240809 権利、自分を大事にすること

8月9日は長崎への原爆投下の日である。これが最後の原爆使用になりますように。


昨日noteを書きながら、やっぱり、自分はもっと怒ってもいい経験をしているのだよなあと考えていた。自分が大事にされたことがないし、自分を大事にしたこともほとんどないので、なにが権利の侵害で、何が怒って良い、怒って当然のことなのかもよくわからない。


さらに前の、ある心理士の方が炎上した件について、その方が関連してポストしているのを見てしまった。それも、もうがっかり、という感じで、裏切られたような気がした。臨床をするのであれば、自分の思想信条や属性は置いておいて、差別なくクライエントに向き合うべきである。それをしていないというのが伝わってきて、わたしは落ち込んでしまった。それはいつかの、わたしが受けたカウンセリングを思い出したからだろう。相談しているのも苦しめられたのもわたしなのに、わたしの母親の支援策について色々話された時のことを思い出した。その時の心理士さんは母親とそう変わらない年齢の人だった。だからたぶん、母親に感情移入したのかもしれない。でもそれは目の前にいるわたしをないがしろにすることだ。それに傷ついたのに、その時は頷いて話を聞いていたし、あとからやめてほしいと伝えた時もとても控えめに話した。本当はもっと怒って良いことだったのだろう。だから似たようなことを目にすると思い出して辛くなる。


ふと、トラウマにテトリスがいいかもしれないという研究のことを思い出して、久しぶりにテトリスをした。トラウマに効いているのかは分からないが、落ち込んだのが少し回復した。気分転換にはなるようだ。最高記録を更新した。


自分を大事にする、ということがよく分からないけれど、分からないなりに、自分の身体のパーツに感謝するというのをやってみた。いつも消化とかを頑張っている胃腸とか。運動するときお世話になる筋肉とか。その他いろんなところ。そうしたらふと、この身体は親からの理不尽な仕打ちに一緒に耐えてきてくれたのだよなあ、と思った。ありがたいし、それならば今からは優しくされるべきだと思った。それを思うと、自分を大事にする、ということがほんの少し分かった。まずは、自分の身体を客体として見て大事にする、それならば始めやすいと思った。これについては、調べたりもしてまた記事に書こうと思う。


瞑想もここ2日は10分以上やるようになった。坐禅のやり方のサイトを見て、それを真似すると、少し心が凪いでいく感じがした。いつかお寺にも行ってみたい。

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