イカの天ぷら

今日は、会ったことは無い祖父の命日。
いつからか、母は決まって、お夕飯にイカの天ぷらを出してくれた。
いつからか、父方の祖父母を名前で呼ぶようになったのも、もしかすると同じ時期だったのかもしれない。

篤さん。これが父方の祖父のお名前。
ほかのご兄弟(女性も)みんな一文字の家系だったからか、父もまた一文字ではある。
長野に帰省して、真っ先にお仏壇へ行くも、実は遺影が無く、私が祖父の顔を知るのは…ここ10年くらいのこと。

父が大学院生の頃だから、母と出会う前だし、まさかの胃癌で、判った頃にはモルヒネ使うくらいまで末期だったとか。
お医者さんと話して、治療方針を決め、サインをしたのも父だとか。(祖母は存命だったけどね、時代かな)

そんな話をポツポツ聞けたのも、お酒の力を借りて、父と二人で話せたタイミング。
ー神様じゃないから、言ってくれなきゃ分からない。
これは母の口癖で、兎に角大事なことは話さず有耶無耶にしがちな父を揶揄しての一言だけど、血の繋がりからして、父の言いたくない時の態度は、そのまんまの私。
だから、言いたくない、自分の中で消化できないことは口にしない主義なのも、よーく分かる。
祖父の命日も、実はお墓で知ったくらい、本当に何も話さずいた父。
その中で、たぶん、好物はイカで、天ぷらなんかはニコニコして食べてた、とか母に言ったのかもしれない。
決まって、5月27日は饂飩か蕎麦とイカの天ぷらand moreなメニューだった。

生きていたら、丁度100歳の祖父。関東大震災の年に産まれ、戦争も経験して、小学校卒で、手に職をとはり灸院に勤めていたとか。
断片的なことしか知らない祖父のこと、またお酒の力借りて、父が話してくれればと思う。

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