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BGMは「夢よ急げ」

 8年ほど前まで、私は、名古屋で一人暮らしをしながら、大学の専業非常勤講師をしていた。六畳とキッチンとユニット・バスがついているアパートの一室が、研究室であり、かつ、居住空間でもあった。12年ほど、そんな生活を続けていたが、父が亡くなったことをきっかけに、メンタルの病気を発症してしまい、埼玉・児玉の実家に帰って、半年は療養をしていた。そして、あくる年の4月から、名古屋地域での講師の仕事に復帰した。
 しかし、6月になって、両家に挨拶も済ませていた女性との縁談がご破算になり、それをきっかけに、二度目の入院をしてしまった。そこで、もう一人暮らしで専業非常勤講師を続けるのは無理だと判断して、実家に帰った。しかし、そこですぐ始めた塾講師のアルバイトは3カ月ももたず、次に始めた書店のアルバイトも10カ月ほどしか続かず、自分がダメな人間だという観念にとらわれてしまい、そこから1年10カ月の間、いわゆる「ひきこもり」の状態になってしまった。
 しかし、小池百合子・現東京都知事が「希望の党」を立ち上げるのを見て、「俺も、キルケゴールを気取って『絶望とは死に至る病である』なんて言ってなくていいんだな」と思うようになり、近所の郵便局のアルバイトをしてみようと動き始めたところ、また、躁鬱病(そううつびょう)の躁状態になってしまい、3度目の入院をすることになった。この入院も、それまでと同じく、約1カ月で済んだ。
 しかし、今度は、仕事よりも、健康を取り戻すことが大事だと思い、午後に週6で往復1時間をかけて、徒歩で図書館通いをすることにした。そんな中で、アメリカ留学を失敗した時に声を掛けてくれた児玉の学習塾の塾長に、「ミトモは英語の勉強とかしてた方が精神的に安定するんじゃねぇん」と言われて、目が覚める思いがした。自分では、名古屋のアパートを引き払ったことで、研究生活とはお別れだと考えていた。そして、有していた大量の英語の書物はほぼ全部処分してしまっていた。残っていたのは「ゆうパック」の「中」の箱と「小」の箱、それぞれ1個づつだけだった。
 しかし、良いものが残っていた。それを、あらためて手に取ってみて、やはり、自分は文法研究がやめられないのだと考えるようになり、同時に、それを仕事に生かそうと思うようにもなった。
 今は、「トーミトにほんご英語ゼミ」という名で、勉強会を開催しようと計画している。その際のキャッチフレーズが、「英語(えいご)と日本語(にほんご)でコミュニケーションを取(と)りながら、楽(たの)しく効果的(こうかてき)に外国語(がいこくご)を学(まな)び続(つづ)けるコツを身(み)につけよう!」であり、学習法としては、『「Face-to-face(にんげん) シャドーイング」「3色ペンの読書術」「書き込み辞書ノート作り」による三位(さんみ)一体(いったい)の学習法』というものを掲げている。
 この勉強会で収入を得ていくのは、まだ10年ほど先のことではないかと思っているが、改めて夢を掴んだのだから「夢よ急げ」をBGMにして、自分なりに頑張っていこうと思っている。


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