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南平台の記憶・その4 ヴィンテージマンションさくらマンション

南平台の社宅アパートの屋上からの写真の続き。
下にあげる三枚はいずれも、昭和44年(1969)年ごろに、アパート屋上から桜ヶ丘郵便局方向を撮影したもの。

一枚目の人物の後ろに大きく写っているのは、桜丘町のさくらマンションだ。二枚目、三枚目にも一部写っている。
当時のさくらマンションは、この界隈、というか、わたしたちこどもの小さな世界では、大きさもさることながら、異様な存在感を放つ建物だった。じっさい高さもあり非常に目立っていたと思う。

ある日社宅のみんなと遊んでいるときに雨が降ったようで、そのあと、さくらマンションの方角に大きな虹がかかった。そのときわたしたちは、もっとよく虹を見たいと思い、普段、敷地の外に親に無断で出てはいけない、と言われているにもかかわらず、その時間も惜しんで飛び出し、さくらマンションの屋上まで走って行ったのだった。(そして、あとでひどく叱られたような気がする)。

でももしかしたら、それはわたしの、あそこから虹を見たかった、みんなと行きたかった、というただの願望だったのかもしれない、とも思うのだ。
というのも、さくらマンションの屋上から見たはずの虹の、そこの部分の記憶が一切ないのである。
もしかすると、わたしは行かなかったけれど誰かが行って、怒られたという話を聞いたのを、自分の記憶としてしまったのかも?
せまい歩道をみんなで走った時の高揚感ははっきりと覚えている(ような気がする)のだが・・・。覚えているのは、そこまでで、あとの記憶は、ない。
このあたり、またしても記憶の作り替え問題発生?
じっさいのところは、今となっては雲煙のかなただ。

今考えると、自分のアパートの屋上に行ったとしても、見え方はそんなに変わらなかったと思える。というか、まったく同じだっただろう。が、その頃のわたしたちにとって、さくらマンションの屋上はいちばん高くてかっこいいところだったに違いない。

さて写真の後方に、もっと背の高いマンションがふたつ写っているが、その話は次回に。


※ 今年2023年の前半に、下のような写真展覧会が催されていたようだ。まさに昭和40年代の渋谷。どんな写真があったのだろう。
白根記念渋谷郷土博物館が出している「渋谷の記憶 写真で見る今と昔」という写真集をIからⅣまで持っているが、これに載っていない写真も出ていたのだろうか。
「渋谷の記憶」も、新旧の写真を見開きで対比する構成で、その時の「新」の方は平成22(2010)年のもの。それから現在まででさえも、13年も経っている! 
行けなかったことが非常に残念だ。

【 現在に「直接通じる街並みが形成された」時期という昭和40年代の区内各地域の写真を展示する同展。2年前に開催した昭和30年代の写真展に続く企画となる。会場では、1968(昭和43)年の渋谷駅東口や笹塚駅前、1972(昭和47)年の原宿・竹下通りなど。1969(昭和44)年に学生運動による投石防止のため敷石を撤去した渋谷駅西口、路面電車が走っていた1969(昭和44)年の道玄坂上の玉電上通停留場など、時間の流れを感じさせる写真も並ぶ。渋谷の街の移り変わりを感じられるよう、現在の写真(計24点)と対比展示している。関連地図資料や、東急百貨店本店開業記念切符なども並ぶ。】

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