見出し画像

"諦(明)"の気づきを、地域医療へ 福山智基さん vol.2

─父や祖父母のように医者を志した理由は何だったのでしょうか。

漠然と医者になりたいっていうより、『後継ぎにならなきゃいけない』というか、そういう気持ちを潜在的にもっていたんだと思います。

正直医者の息子として産まれたことがすごく嫌だった時期もありました。
どこへ行っても勉強出来て当たり前・・・みたいな感じで。そんな決めつけんといてよ、と思うこともありました(笑)

でも、今、振り返ってみますと医者になって良かったなと思います。
今まで多くの方の最期を見届けさせて頂きましたが、その数だけ命のこもったメッセージを頂戴してきています。
そのメッセージは全てが有言ではありません。無言のものもございました。

そのメッセージは医師だから、主治医だから頂けたものと思っています。
一つ一つが僕の大切な物で心に刻んでいます。人生の最期を見届ける人として僕を選んでくださった患者さん達には感謝しかありません。
よく医師と命は共に議論されます。

医師になって人様の最期を看取らさせて頂く立場になり、本当の意味で命の大切を理解しつつあり、もちろんですが命の奥深さも感じています。
最期の迎え方に正解は無いといつも思います。

─お仕事の時以外のプライベートではどのように過ごしていますか?

最近はYoutubeをよく見たりします。特に副総理の麻生太郎さんが老後2000万問題をおっしゃった時から、もっとちゃんと老後の備えを考えなくてはと。積立や投資の動画で勉強しています(笑)。
へぇ~!って言いながらいつも見てます(笑)

─先生のあだ名が『ふっきー』なんですね。

そう、ふっきーって呼ばれていました(笑)
大学の頃の一個下の後輩が、僕の前では福山先輩とか、福山さんとか言われてたんですけど、ある日、後輩同士でしゃべっている時にみんな『ふっきー』『ふっきー』って言っているのを小耳にはさんで。

で、後輩たちに『ふっきーって誰のことなん』って聞いたらみんなシーーンってなって(笑)実は先輩のことで・・・って告白(?)されて。

それで気に入ったので、そこからずっとふっきーです。

─東郷に帰ってくる前の金沢の大学病院でのことをお聞きしてもよろしいでしょうか。

金沢医科大学病院で消化器内科と集学的がん治療センターに所属し主に臨床医として働いていました。

患者さんの半分以上は消化器がんの進行癌の方で、多くは手術が困難ないわゆる末期状態の方々でした。よって化学療法(いわゆる抗がん剤治療)が主な仕事でした。
食道癌、 胃癌、大腸癌、すい臓癌、胆道癌などです。

医師になった頃は特にがん(診療)に興味を持っていたわけではなく、その上、学生時代は消化器病学が得意ではありませんでした。
また学生時代は打診(腱)器を使いこなしながら難しい神経疾患を診断される脳神経内(外)科の先生に憧れていました(今でもかっこいいと思っています)。

2年間の研修が終わり、もう一度どのような道に進むか悩んでいた時、学生時代に国試対策などで御世話になった消化器内科の先生から突然お電話を頂きました。
「お前は悩む必要は無い。最初から消化器内科なんだよ。」と。

研修医時代、モーニングカンファレンスなどで一番かわいがって(?)頂いた科でしたので、「うそでしょ?」と思いながら、流されるまま入局したのを今も鮮明に覚えています。

そうして消化器内科に入局したのですが、入局した時、前述の如く消化器には多くのがんがあるのに、抗がん剤を専門にされている先生がおられなかったのです。

で、若造にも関わらず、おられないなら自分が抗がん剤を中心に臨床を頑張ろうと思ったのが始まりでした。でも指導医がいない中で若造医師の孤軍奮闘には限界があります。


そこで研修医の時に御世話になった血液内科の指導医を頼りました。
白血病の患者さんを通じ悪性疾患の治療方針の立て方や患者さんへのお話の仕方の基本を教えて頂いたので、病気は違えど共通する部分も多く、また、アメリカでの留学から帰りたてで当時としては先進的な事も多く教えてくださり科の垣根を越えて指導頂きました。

このようにして消化器がんの抗がん剤を始めたのですが、抗がん剤は確かに進行がんの方の生存期間延長には効果がありましたが、先ほども述べたように私が担当することが多かった患者さんは末期の方で、治療を行っても近い将来の永眠を免れることができる方はほとんどおられませんでした。

病名告知の時は、もちろん治療前ですから、可能な範囲で前向きな言い回しもできましたが、1,2年治療を頑張って頂いた後に必ず積極的な治療の終わりを告げる(悟られる)時が来る、”諦”めて頂く時がいつか来ると思いながら抗がん剤を導入しておりました。

医療は日進月歩と良く言われますが、がんに限らずまだまだ不治の病も多く患者さんに”諦”めて頂くことが多いなぁ・・・と日々感じていました。

正直、末期がんの抗がん剤治療の最終的な結果が永眠であるのなら抗がん剤治療を行う意味ってなんだろう?って、自己否定的な感情を持ってしまった時もあります。

それでも、治療を続けたのは患者さんがご健在の間、(積極的な)治療を続けているという事実が患者さんの精神的な支えになってるのかなと・・・その支えを自分の自己判断で奪っちゃダメだと。

さっきも言ったように、抗がん剤治療を行うことに対し否定的な気持ちを持った時期もあったんですけど、患者さんの支えを奪う権利も俺にはないなと思って、金沢にいる間は抗がん剤を続けていました。

もちろん、患者さんとよく話し合っていい意味で患者さんに選択権を差し上げていました

それに、診療の在り方で悩んだ時、一番の相談者は上司でも同僚でもなく患者さん自身だった事が多かったですね。

患者さんも自分の事は自分で決めたいとの方が多く、その代わりに自分で答えを出すために必要な情報と考え方を教えてくれとよく言われました。

診療方針も含め患者さんと患者さん自身の命の在り方を二人で真剣に話し合うこともよくさせて頂いていました。

そんな、ある日、“諦”ってそのイメージと相反して、立派な字体だなと思いました。

(vol.3に続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?