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歴史を踏みしめる【ムカサリ絵馬】その三 黒鳥観音堂

 正門に正対する。天井がやや低い木造の仁王門が私を迎え入れてくれた。一礼して潜る。仁王門とはいっても左右に仏像が立って睨みを利かせているわけではない。そこは蛻の殻であり、唯一、不定期で出入りしているかもしれない関係者が、きっと使用しているであろう作業道具が置いてあるだけだった。

正門

 境内に戻ると、目の前に御堂が待ち構えている。右手には、先程、下りてきた階段と水子地蔵があるという構図だ。改めて見る御堂は、大きくはないが慈悲深さからくるものなのか温かさがある。壁には巡行者が貼り付けた御札が所狭しと確認できる。「最上三十三観音第十九番札所 黒鳥観音堂」と白色の文字で書かれた赤旗が靡いている。私以外に人はいない。観光地としての誘致意識はなさそうだが、とはいえ最低限の案内の旗もあるし、小坊主のキャラクターの案内板もある。定期的に私のような物好きや、絵馬の奉納者が訪れるのだろう。

 第一回の記事でも簡単に述べたが、改めてムカサリ絵馬の概要を記す。まず、気になるのは「ムカサリ」という言葉である。恐らく東北地方にお住まいでない方は聞いたことがないであろう表現だと思うが、お察しの通り方言である。「結婚」を意味しており、「ムカサル」という動詞になれば「結婚する」という表現になるわけだ。東北地方の風習でしばしば見られる冥婚、死者婚礼の一種であり、未婚のままで亡くなった家族や友人、知人の供養のために、せめてあの世では幸せになってほしいとの願いを持つご遺族が、絵馬に架空の配偶者と二人並んだ故人の絵を描き、寺に奉納するというものだ。
 ただし、絵を描く時の注意点が一つだけある。それは実在の人間を描かないこと。この世の人間を一緒に絵馬に描いてしまうと、その描かれた人はあの世へ連れて行かれるとされているからだ。供養と故人の寂しさが、たった一枚の絵馬から感じ取ることができる貴重な風習だ。

 物静かな境内に、雨音と私の足音だけが響く。御堂の左手には脇道が続いており、遠めに見ると寺務所があるようだ。どなたかいらっしゃるかもしれない。行ってみよう。
 歩みを進めると、寺務所の窓が見えてきた。ここで御朱印が戴けるのだろうか。そう思い覗き込んでみると、部屋の中は真っ暗だ。どうやら誰も居ないらしい。残念ながら、以前に電話でお話をさせて頂いた女性や関係者は留守のようで、お話を伺うことはできなかった。さて、御堂に戻る。

御堂の正面

 改めて御堂の正面に着くと、巡礼を示す御札が貼り巡らされた木造の壁に圧倒される。階段を上り、傘を置く。「土足厳禁」と書かれた注意書きの看板に従い、一礼して靴を脱ぎ、中に入った。

びっしりと貼られた巡礼者の御札

 薄暗い部屋の上下左右、いや四方八方、目に付く箇所は全てムカサリ絵馬で埋め尽くされている。事前に資料で確認することと、現地で目にする景色から受ける印象はまったく異なり衝撃的だった。実際に絵馬に近付いてみる。すると、まずサイズ感がわかる。絵馬のサイズは様々で、A1サイズほどのポスターのような大きさから、小さめのものまで飾られており、縦横の描き方も異なる。
 七畳ほどの大きさしかない空間の中央に、御本尊の観世音菩薩像がいらっしゃる。さっそく御挨拶をしよう。正面に座布団が敷かれており、腰を下ろして正座する。すると、視界が明るくなった。どうやら、菩薩像に近付くと、センサーが作動して灯りが点く仕組みらしい。小さな歴史を重ねた御堂の中に、現代的でハイテクな工夫が施されている様子は対比を感じるだけでなく、この風習を後世に伝えていきたいという気概も感じた。
 手を合わせて、御挨拶を済ませると、しばらくそのまま座ってみた。菩薩像の正面上部には「奉納」と書かれた提灯が下がっている。左右には仕切られた金網越しにいくつもの像が置かれており、名称までははっきりとわからなかったが、それなりの数の地蔵のようなものが陳列されていた。私一人に視線を送られているようで、どこかほっこりする。
 そっと立ち上がり、部屋中を見渡す。以前に調べたところによると、室内は撮影禁止という情報を入手していたのだが、入り口の土足厳禁、そして菩薩像の横に掲げられた「禁煙」の板以外に注意書きはなかった。昨今、メディアで取り上げられることも多くなったからか、以前は禁止していた撮影を解禁されたのかもしれない。多くの方に風習を認知してもらいたいという願いもあるのだろうか。そうとは言っても、念の為に、故人が特定できないように画角に配慮して写真を撮らせて頂いた。また、時代が比較的新しい絵馬や写真も写らないようにした。貴重な資料となり、有難い限りだ。

御堂内部

 この室内で最も古い絵馬はいつ頃に描かれたのだろうか。気になった私は目を凝らして見学してみたのが、私が確認できた範囲でも、明治三十一年や大正四年と記された絵馬が発見できた。絵の背景も多種多様である。何もない無地を背景にして二人が描かれているものや、神社仏閣の境内を思わせる参道や石畳が背景にあるもの、鳥居が描かれているもの。屋外とは対照的に和室で新郎新婦が正座をしており、床の間が背後に確認できるものなど、時代背景が窺える。
 ただし、服装に関しては多くの絵馬で共通している。袴や着物姿で男女が描かれているものがほとんどであり、普段着や洋服で描かれた絵馬は見渡す限りでは目に付かなかった。また、和装であるからと言って、納められた時代が必ずしも古い絵馬とは言い切れない。平成に描かれたものであっても、ご遺族が昭和生まれの方であれば、自然と我が子の結婚のイメージは和服で描くかもしれない。もちろん、黒鳥観音堂に関しては、圧倒的に昭和に納められた絵馬の数が多く見受けられたので、和装が多かった。
 堂内の左に小さな縦長の机がある。そこに和紙が置かれており、何やらと思って見てみると、御朱印の書き置きだった。なるほど。コロナ渦以降は当たり前になった書き置きだが、寺務所には関係者が誰も居なかったので、有難くお賽銭を納めて一枚、戴くことにした。

 そっと一礼して、御堂から出る。雨は少し小振りになっていた。堂内では時折、「バーン!」という害獣駆除のような発砲音が外から聞こえており、田畑が多い地域ではよく耳にするが、それ以外にも音は聞こえていた。木造であるが故に、軋む音がするのはよくあることだが、絵馬を眺めていると、「パキン!」「ドン!ドン!」という音が鳴った。二階はないが、天所付近から鳴っているようだった。普段、静けさに包まれた御堂に一人で居ることはないので、気にならない音が気になっただけかもしれない。しかし、御挨拶に来た私へのメッセージと捉えておいても良いだろう。貴重な見学であった。

「人、誰か居ましたか」

「いやあ、いらっしゃらなかったですねえ。雨も降ってましたしね」

 呼んでいたタクシーが再び到着して、往路と同じドライバーさんが迎えに来てくださった。さて、昼食を取って、次に目指すのは若松寺だ。(続く)

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