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スペードの3

 この間は気の合う仲間達で1泊2日のグランピングに行った。僕は中学生の頃から上手くはないがスケートボードが趣味で、グランピングのトレーラーやキャンプ場がある施設の隣にはスケートボードが出来る施設もあり、昼はスケボーをして、夕方からバーベキュー、夜はトレーラーの中で眠くなるまでトランプという具合に最高の時間を過ごしたのだ。

最高の時間を作るのにお金は殆どかからず、消費するのは時間だけだ。時間は仕事をしていても勉強をしていても消費する。ただ楽しい時間に楽しくなれる心さえ持っていれば誰でもすぐに幸せになれる。
もちろんそのようになれない人もいるのは分かっているつもりだ。パリピでも分かるはずだ。こういう前置きはまだ必要なのであろうか?
あーまたキャンプに行きたい。

僕はアウトドアは殆ど初心者だ。ニワカではない、初心者だから優しくして頂きたい。どっちでもいいが誰か僕にテントの張り方を教えてくれ。そう今、日本ではキャンプブームが起きている、スケボーも流行っていて僕はまるで流行に乗った気分だ。
たまには流行に乗ってもバチは当たらない。僕よりも先に世間が流行りに飽きるからだ。僕は未だにパンケーキとタピオカは好きでたまに買うしパンケーキに関しては作ったりもする。未だに死語であるKYを自分の自己紹介の時に使ったりもする。僕が生まれる前に流行った「なうい」もガンガン使わせてもらっている。もう今やKYに関して言えばマイノリティで、空気を読むだけの思考停止の人間達がKY狩りを楽しんでいる昨今だからだ。そんな馬鹿が9割以上を占めた日本で民主主義を守ろうとかそんな議論をしているが、9割以上が馬鹿な大衆で一ミリも合意形成へと向かわないフリースタイルじゃないダンジョンが永遠にTwitterで開催され続けている昨今のどこら辺が民主主義だというのだ。

僕にとって本当に多様性を味わえたのは公立の中学校だけである。あの頃、あの狭い教室の中には、ヤクザの息子や金持ちの子、貧乏な子、普通の子(僕)にクラスのマドンナに、キレやすいオカルトオタク、化粧で怒られるギャルや中身のない生徒会長に、熱血体育教師に、英語の発音がセクシーな英会話教師(僕の初恋の人である)、もはや学校で迷惑行為をしない不良、大学生と交際していた陰の多き女の子、陰険な叱り方をして嫌われていた理科の先生、校長にしか頭を下げない教頭に、優しそうなのに何故か信用できない校長 エトセトラ...。もうこれはキャラだけで言えば大人になっても同じ縮図である。校長(学校のトップ)は確実にPTAや教育委員会を気にし過ぎて自分の地位を守るためにもはや僕らのことなんて一ミリも考えていないと子供ながらに疑いを抱いていた。それは僕らを子供扱いし過ぎて優しい言動ばかりしていた校長のスピーチを聴いていれば容易く見抜けた。これを国単位で考えれば、今の政治家はあの頃の校長そのものである。自己保身や忖度だとかあの頃からそうだったよ。

そんな、なんちゃって民主主義を振りかざす今の日本では、多くの個人はスマホの中の自分の好きなコンテンツにしか興味がないので、見たくないものや考えたくないものを享受する力はほとんどない。ここに多様性を受け入れられる土壌も民主主義を持続させる知性もない。そもそもアイドルを永遠に求め続けるクズで幼稚な男どもが急にフェミニストと公然と自称することを許す民主主義はクズの多様性が増えるだけで、思想の多様性は殆どの人間が理解できる知性を獲得していないように思えるのだが。

さっきの校長のように一見して優しく、頭が悪く信念のない政治家を選び続けるのと、永遠に虚構のアイドルを現実に求める処女崇拝のクズな男どもはニコイチのような問題だ。我々個人が頭を良くして想像力と信念を兼ね備えた大人であれば頭の悪い政治家を許さず、女性としっかりと本質的な対話をしたことがあるならば、処女崇拝もしないはずである。普通の人間が大人になる為のステップを踏んでこないで大人を演じて議論をするというのが平然とまかり通るのが今のなんちゃって民主主義だ。我々全員が内なる弱さに打ち勝っていれば普通に社会は安定するのである、逆に自分と戦おうとせずに相手を評論ばかりしているからKY狩りが起きるのだ。本当に民主主義を目指したいならば本質と共に生きる感受性を獲得して、内なるクズと戦い続けることができる人間たちによって初めて達成されるし、景気も少子化も自然と解消されるはずである。このままの感受性では今日本にいるほとんどの人間はメタバースから出られなくなるだろう。そして本当に重要な議論だけができる人間によって現実社会を回していくことになるかもしれない。我々は本当にそれでいいのだろうか。僕は断じて嫌である。

と、思考の世界もいいが、僕は現実のキャンプ、そう我々が生きている実感を味わう場所それがキャンプなのに、僕はまた寄り道をしてしまった。基本的にフリースタイルでタイプしているのでこうなるのだ。これには理由がある。本当に自分が考えている事を証明する文体であるのと意識の気持ちいい集中を持続させる為に私は書き終わるまで添削はほとんどせずに書き続けるのを心掛けているのだが、フリースタイルはこのようなことになるケースが高くテーマの一貫性を保ちづらいのである。

さてキャンプだ。キャンプ。いやあ、あれは本当に楽しかった。思い出すだけで暑く、東京に住んでる人間からすればうま過ぎる空気に、山の重なり、曇ってはいたがたまに山から降りてくるあの不思議なひんやりとした冷気、ジメジメしてないからTシャツはすぐ乾く、都会では見られないような頬を崩してくしゃくしゃにして笑う友達の笑顔に、最高の音楽、僕は現地に着いて一瞬にして幸せなヴァイブスになった。都会では何故かウザがられるあの幸せヴァイヴスを我々はずーっと誰にも邪魔されずに味わったのである、今、僕は東京の自宅でこれを書いているが、僕はもう既に夢見心地である。

スケボーを終えて汗をかきまくってヘトヘトの僕らの体は日差しガンガンでこんがりの肉とこんがりの肌に、キンキンのブロンドパツキンカラーのビールだ。一斉に皆んなで乾杯をし、友達の一人は、雄叫びを上げた。近くの周りのキャンパー達も幸せヴァイブスだから、誰も彼の大きすぎる雄叫びを煙たがる人はいない、ここは東京ではない、根底から秩序の違う世界なのだ、ここで勉強している人間なんていない、楽しんでいる人間しかいないのだから。

明るく楽しいキャンプ、汗まみれのスケボー、持参した高級ハイランドスコッチにハーブ塩のステーキ、香るガーリックに、ぐつぐつのいなばタイカレーにつやつやのサトーのご飯。一通りBBQを楽しんで、歩くと遠過ぎるコンビニまで散歩したり、コンビニでつまみを食い切れないほど買ったり、そんなこんなで夜も深くなってきたので我々の泊まる豪華なトレーラーへと入った。シャワーも冷蔵庫もデカいベッドもついた最高の空間だ。最高にチルなヒップホップをかけて、トレーラーだからたまにエミネムかけたりして、我々はまず買ってきた様々なおつまみ達を持ってきたバーナーで炙りながらスマホアプリの大富豪をダウンロードした。何故スマホかといえば仕事のせいでキャンプに行けなかった友達も誘ってオンラインで遊べるからだ。バーナーおつまみの中で一番美味しかったのはトリュフのポテチとビーフジャーキーであった。もうあの時食べた瞬間の僕の表情は間違いなくキマっていた。目がとろーんとしていてトランプの数字がぼやけていた。

大富豪というのは実に安直なネーミングだが実によく出来ている。人生ゲームは金持ちになった人が一番だが、大富豪にはゲームをしている時は金持ちになった実感が持てない上に先に上がった人間が一番だから貯蓄という概念がそもそも存在しなく資本主義とはかけ離れたようなゲームで、ローカルルールは各々だが、8切りに5スキ、ジョーカー1枚に、11バックに3が弱く2が強い、そして革命。もはやこれは政治ゲームのようである。その中でも2が1よりも強いというルールに僕は轢かれてしまう、精神的にも、1番というのはプレッシャーや注目を集める存在だが2番というのは1番よりも外的影響をあまり受けないから、僕は人生でも1番ではなく2番を好んできたというのもある。中学のサッカー部の頃は副部長である。ナンバー2である副部長は非常に自由である上にチームメンバーからある程度の信頼も得られ、1番に比べてほとんどプレッシャーのない最高の役職であった。しかし大富豪の中ではジョーカーに負けるというのは全くを持って納得がいかない。というのはただの個人的な私情である、ずっと私情を綴っているのであるが。

僕は、かなりの確率でジョーカーとお気に入りの2を獲得した。つまり最強の手札である。4人で行っているのでまあ結構な確率で最強の手札になるのだが。最初の3試合は、連続で1番上がりした。大富豪が強いレッテルを得られてから4試合目以降からはビリにはならなくても不調であった。お気に入りの2番を手にしても革命の時代が続いたからだ。ジョーカーというのは革命の時にも最強なのが気に入らないキャラクターである。5年くらい前からダークヒーロー人気、個人が劣等感を肥大させた挙句に、もはや大衆と化した現在の日本に近しい心理描写とも言える映画JORKERが流行った。まさに僕らの大富豪も革命の時代に突入した訳だがジョーカーは相変わらず最強だ。余談だが、我が国の漫画においては、オフビートフィーリングという概念を石ノ森章太郎が作り、その概念がハリウッドでも好かれ、その後様々な作品にそのモチーフやキャラクターが作られ、ダークナイトやJORKERといった人気作品を作った。簡単に言えばオフビート作品の主人公というのは社会の内側というメインストリームにはいない社会の外側で力を持った存在である。今流行っているヒップホップもフェイスブックなど作ったオタク達も元はこのオフビートフィーリングに従って忍者的に生きる格好良さを享受したのである。

そして最終試合、私が手にしたのは、2が2枚にエースにキング....etc.これはもう勝ち方が見えていた。
と思いきや、ゲームの中盤でまたしても友達の一人が革命を発動。もう最低最悪の状況である。結果革命を発動した友達から上がり、もう1人も上がった。
終盤に私は切り札3を残していた。このくそみたいなゲームで、またしてもジョーカーが現れた、嗚呼、またこいつか....と、思いきやちょっと待て、ルールをやや忘れていたが僕の3にはスペードが付いているぞ、勝った。スペードの3を出し、スキップ、2を2枚出して上がり。完璧だった。最弱の特殊能力者スペードの3のおかげで僕のお気に入りの2が2人同時にゴールしたのだ。

僕はその大富豪を楽しんだ後皆んなでああでもないこうでもないと笑いながら話しているのに頭の片隅にはスペードの3が居た。嗚呼スペードの3。ジョーカーを唯一倒せるスペードの3。

最強のジョーカーが支配する世界において、ひょっこりと現れる見向きもされなかったスペードの3という特殊なやつが、本当に今私が求めている存在なのかもしれない。たとえ2でも世界にはジョーカーがいる。そして今のジョーカーの蔓延したこの日本の社会に革命が訪れる可能性はもう殆どない。だが、本当に唯一の希望は、この最弱と呼ばれ見向きもされないスペードの3なのかもしれないと、半笑いで微笑んでみた。スペードが何を意味するのかは知らない。僕の知らない何処かにそんな救世主のような人がいるのかもしれないなぁ。また半笑いで、友達の談笑に戻って行った。

嗚呼誰か僕にテントの張り方を教えてくれー。
「僕が全て教えてあげる。」「君の名は……。」

エッセイスト 秋野 藤吾









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