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お手紙攻撃

また今日も、持ってきてくれたの?

飽きもせず、よく書けるね、と。
ありがとう、と呆れず受け取る小さな手紙。
本当なら、私たちと進級予定だったやぐちゃん(れっきとした先生の渾名)は、先輩たちの学年の担当になっていた。
だから、数日に一度、私は職員室かやぐちゃんのいる学年の廊下で手紙を渡すことにした。

教科担当も外れ、学年も違うとなれば、もう接点は無く廊下で運良くすれ違えば挨拶する程度。
きっと普通なら、きっと、やぐちゃんじゃなかったら、内気な自分はここまで大胆に行動することもなかっただろう。
他学年のフィールドに行くこと禁止の学校だったから、何かしら理由を作れば大丈夫。という、中学生らしい言い分を持っていた。

寧ろ、職員室にあまりに堂々と出入りするから、色んな教師たちからも「屋◾︎先生(仮名)なら、今あっちにいるよ」などと背中を押されるほど(情報共有され)私の存在は認知されていたらしい。
そうでなければ、テニス部でたまに表彰さてる子、程度で名前も知られることは無かったと思う。

また、職員室に行く理由が、やぐちゃんに会うことと、社会科の寺尾先生(仮名)に、歴史ネタを調達しに行くこと、…もうこの頃から、周りの子たちと合わない影響が出ていた。笑
(この寺尾先生が勧めたからこそ、大河ドラマ観たり、司馬遼太郎の歴史小説を読み始めたり…したと思う)

やぐちゃんは、元は私の担任の先生だった。
見た目は本当に先生?ってくらいアスリートの塊で(体育教師なことは納得)、熱血さんで、涙脆い。タバコ大好きで、キヨハラとドラえもんを机に並べていた。
何に対しても真っ直ぐなヒト、ただ、おっちょこちょいが酷く、二年に一度は怪我や事故を起こしていることが有名な女性教師。

お手紙攻撃は、私が中学卒業る2年間、みっちりと実行し、たまに電話もしていた。(当時は携帯ないから固定電話だった)
とても憧れていた存在。手紙も、筆無精だから殆ど返事できないよ?と最初に言われて、それでもいいから、お手紙書きたい!と食い下がった記憶はある。
誰かに寄り添うこと、そのために時には自分の想いを表に出すこと。
教育に携わりたいと思った中学生の私は、きっとやぐちゃんの影響をモロに受けていた。
高校以降、報告することは叶わなかったが、妹を通じて私の近況は伝わってたらしい。
ただ、学校の先生にはならなかったから、一緒に働くことは叶わない夢になったけど…いつか、何処かで、またやぐちゃんの名前見つけたら、突撃することは決定している。

「お手紙攻撃、承った。元気そうでなにより。」
返事のはじめに書かれる一言も、右下にいつもあった似顔絵も、何年経とうと忘れない。

遅くなったけど、やぐちゃん、お誕生日おめでとう。

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