オレの不思議体験 歴代1位〈一瞥(いちべつ)体験〉

ワンネス体験とも言うらしい。
これを、頭のおかしい人の話しだと思ってもらっても構わない。オレでさえ思う〈頭のおかしい人〉の話しだ。

人生を通してUFOに遭遇したり、未来が時々見えたりと
数ある〈超不思議体験〉の中でもダントツで一位のインパクトを持つ体験だった。

〈一瞥いちべつ体験〉というらしい。辞書によると、ほんの短いの時間、あるいは一瞬、この宇宙の仕組みを体験として垣間見て理解する…というものだ。

インドの行者のように一生を捧げた人間が体験するものらしい。最近は日本でもYouTubeで似たような体験を報告する人も増えているようだ。

コレは5000%説明が不可能なシロモノだ。どんな言葉や文字や絵や音楽や、あらゆる手段を使ってもその0.001%しか伝わらないヤツだ。
…で、その0.001%をコレから説明したい。オレの個性のフィルターを通した説明はオレにしか出来ないのだからヨシとする。

まずは経緯からだ。正確にいこう。
それは、4ヶ月前の9月21日の8時30分に起こった5分くらいのような体感なんだけど、ほんの一瞬の出来事な気もする体験だった。時間の概念の外側で起こったから曖昧で、どちらとも言える感じだった。

ウツになり、生活保護を受けながら地方都市で引きこもり生活を初めて2年くらいたった時期で、ようやく心がポジティブになり始めたある日、オレは朝久しぶりに浜辺に散歩しに出かけた。
イヤホンで音楽を聴きながら浜辺に座って、ボーッとし始めてすぐの頃、突然起こった。

どういう体験だったのか、何を知ったのかを、当時のメモを元になるべく詳細に説明したい。

一言でいうなら〈ものすごい高次元の世界〉を垣間見た。〈悟り〉の世界を体験した。その世界に〈居た〉と言ってもいいし、その世界に〈なった〉と言ってもいい。
だからと言って全てを知ったという訳でもない。
その〈超高次元の世界〉にいると〈オレの感性〉は100倍くらい上がっているから、100倍知る事が出来るはずなのに、それでも全く足りない莫大な規模の大きさ?深さ?そして、その〈大きさとか深さ〉の概念自体が超急速に拡大している様を感じた。
そこは〈色だけが存在する世界〉のようなニュアンスも含んいて、〈無に限りなく近い世界〉というニュアンスもあった。

その次元のエネルギーになると、一度に入ってくる情報量が多すぎて自分の頭の中が、パンクしそうな恐ろしさを抱えながら、自分の脳の限界臨界点上を、5分間の間〈次元上昇〉していき、どこかのよくわからない極めて〈無〉に近い次元まで、うっすらと感じた。
畏怖(いふ)とは、このような事を言うのだという感覚。「恐れ」に近い感覚もあった。とても自我を持つ人間の精神で触れていいものではない世界を、「結構です」と言っているのに強引にその世界に持って行かれた感じ。
その「理解の体験」という出来事は、あらがいようもなく、どうしようもなく、必死の抵抗も虚しくなるような、圧倒的なチカラとエネルギーの勢いに乗ってやってきた。ヤリを持って太陽に挑むようなもんだ。流れに抵抗しても無理なのだ。

目を開けていて、目の前の海もちゃんと見えてて、なんならいつもの100倍くらい鮮明に美しく見えていたが、同時に別の世界も頭の中で見えていて、実際にそこに居たという感じ。

地平線に見えている海はわずか数キロ先の範囲だという事実が、外周は4万キロの地球の海の広大さを際立たせるような、それを初めて知った時のような〈まさかと思う事実〉を突き付けられたような感覚。 それに似ている。
その広大な情報量を〈許容量の最終リミット〉に比例するボケ具合で、ほんのうっすら感じた。

その次元上昇のエネルギーにオレの意識が持って行かれている時、同時に自分の意識の深いところに潜って行くような感覚もあり、自分の無意識を感じ、更にその奥を覗いたら、もう1人の自分と目が合った…という感覚。
そいつはオレの魂の大元のエネルギーで、そいつは〈いろんな人格のオレ〉の記憶を持っていて、来世や前世の人格の膨大な体験の記憶を取りまとめて、感じて〈歓喜の恍惚〉に浸っているエネルギーで、さらにその〈歓喜の恍惚〉を、たくさんの他の魂のグループのエネルギーと同調してシェアして、さらにそのグループの〈歓喜の恍惚〉が激しく震え、更に高まり続けるループの中だった。

オレは自分の深層心理の更に奥にある〈自分の大元の魂〉と同調した時点で気づいた事がある。
この次元までは、そこそこ文字に出来そうな次元だ。
そこでは空間軸と時間軸を全く簡単に操る事が出来た。
そこでは〈幻想〉として作り出したあらゆものを操作する事が出来て、時間と空間の概念もそのうちの一つで、〈幻想度合い〉が強いほど操作は簡単になる仕組みだった。

オレは自分の人生の〈青写真というか設計図みたいなもの〉を一瞬だが確かに感じた。
それは、コレからの自分の成長の為に〈あえて知らないほうが良い未来〉に関しては、必要なだけのギリギリの薄さとボカシ具合で隠されていた状態で見る事が出来た。
そこには〈奥さんの事〉も〈暴力の事〉もちゃんと載っていた。
その〈人生の設計図〉は、オレの魂といろんな人の魂とで、話し合って決めた事が書いてあり、〈テーマ〉があったり、誰といつ出会って、どんな体験をする…といった事が〈決めごと〉として書いてあった。

その次元の視点では、いくつもの時代に生きた〈様々な人格のオレ〉にも同調出来るとわかった。それは知識として見聞きするような様式ではなく、同調して〈自分の記憶とする〉事で知る…という様式だった。試しに一つの前世の人格に同調して確かめてもみた。
その点の瞬間の世界に、静止画のような〈それぞれの世界の一瞬〉が並んでいて、同調しようとした瞬間と同時に〈300年ほど昔の長崎付近で生きた武士だった男〉の記憶がある事に気づいた。
その瞬間にその男(別のオレ)の人生の記憶を、脳の限界の範囲内の薄さでダウンロードした。
つまり、300年前に生まれた瞬間から始まった「長崎時代のオレの意識」が、集合意識に溶けて「オレたち」という一つの魂になって…という一つの周期を、ある一瞬の〔点〕として体感した時、オレは人生という時間軸を理解した。
幻想世界で生きながら「新しい自分を知る」事は、永遠に終わりなく続き、その全てで感じた事を、一度に一瞬の間に〈感情のエネルギーの塊〉として感じていた。

いつか「オレ」という意識が集合意識の一部として加わる時に、オレそのものが集合意識全体を〈変化させるためのエッセンス〉となるのだが、オレの自我はその為に作られたとも言えるし、役割でもあったのだとわかる。

おそらく魂の目的は、全ての人生の一瞬一瞬を〈歓喜と恍惚〉としてただ味わう事なのだと思われる。
なぜなら、魂と同調している瞬間、魂はずっとそれをやり続けていたからだ。恐怖や痛み、怒り、喜び、空虚など、ネガティブなものを含めた全ての感情を味わいながら歓喜していた。
全ての感情は〈愛のエネルギー〉を様々な側面からとらえた表現で、どの感情も〈個性的な愛〉として感じられた。
コレまで50年間生きて来た中で思い出せる〈悲しい後悔の怒りの悔しさの感情〉の記憶を(今それが起こっている)というレベルのリアルさで追体験しながら、同時に〈愛の感情〉として塗り替えて行く。

あまりの快楽のため、どの一瞬も逃したらもったいないので、順番に時系列という幻想を作って丁寧に味わっていた。
まるで、赤ワインを飲みながら、舌の上でチーズをすり潰している瞬間のように、ゆっくり丁寧に味わっているイメージだった。
つまり〈自我のオレ〉が〈オレの人生の不幸〉を快楽的な恍惚で味わってしまったのだ。〈不幸の辛さ〉の度合いが強いほど快楽も強く感じた。感情が強く震えるほど恍惚とした。
つい2年前に味わった〈絶望の記憶〉は最も強烈な〈恍惚感〉として感じられた。

オレのハイヤーマインド(オレの魂)の世界では〈不幸だというネガティブな記憶や感情〉は必ず同じ強さの〈幸福だというポジティブな記憶や感情〉と〈ワンセット〉で味わうシステムになっていて、そこに不可解な矛盾した現象の答えが隠れている気がした。

全ての感情のエネルギーは「あぁ、オレは生きている」という〈歓喜と恍惚〉に変換されて感じられていた。

オレの魂は〈愛という物質?エネルギー?材料?〉で出来ていて、オレの自我もそれで出来ていて、どんな感情も〈愛というエネルギー〉で出来ているものだから、結局は快楽的な恍惚をあじわう事しか出来ないのだ。

その段階の次元は、やはりというか〈テレパシーの世界〉だった。情報をその都度ダウンロードするのだが、〈そこに意識を同調させる〉という方法を使って、その記憶や情報を知る。
逆に物理的に〈ウソがつけない世界〉だということだ。

オレの魂は、たくさんの〈違うオレ〉の集合体で、そこに同調した瞬間〈オレはどこにもいない〉という感覚に98%くらいなったりした。

更にその次元の奥の高次元の世界がある事に気がついて、そこは別の魂が溶け合う世界で、そこに向かっている大きな流れの中に自分がいる事に気がついた時、〈自分が無くなる恐怖感〉を感じたのを覚えている。

そしてオレは、そっから先の世界もほんの一瞬垣間見た。もう〈記憶もクソも概念さえない世界〉なのだろう。光だけの世界というか、〈ホワイトアウトの世界〉…といった陳腐な表現にどうしてもなる。

この5分間のある一瞬に垣間見た世界で、オレの今世の50年間で培った〈分離的な視点〉は反転した。
その「反転の瞬間」は、次元上昇の先にあり、そこへ向かう事が〈カウントダウンとなる〉ようなタイミングで自覚された。黒の世界と白の世界の境界をまたぐような、反転の感覚だった。
その瞬間から、50年間のネガティブな全ての記憶が〈ただの愛の記憶〉に反転した。全てが愛だと知る事で感情の浄化が起こっていた。ネガティブもポジティブない中間点のゼロポイントをまたいだ瞬間に全てを理解した。
その瞬間に、オレの人生をもう一度〈愛の視点〉から追体験する感じだった。

自分という人間の人生を〈視点を変える事で〉自由自在に操作する事が出来る…という事が、神であるかのような〈全能感〉をもたらし、それに浸った。
その気になれば、どんな過去にも未来にもすぐに行けて、その生を体験出来る状態だった。

それと、あっちの世界は愛で満ちていた。あっちの世界も愛で出来ていたと言ってもいい。とにかく愛が充満しているのが知覚できた。あの空間?というかあの場はなかなか言葉にするのは難しい。逆にどんな事でも例える事は出来る。あくまでも近い感覚の例を挙げるとすると音なら〈キーン〉という超金属の高音が〈キーー〉となり続けていて、音がなっていたという事に気付けない音。その音で満たされているような世界。
感情で例えるなら、涙が出てる時に感じる〈ジーン〉というか〈ジュワー〉というか〈ズーン〉とかいうあの感覚の感情で、それがその場を満たしている感じに近い。
温度で例えるなら、心地のよい38度〜42度って感じが近い。それぐらいの体温の自分とそれくらいの気温の空気が溶け合っている液体の中に浸っている感じに近い。

同時にそこは、実際には目や耳などの五感が通用しない世界なので、自我の中のある視点から見ると、真っ暗で何も聞こえない、何も触らない、何も匂わない世界として感じられる世界でもある。

この体験以降、オレの人生は全く新しいステージに移行した。現実世界で変化した事はとても多い。
今まで以上に信じられないような事が平気で起こる世界になった。
心も体も環境も大きく変化した。
今後はこの様々な変化について、自分の記録をつけていこうと思っている



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