掘り下げが少ない。なにゆえあそこまでの蛮行に走ったのか、「理解しよう」と思って積極的に読み解いていかないとわからないようになっていると思う。
黄金では、暁月までなら劇中で細かく描写されていただろうところが省かれているなあと感じる。99IDのボスについてとか。
ゾラージャの内面をもっと描写してプレイヤーに明確に伝えてもよかったのだろうが、そうなっていないのはなんというか、最後にラスボスとして控えているスフェーンも「しんどい事情を抱えた敵」であるため、ゾラージャには倒すべき邪悪に徹してもらいたかったんじゃないだろうか。
自分が物語を書く側の人間なため、つい物語の構成からキャラクターを把握しようとしてしまう。


なぜゾラージャはトライヨラの敵となったか

ゾラージャはただ、グルージャジャに愛されているという確証が欲しかっただけなのだろう。父親からの愛情を感じられなかったせいで、彼は自己肯定感を育てることができなかった。愛されたいという願望が変化したのが、「父親を超える」という歪んだ自己実現欲求の正体だと私は思った。

そして、父親を超えるための最後の手段が、「自分が一番欲しかったもの(王位)を受け継いだウクラマトとコーナを超える」=「トライヨラを滅ぼす」となったから、彼は敵となってしまったのだ。

ゾラージャの悩み

自分が父親から愛されないのは、双頭ではないから」と思い込んでいるらしいことが、それとなく示唆されている。愛されない理由を探して、そこに理由を求めたのかも。

双頭に生まれたかった
そのコンプレックスがありありと現れているのは、討滅戦での彼の姿だ。

武の頭しかないのが本当に悲しい

「もしも双頭に生まれていたら、父から承認された」と思っていたんだろうな……一方で「自分は双頭ではない」ということも理解しているのが伝わる。
つらかった……

父上はほかに養子をとるんだ、自分が双頭じゃないから
自分という血の繋がった子がいるのにさらに養子をとるなんて、実子的にはマイナスの印象しかないんじゃないだろうか。共に過ごして、いずれは家族の絆を育めるとしても、いきなり笑顔で受け入れるのは難しいだろう。私なら難しい。

自分が一番優秀なのに後継者に指名してくれない、双頭じゃないから
グルージャジャの子でもない粗忽者が継承の儀に参加している、双頭だから……
(本当は武闘大会で優勝したからだけどゾラージャはそうは考えないだろう)

奇跡の子などいない、真に奇跡の子なら双頭のはずだ
敬愛してやまない偉大な父親は双頭である。

愛に飢えた理由

これはもう、「愛された実感がないから」だろう。
グルージャジャがゾラージャを愛していないわけがない。
ただ、それがまったく伝わってない。
プレイヤーの視点で見ても、ゾラージャに対してグルージャジャが愛情を示すシーンはなかったように思う。
伝わらない愛はないのと同じだ。

ウクラマトとコーナは「実子ではない自分を実子と差別することなく育ててくれた」という時点で、グルージャジャからの愛と承認を感じることができた。
ゾラージャは実子なので、ウクラマトとコーナが養子であるがゆえに感じられる愛を感じることができない。

トライヨラで「青い肌のフビゴ族」はゾラージャただひとり。周りから見れば、ゾラージャは祝福された存在にしか見えないだろう。
「双頭じゃない? でも青いフビゴ族じゃないですか! あなたは奇跡の子ですよ!」というのは、事実ではあるが、ゾラージャの悩みにまったく寄り添っていない。
ゾラージャの悩みは「自分は愛されていない」という一点に尽きる。その理由を「双頭じゃないから」だと思い込んでいる。
そして愛されることを諦めて、「超える」という第二目標を設定した……ということに、おそらくゾラージャ自身が気づいていない。
第二目標をクリアすれば、ゾラージャは自分を認められたのかもしれないが、彼が超えたいのは「全盛期の父親」。その人物は、もうこの世にはいない。第二目標をクリアしたと彼自身が認めることは、不可能なのだ。

ウクラマトが「青いフビゴ族はお前とグルージャだけだ」というシーンがある。
前述の通り、これはゾラージャの悩みに寄り添っていない発言だとは思う。青いフビゴ族であることは、ゾラージャにとって「どうでもいいこと」になってしまっているからだ。
それこそがゾラージャの不幸なのだ。自分だけが青いフビゴ族であるという事実から、自分は特別であるという自負を持てなかったことが。
双頭かどうかではなく、青いフビゴ族である点に、自分の価値を認めればよかった、ウクラマトの言葉はそういう意味だ。

とはいえ、血の繋がりを重視しない父親を見て育ったゾラージャが、血の繋がりだけをよすがに、父親からの愛を信じるのは困難だったろう。

息子との関係

メインクエスト「痛みに手を重ねて」、グルージャが「つかれたんだ……」と言うクエストのメモに、

なんで親にやられてつらかったことを自分もやっちゃうんだ

と書いてあった。
これは「親に愛されていないと子供に思わせた」ということだ。

ゾラージャは父親から愛情を注がれた実感がないから、実子に対してどう愛情を注いでいいかわからなくて、実子を捨てた。「父親からなにも受け継げなかった俺が父親になれるはずがない」という言葉は、「受け継げなかった=愛されなかった」とゾラージャ自身が考えている何よりの証左だろう。

それでも「父親から何かを受け継ぎたかった」という自分の願いを息子に投影して、「武王の権限」はしっかり息子に受け継がせている。彼が父親からもらえなかった「形に残る愛情」をグルージャに残したのは、本当に悲しかった。つまり、ゾラージャはグルージャを愛していたということなので。

「グルージャ」という名前に激怒したのは当然だろう。ゾラージャから見たら、自分を愛してくれなかった人の名前なのだから。
グルージャジャのような人になってほしいというカフキワの願いはわかるだけに、やりきれなくなる。グルージャジャは本当に素晴らしい人物なので……
幸いなことに、グルージャは周囲の人から愛されていた。中でも、ゾラージャから離れたところにいるオーティスの存在が大きかったと思う。
グルージャが求めていたのは「肉親からの愛情」だった。
彼を気にかけてくれる人が多くいるにも関わらず、グルージャは父親からの愛を渇望している。
グルージャが吐露する、ゾラージャに愛されたいという思いは、ゾラージャが父親に抱いていた気持ちと同じなんだろう。
そして、かつてのゾラージャも「つかれたんだ……」と思い、父親からの愛を求めるのを諦め、父親を超えることで自分の存在価値を示そうとし始めたと想像できる。

ゾラージャは「自分を愛しているか?」と父親に聞けばよかったんですけど、それはできなかったんだろう。長子だから。

長子の呪い

私自身も長子である。

下の兄弟からの羨望のまなざしがやばい。素晴らしい兄さん。
国民からの期待もやばい。奇跡の子であるゾラージャ様。
模範的な自分でいなければならない。反抗期なんてありえない。素晴らしい王子でいなければ……

コーナは最終的に、ゾラージャが自分たちからのまなざしを負担に思っていたことに気づけたので、ゾラージャが兄弟たちに相談していれば状況は変わっていたことは示されている。だが、それはできないのだ――長子だから。そのくらい長子の呪いとは強固なものなのだ。下の兄弟の模範であれと模範的に生きることを要求され、ケンカしたときは、下の兄弟が悪くても、怒られるのは長子。そういう家庭は無数に存在する。トライヨラ王家がどうだったかはわからないが。
大きな期待を寄せられ、かつ優秀な長子ほど、自縄自縛に陥りやすいと思う。

私自身が長子だからか、もともとは一人っ子だった彼が、「長男にされてしまった」ことは、ゾラージャに強く影響したのだろうと思ってしまう。アドラー心理学を学べばもっと理解が深まるかもしれない。

近年では、出生順位そのものには因果関係はないとする研究もある。興味がある方は調べてみてほしい。

グルージャジャから見たゾラージャ

グルージャジャからすれば、ゾラージャは「優秀で手のかからない、どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子」だったのだろう。だから……たぶん、手のかかるウクラマトとくらべて、放っておかれたんじゃないだろうか……コーナみたいに留学もさせてもらってないし……
トライヨラは新興国家だし、グルージャジャは戦争を平定して王になった英雄で、王として国民を導かなければならない立場だった。忙しいグルージャジャからすれば、そういうゾラージャの優秀さに助けられていたに決まっているのだ。勇連隊の隊長を任せられるほどの実力があり、国民たちからも「もう武においては父親を超えている」とまで言われている息子なんだから。もうめちゃくちゃ自慢の息子。それがグルージャジャの認識だろう。

それ息子にちゃんと言った?

と、グルージャジャに問いたい。

真の後継者は俺だ

ゾラージャが外征を掲げたのは、「大陸を平定した父のような偉大な王であることを国民に示すには、世界を平定するくらいやってみせないと」と思っていたからなんだろう。「父親の上を行く」ということが自己実現の手段になってしまっている。
そんなことしなくてもゾラージャはすごいんだけど、自己肯定感がまったく育っていない彼は、周囲から「すごい」と言われても納得できない。ゾラージャに悪態をつくバクージャジャに対し、コーナが即座に噛みついて兄の素晴らしさを称えても、ゾラージャには響かない。
「お前は素晴らしい、自慢の息子だ」とグルージャジャからはっきり示されなければ、ゾラージャが幼少期から負ってきた傷は癒えない。
だからゾラージャは「真の後継者」になりたかったのだ。後継者はお前だと指名されることは、これ以上ない、父親からの承認だから。

父親以上のことをしようとすると、必然的に、父親が作り上げたものを「護る」立場を取ろうとするウクラマトとは対立することになる。
ウクラマトは最初に、ゾラージャを「絶対に王位に就けてはいけない」と言う。ウクラマトは正しい。ゾラージャにとって王位は自己実現の手段でしかなくなってしまっているので、王位についても碌な王にならなかっただろうことは明らかだ。実際、アレクサンドリア連王国の武王となっても国民への愛情は皆無だった。

ゾラージャは王の器を有していたとは思う。だが、生育の過程で器がひび割れていて、継承の儀を通じてそれが粉々に砕けてしまった。

これは個人的な意見だが、『食の試練』の内容が決定的にヤバかったと思う。
ゾラージャは、父親の思い出の料理を知らなかった。
戦争の平定に一役買ったシャブルク・ピビルという料理を、ゾラージャは父親と一緒に食べたことがない。
ウクラマトとコーナはグルージャジャからの愛を疑ってないので知らなくても「無知だった」で済むのだろうが、ゾラージャはショックを受けたと思う。しかも自分をヒトツアタマと馬鹿にする「本物の双頭」バクージャジャと組まされたので、まじでメンタルが終わったと思う。かわいそうすぎて見ていられなかった。あそこでウクラマトと組めていたらすべてが違っていたかもしれない……

自己肯定感を育てるのは無条件で自分を承認してくれる他人の存在だ。それは親であることがほとんどだろう。だからこそ親は子に「特別な愛情」を注がなければならないと私は思う。
グルージャジャは実子と養子にまったく分け隔てなく愛情を注いだ上で、子供たち全員に平等にチャンスを与えた。さらには武闘大会で優勝した者にもチャンスを与えた。
王としての公平さが、実子との親子関係を破壊してしまったのだ。これはもうグルージャジャが優れた人物であったがゆえのあやまちだ。

継承の儀で勝っていればゾラージャはグレなかったかもしれない。
しかし、彼の勝利は存在しなかった。グルージャジャはヒカセンに語っている――自分の問題を解決できない者には王位は譲らない、と。ゾラージャの悩みを解決できるのはグルージャジャだけなのに。
詰み。

グルージャの母はどんな人物だったのか知りたい


現代的に言えば、ゾラージャ兄さんに本当に必要だったのはアダルトチルドレンである自分を認めることだったのだが、それが自分でわかるはずもなかった。
ゾラージャとコーナには、ウクラマトにとってのエレンヴィルに当たる友人がいる様子が見られない。だが幸いにもコーナはサンクレッドとウリエンジェに出会うことができた。ゾラージャの不幸は、家族の外に自分を認めてくれる仲間を得られなかったことだろう。
「グルージャジャよりもゾラージャのことが好き」あるいは「グルージャジャ? 誰それ?」と言ってくれる人がいたら、全然違ったんじゃないだろうか。
それを言ってくれた人がグルージャの母である可能性はあると思う。しかしその人は出てこない。もしグルージャ出産と引き換えに死んでいたりしたら……しんどい。詰んでる。

とはいえ、ゾラージャは個人の心の問題を民、国、世界の問題へと極大化させ、多くの人々を不幸にした。これは絶対に許されない。
養育環境が不幸だったからと言って他人を害していい理由にはならない。

ゾラージャについて掘り下げすぎると、彼に同情したくなってしまうのと、グルージャジャが子育てに失敗したという描写を入れなければならなくなるために、彼の背景はあまり語られなかったんだろうなと思う。
というか、現代的かつ残酷すぎるので、「夏休み」にこれを語らない方がよかったんだろう。現代において、同じ悩みを抱えている人は多いだろうから……

という感じに私は考えました。妄想です。
もしもグルージャジャがしっかり父親をやっていたにも関わらずゾラージャはこのような性格に育ってしまったということを示すストーリーが出てきたら、恥ずかしいので削除したいです。

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