転がる岩になる勇気を

 アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の感想、に見せかけた自分語りです。ネタバレあり。


 ぼっちちゃん、後藤ひとりはいつも何かを怖がっている。周りの人を、これから起こる悪い未来のことを。

 ぼっちちゃんの反応はウケる、不思議、イラつく、可愛い?どんなふうに見えるんだろう。僕にとってぼっちちゃんの心の中として映された景色には、どこか親近感が湧く。分かるような気がする。もちろんアニメ的に映えるように激しい演出をされている。けれど周りに感じる恐怖はそこまで誇張だとは思えないのだ。体育祭でミスした時の恐怖。たった一瞬で、誰も気にしないよって頭では分かっている。けれどそこへ行くまでの間、それこそ火炙りにされて晒し首になるんじゃないかってくらい怖いのだ。キラキラしたみんなを見ていると、どこかで陰口を言われてないかとか、僕だけ浮いていないかとか、それこそ心臓が止まるんじゃないかってくらいの不整脈に襲われて。


 それでも僕とぼっちちゃんが違うのは、ぼっちちゃんはそれを外へ表現していて、僕はひた隠しにしているということ。
 ぼっちちゃんは怖いこと、恥ずかしいこと、自信のないこと、そんなものに触れた時にこれでもかと言わんばかりに分かりやすい反応をする。震えて、魂が抜けて、倒れて。それだってアニメの演出だ、そうでしょう。でもそれがあるからバンドメンバーやスタジオのみんなはぼっちちゃんのことを心配して、ぼっちちゃんのためにと動く。

 僕みたいに、死にそうな不安を押し殺しながら大丈夫だよって笑っていたら誰も助けてくれない。確かに「普通」のふりはできる。ぼっちちゃんはその方が良いって言うかな。でも僕は助けてくれる人がいるぼっちちゃんが羨ましい。


 そんな僕もぼっちちゃんと同じくバンドでリードギターをやっていた。誰かに助けてもらうどころか、スタジオの予約もライブハウスとのやりとりもPAさんに答えるのも全部僕がやっていた。本当は全部苦手だった。でも誰もやらないから僕がやらなくちゃって頑張っていた。みんな人見知りしてはいた、と思う。でも振り返ってみたら、僕ほど不安がりでも人を怖がったりもせずに、今や僕より社会できちんとやっていっている。

 僕は人が怖いあまり、バンドメンバーすら信じずに全部一人でやっていた。起こりそうな恐ろしい未来を予想してそうならないように動いて、でも色んな不安は次々と浮かんで死にそうになりやがらも大丈夫と笑っていた。
 別にバンドが楽しくなかったわけでもバンドメンバーが嫌いな訳でもない。バンドをやったのはすごく良い思い出だ。またやりたいな、と思うくらいには。でもぼっちちゃんと比べると、つい、ああ僕も助けて欲しかったな、ぼっちちゃんみたいに分かりやすく震えられる人間だったら、と思ってしまう。


 どちらかというときくりさんみたいな人間なのかもしれない。でもきくりさん程も振り切れられなかった。研究発表が怖くて、酒を飲みながらスライドを作った。このまま酔っ払って研究室に行こうと思った。けれどそれすらも出来なかった。人の目を気にして、アル中だと思われたくなくて、普通のフリをした。
 それはどんどん加速して、ODも自傷も隠して「大丈夫だよ」と笑っていた。みんなに笑われるのが、馬鹿にされるのが、引かれるのが怖かった。
 僕にとって貼り付けた笑みと大丈夫の言葉は、ぼっちちゃんにとっての完熟マンゴーの箱と同じなのかもしれない。

 けれどぼっちちゃんの怖がりは、実はきちんと助けを求めている強い怖がりで。
 これはアニメだって分かってる。でも、僕ももう少しだけ、強かったなら。少しだけ、怖いよって泣いてみてもいいのかな。

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