助けてというたびに少しずつ遠のいていく世界のこと

 うつ病になって、というか、自分が抑鬱状態だと気づいて、育った家庭もどうやらあんまり良くはなかったらしいと気づいて、そこから少しずつ助けを求めるようになった。

 たとえば大学や民間のカウンセリングルームに行った。それから病院にも通っているし、勉強のために合理的配慮のお願いもした。親や友だち、恋人(そのときはそうだった、ので今はいないけれど)、教員にも自分のことを話した。助けて欲しいと言った。迷惑をかけるけれど、かけているかもしれないけれど、ごめんね、ありがとう、と言った。少なくとも言ったつもりだった。

 けれどそれをするたびに、少しずつ、世界との歯車が合わなくなっていった。病院にも行かず、てきとうな自傷で誤魔化していた頃の方が、周りにも悩んでいることを黙っている頃の方が、社会に適合できていた。その方が友だちはわたしを誘ってくれた。恋人は楽しそうにしてくれた。先生は褒めてくれた。

 でもそれじゃあ苦しくなった。勇気を出して、助けてと言った方がいいと知った。だから頑張ってそうした。薬を貰って、カウンセリングを受けて、初めはそれで良くなるかもしれないと思った。

 けれどそんなことなかった。どうしてだろう?苦しい、と話すたびに「周りに頼って」「助けを求めてもいいんだよ」と言われる。いま、あなたに、そうしているじゃないですか。あなたに助けてって言ってるんです。でも精神科医も、心理士も、教員も、事務の人も、「誰かに相談したら」と言った。自分以外の誰か。精神科医は心理士とか友だちに相談しろと言う。心理士は友だちや恋人や教員に伝えろと言う。教員は心配していますと言いながら自分のやることじゃないという顔をする。事務の人は精神科医に相談しろと言う。友だちや恋人は困った顔をして、距離を置いて、自分には手に負えないと去っていく。

 助けてって言ったのに。頑張れば助かるかもしれないと思っていたけれど、わたしが間違っていた。そうだよね、確かに、みんな自分が出来る範囲のことしか出来ないし、責任も負えないし、仕方ないよね。自分の専門じゃないことは専門家に任せたいよね。それが正しいことだ。でも専門家はどこにもいなかった。だから助けてと言うべき場所も人もどこにもないのだ。

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