“KAMEN RIDER”

 仮面ライダーが仮面ライダーたる所以、とは何だろうか。それは敵と同じ力を持ちながらも、その敵に逆らい何かを守る、という点だと思う。

 改造人間にされかかった1号を始めとして、仮面ライダーの力の根源は敵と同じものだ。何かの装置、外部からのエネルギー、あるいは自らの欲望、その形はさまざまだけれど。

 守るものも様々だ。彼の正義か、彼の愛する者か、彼の属する世界か、彼の愛する街か。その「正しさ」は時によって見る影もなく変貌してゆく。

 僕は仮面ライダーのそんなところが好きだ。彼が戦う理由。彼が戦える理由。それが物語の根幹を成し、そうして結末を迎える。それがどんな形であれ。

 そして僕は、仮面ライダーに「彼」であって欲しい。性別は問うてはいない。しかし「彼」であって欲しいのだ。僕が思い描く理想の「ヒーロー」とは、いま現在で言うところの男性の形をしている。それが何故かは分からない。はっきりとこう違うのだと説明することはできない。そもそも性別など、生物種など、人間が恣意的に定義したものに過ぎないが、しかしその恣意的な定義の下で、僕は「ヒーロー」に憧れる。そして敵の女幹部に魅了される。恣意的に形作られたそれは、僕のどこかに美しさと妖しさと嗜虐心を催させる。どうしてか、定義上の女性に惹かれてしまうのだ。僕は何かを区別している。僕は何かを差別している。それを眼前に突き付けられて尚、僕は仮面ライダーに「彼」であってくれと願う。

 冒頭の問題に戻る。敵も味方も力の根源が同じである、ということを、僕は親子の隠喩に感じた。子は親から多くを受け継ぐ。遺伝子、環境、思考、その他、呪いに似た何か。それを使いながらも別の道を進まねばならない。力を与えた者を超克しなければならない。

 僕だって親に似ている。そしてある意味親は敵だ。同じ力を、しかし別の目的に使う。悪と同じ力を持っていることに絶望するのではなく、その力を自分の信じる正義のために、自分の守りたいもののために使うのだ。仮面ライダーのように。

 仮面ライダー1号の放映から50年が経ち、時代が変わり、しかし仮面ライダーはまだ存在している。1号の影響を受け継ぎ、そしてそれを越えんと挑戦し続けながら。

 まだ見ぬ「シン・仮面ライダー」に捧ぐ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?