「生きやすい人間」ってやつ

 生きづらいような気がする。僕はどうして普通じゃないんだろう?

 色んなものに依存している僕はTwitterにも依存している。大抵眺めるだけ。おすすめ欄に流れてきた知らない人のツイートをいつまでもスクロールしている。

 僕はTwitterの中でも生きやすいとは思わない。ツイートにだって、合わない空気というものがあって、そしてそれが多数派なんだよなって気分にさせられる。

 なんとなく夢を見ているようなポジティブなツイート。そういう人たちの口調はなんだか似ている。そういう人たちはなんらかの共通点を見つけるとすぐに仲良くなり、お互いの何気ない日常についてもリプを交わし合い、愚痴を言っては慰め合い、そしてまたポジティブな言葉を呟く。

 羨ましいか、というとそうでもない。酷い言葉を使うと、ただ頭を使わずに同じような定型分を交わして満足しているように見えるからだ。それは僕にとってつまらないこと。もっと深く考えたことについてなら話し合いたい。けれど短いツイートではそんなの不可能。だから僕はあまりリプを送らない。

 そうやって、毎回お決まりの声かけをしている人たちは幸せそうに見える。正確には幸せというものについて深く考えていないように見える。その点では羨ましいと思う。あまり考えず、常識というものに乗っかり、みんなが良いと言えば良い、悪いと言えば悪いと口を揃えて。

 やっぱり多数派、というのは生きやすいと思う。誰がどう考えたって、同じ考えの人が沢山いた方が安心できるでしょう。”深く考えない”ことそのものが生きるためのスキルだ。バズってるツイートを何も考えずリツイートする。炎上していることに何も考えず乗っかって叩く。みんながやってるから、それが幸せだから、結婚して子供を作ってそれからそれから。

 そんなのつまんないと思う。けれど僕が苦しいのはそれが出来ないから、というのも事実だ。それなら僕は僕だけの居心地のいい場所を探さなくちゃいけない。


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