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南平台の記憶・その6 渋谷のデパートのアドバルーン

南平台の社宅に住んでいたころ、家族で記念撮影をするときにはアパートの屋上にいくことが多かったようで、写真がまだ出てくる。

屋上シリーズにもそろそろ飽きてきたので、最後に二枚載せて終わりにしよう。

一枚目は昭和44(1969)年1月、二枚目は昭和48年春か秋ごろ。
少し場所は違うが、撮影している方向がまったく同じなので、比較のために載せておく。

昭和44年1月
昭和48年

空の面積に注目してほしい。
この4年半くらいの間に、社宅アパートの周囲に高い建物がふえてきたらしいことがわかる。
二枚目の左手に見えているのは、秀和桜丘レジデンスだろう。昭和45(1970)年竣工の10階建。

一枚目の上半分では完全に空が見えていて、まだまだ見晴らしが良さそうだ。

じっさいこの屋上からは、渋谷駅周辺デパートのアドバルーンがよく見えていた。
直線距離にすれば、たとえば東急東横店は500 mしか離れていなかったのだから、それもそうだろう。
晴れた日に、二個、三個とアドバルーンが浮かんでいるのが見えたものだった。

デパートがアドバルーンをあげる時、一店で同時に二個以上あげることはあったのだろうか。
意外とお金のかからない宣伝方法だったとしたら、一店で二個、三個と揚げていた可能性もあるだろうか。
当時渋谷にあったデパートは、東急東横店と西武渋谷店と東急本店だから、三個あがっている時は、各店が一個ずつあげていた可能性もあるだろうか・・・。
赤と白のしましまとか、赤色系が多かったような気がする。

デパートの建物まで見えていたかは残念ながらまったく覚えていないし、肝心の宣伝文句が読めたのかどうか、これも覚えていない。
まだ小さかったので、字を読むこと以前の問題だったかもしれない。

東京タワーもそうだが、アドバルーンも写真が残っていないのが、とても残念だ。

しかし、昭和48年、こんなにマンションが建ってしまったあとには、アドバルーンも、社宅屋上からもう見えなくなっていたかもしれない。
アドバルーン宣伝も、この頃には終わっていたのかもしれない。


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