わたしにも、意見を聞いてもらう権利があるのかもしれない

 精神科の病院を変えようかと思って、この頃少し動きはじめている。

 今の主治医は、あんまりわたしの話を聞いてくれない。もちろん、調子はどうだとか、眠れているかとか、そういうことは尋ねる。でも、主治医が聴きたいから尋ねているだけで、わたしが言いたいことは聞いてないような感じがする。

 例えば、友達と会った方がいいと言われる。それに対して、疲れるからいまは会いたくないとか答えても、反応はあまりない。たぶん期待していない返事だから聞きたくないのだろう、と思う。分かりました、とか、今度会うことにしました、とか、そういう返事だけ聞きたいのだろう。わたしの友達に会いたくないという気持ちは無視され、次の診察では忘れられ、また同じ話をされる。わたしはそれに傷ついて、もう傷つきたくはないから、曖昧に笑ってやり過ごす。わたしの気持ちは主治医に聞いてもらうことすらない。

 実家ではこんなことは当たり前だった。両親はわたしの気持ちや意見なんて聞いたことがなかった。父親は自分が正しいという考えを絶対に変えない。反論したらすぐに不機嫌になり、怒鳴り始める。だから小さい時から父親に反論なんてしたことがない。いつもそうだねと頷くか、曖昧に笑っておくか。それすらも機嫌が悪いときには否定された。お前は何を考えているか分からないと怒鳴られた。何を考えているかなんて聞いてくれるわけないから話さないだけなのに。
 母親もわたしの話を聞いてはいなかった。いや、父親よりは少しましで、一応聞いてはいたと思う。しかし受け止めたり考えたり記憶に留めるということはしなかった。これは嫌だとかやりたくないということに関しては、母親も否定的な反応をした。幼いわたしはそれに傷ついて、二度と母親にそういう話をするまいと心に決めた。保育園に行きたくないとか、習い事を辞めたいとか、父親と離れたいとか、そういうことを口に出すのをやめた。

 わたしの気持ちは誰にも受け入れられない。昔付き合っていた恋人に、こういうことはやめて、と言ったことも受け入れられなかった。たぶん一度も。笑われて終わりだった。今ならそれがおかしいと分かるけれど、その時は怒りはしたけれどすぐ諦めてしまった。実家と同じだったから、そういうものだと思っていたのだ。怒ることができるだけ良い関係だとすら思っていた。

 大学で相談したカウンセラーさんにも、気持ちはあまり受け入れられなかったように思う。もちろん、資格のあるカウンセラーだから、共感とか傾聴とかそういうのは他の人よりしてくれた。だからありがたいと思っていた。しかし、こういうふうに変わりたいとか、こういうことを知りたいというわたしの要望は結局聞いてくれなかったように感じた。主治医と同じように、こういうことをした方がいいとか、こう考えた方がいいということを言っていた。何度かわたしはこう考えているということを頑張って伝えた。紙に書いて持って行ったこともある。けれど、何も変わらなかったような気がした。同じ話を数ヶ月伝えてやっと分かってくれたとか、そういうこともあった。

 わたしはわたしの気持ちを受け入れてもらったことがない。ほとんど。だからまず、自分の気持ちを伝えていいのだとか、伝わるまで伝えようとしていいとか、伝わらない相手と深く関わらなくていいとか、そういうことがよく分かっていなかった。いまも分かっていないと思う。だから病院を変えるのもわたしのわがままのような気がしている。カウンセリングに行かないのも怠けている気がしている。

 自分の気持ちを受け入れてもらえないことは辛い。だからそれを避けるために嘘をついてきた。相手が望んでいそうな返事だけする。自分の本当の気持ちは話さない。気づかないふりをする。そうしていたら、自分の気持ちが分からなくなって、相手の望んでいることが正しく、わたしもそれを望むべきだと思うようになった。

 でも、このうつ病から抜け出すには、そういうのをやめないといけないのだと思う。我慢ばっかりしていたらいつまでも辛いのだと思う。だから病院も変えるし、新しいカウンセラーさんを探すし、母親には会いたくないとはっきり伝える。わたしにはそうする権利がある、と思う。まだあるのだと断定できないけれど、たぶんそうなんだと思えるくらいには、自分も大事にされるべきだと気がつき始めている。

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