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打ち上げ花火にかかる虹

 人生初めての記憶、というものはひとつの幻のようなものだ。本当にあったのかは分からなくて、けれど確かに体験したはずで、けれど夢のように不確かで。

 僕の人生初めての記憶も、同じように不確かなものの筈だった。けれど偶然がいたずらをして、夢に形を与えてしまった。


 三歳になった年の七月だった。その日は地元のお祭りの日だった。我が家はそのお祭りには行かずに、近くの駐車場で花火を見ることになった。小さな子どもを連れて人混みには行きたくなかったのだろう。
 花火が上がるのを待っていた。僕たち家族の他に誰もいなかった。
 空を見上げていると、父親に呼ばれた。それですぐに駆け寄った。その僅かな距離の間に転んでしまった。もちろん地面はアスファルトで、思い切り転んだ僕は膝を擦りむいた。それにびっくりして、僕は泣いてしまった。父親が何か怒鳴った。僕が泣いているから怒っているのだと思った。それに余計に怖くなって、泣き止もうと思っても涙が止まらなかった。
 父親に担がれて家に帰った。台所の蛇口で傷口を洗われた。その間も父親は怒っていて、僕は泣いていた。
 もちろん花火は見なかった。

 その次の日、保育園でプールの時間があった。僕は保育園が嫌いだったけれど、プールの時間は好きだった。だからその日は楽しみにしていた。意気揚々と水着に着替えてプールのある屋上に向かった。けれど、先生は怪我しているから今日はお休みね、と言った。
 僕は素直に頷いた。駄々を捏ねるほど馬鹿ではなかった。というのも、我儘を言ったら父親に怒鳴られるというのが我が家の掟であり、僕の世界のルールだったからだ。もちろん先生も同じルールの世界に生きていると思っていた。だから先生に反抗することなどなかった。
 けれど僕はがっかりした顔をしたのだろう。先生がホースを持ってきて、これで水遊びをしようと言ってくれた。僕は大人しくて我儘を言わない子どもだったから、先生にこうして声を掛けられることはほとんどなかった。だから、先生とふたりで、好きな水遊びが出来ることが嬉しかった。転んだ傷の痛みも忘れるくらいに。


 この記憶を、僕は最近まで自分だけのものにしていた。だから曖昧な夢のひとつのつもりでいた。けれど何かの拍子に、母親にこの話をした。母親も僕が駐車場で転んだことを覚えていた。細かい部分も一致していて、僕の記憶が夢でも思い違いでもないことが分かった。一つだけを除いて。
 それは父親が怒っていた理由だった。本当は母親に向かって怒っていたらしい。ちゃんと見ていないから転んだじゃないか、と。それに母親は自分が呼んだくせにと文句を言っていた。

 僕に怒っていた訳じゃなかったんだ、と思ったけれど、安心もしなかった。どうして三歳の子どもが、親の機嫌が悪くなった瞬間に自分のせいだと思ったのだろう?それが不思議で、そして怖かった。


 僕の世界への不信感は、人生初めての記憶の時から、そしてきっとその前から、ずっと続いている。それでも今僕が、曲がりなりにも生きているのは、あの日先生が一緒に水遊びをしてくれたから。

 ホースから溢れた水がきらめいて、小さな虹を作った、あの景色が本当だったから。

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