![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133826376/rectangle_large_type_2_ee9a00f73e51e2ce6f73f521633eae25.jpeg?width=1200)
雑記(パイロット・キャップレス TWSBI ECO 野原工芸シャープペンシル)
本稿のタイトルを「雑記」としたのには訳がある。今、たまたま机に載っていた三本のペンについて述べておこうと考えたからだ。恐らくは、とりとめのない記事となることを断っておきたかった。
まずは、二本の万年筆が私に目配せする。パイロット・キャップレスと TWSBI ECO である。それらは私が直近に手に入れた二本であるから、「たまたま机に載っていた」という前言には多少の脚色がある。新たに購入したものをまずは使いたいという心情をあたかも忘れてしまったかのように「たまたま」などと云うのは、やはり不実であろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1710329630252-MwN69LDgtw.jpg?width=1200)
キャップレスは前が重いペンである。ペン先を繰り出す機構のみならず、クリップまでもが前方に集まっているのだから、それも当然だろう。キャップをポストするからでもあるが、どちらかといえばリアヘビーな万年筆を使い慣れた私は始め、〈おや?〉と軽い発見のたのしさを覚えた。
私の手の大きさ、机の高さの場合という前提は付くが、そうした低い重心のペンは、ひとりでに動くかのように私の手を引っ張って行ってくれはしない。それは、長々と走り書きするうえではやや物足りない点となろう。
しかし、このキャップレスには別の美点がある。ペン先の紙への着地が、ぶれることなく、端正なのだ。一つには、前述の低い重心がそれを可能にするのだろう。
そして、ペン先の露出する部分は非常に小さいが、迷いのない紙への着地を受け止める程度の柔らかさを内包している。その微かな柔らかさもまた、ペン先が弾かれることなく、端正に着地することに寄与していると思われる。そんな端正さを味わいながら、このペンで書くのはたのしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1710329738729-DcdarbhWgz.jpg?width=1200)
さて、TWSBI ECO はとてもすらすらと書けるペンである。もっとも、まるでペン先が浮いて走っているかのように錯覚するペンや、絶えず紙とペン先との間にインクの膜を張って進んでいる——すなわち、水上を走っているとも感ぜられるペンと比べると、やはりわずかながら、もっさりとした感触が残る。しかし、そこがよい。
![](https://assets.st-note.com/img/1710329915792-aAMZdOsMaA.jpg?width=1200)
浮いて走ったり、水上を走ったりするペンで書くと、ともすれば私は、自分で考えて書いているのではなく、書かされている、何も考えていないのにひとりでに書くことが生まれ、次々と書いてしまうという感覚に陥る。剣呑である。それは確かに至福だが、毎夜毎夜そんなことをしていては身が持たない。
その点、この ECO は、自分を失わずに書ける穏当なペンといえる。普段使いに十分な滑らかさなどといえば、少し貶めているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。日常では、そうした節度のある滑らかさこそ求められる。
![](https://assets.st-note.com/img/1710330351863-u4gUDBC7Dw.jpg?width=1200)
十二月~二月は、突発的に浮上した面倒の処理に追われるなかで、別の予定が流動的であることから、その処理の進行を阻害しまいかと恐れねばならず、あまり気が休まらなかった。無意識にせよストレスに晒されていたのだろうと振り返られるが、そうした情況では、木軸の温かみがやはり身に染みる。それまで普通に使っていたはずの金属製はなぜかよそよそしく、私を拒絶していると映るのだから不思議である。
そうした訳で、この野原工芸のシャープペンシルが机に載っていたというのも実は偶然ではない。
![](https://assets.st-note.com/img/1710329839898-ZI9x9qDrvk.jpg?width=1200)
早いもので、このペンを手にしてもう一年が過ぎた。購入時、経年変化で深みのある美しい飴色に変化するとの説明を読んで心を躍らせた。まだまだ飴色とはいかないようだが、深みが増してきているとは観察される。引き続き見守りたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?