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"諦(明)"の気づきを、地域医療へ 福山智基さん vol.3

(vol.2の続きから)

そんなある日、“諦”ってそのイメージと相反して、立派な字体だなと思いました。

“諦”とは一般的には放棄、断念、ギブアップなどマイナスイメージで使われていることが多く、できれば使いたくない言葉の一つですが、そのイメージにそぐわない立派な字体であることに隔たりを感じました。

そこで調べてみると“諦”いう言葉は実は仏教の言葉らしくて、 本来の意味は物事の本質を『明らか』にすることで現実をきちんと受け止めることのようで、『明ら(める)』と『諦(める)』って語源が一緒らしいです(間違っていたらごめんなさい)。

以前の日本での「諦める」は、「物事の本当のあり方を明らかにするから“諦められる”」と理解されていたようですが、
近世になって「物事のあり方を明らかにして」という前提が消えてしまい、単に物事を断念し放棄することを「諦める」と言うようになってしまったようです。

このように、“諦”はネガティブな言葉ではなく、物事の本質を明らかにする、「明らめる」の意味を含めた前向きな言葉で、悩みや負の感情を「諦める」ことで、新たな一歩を踏み出すために必要な言葉なんだと認識するようになりました。

“諦”に気づいたこともそうなんですが、がん治療を通じて生じた医療に対する疑念や葛藤、また、患者さんから頂いた命のこもったメッセージ、その全てがあり、今、福井に帰ってきてさせて頂いている在宅での看取り医療に繋がっていると思います。

金沢にいる時は抗がん剤とか高度の医療やっていても、福山医院じゃやれるわけないのにって思ったこともありましたが、がん治療をやっていたことは無駄じゃない、今の看取り医療をさせて頂くのに必要な過程だったんだって、帰ってきてやっと気づきました。

今話したように、金沢時代に学んだことを踏まえ在宅看取りではどういう風にしたら安らかに、厳かに最期を迎えて差し上げられるかというところを一番に考えて診療しています。

と言うのも患者さんの命を通じて学んだことの一つに

「正しい医療が必ずしも人を幸せにするわけではない」

と言うこと。この言葉を究極に突き詰めていくと、あえて「何もしない優しさ」もあるということに気づかされます。
「何もしない優しさ」があることに気づけたのも、“諦”の言葉の意味を再確認したことにも繋がっていて、がん治療と言う高度医療に携わったこと、患者さんから頂いた命のこもったメッセージが無ければ気づけなかったのかもと思います。

実際、看取り医療においては「何かし続ける優しさ」より「何もしない優しさ」の方が、安らかに、厳かに最期を迎えて頂けることが多いなぁと思っています。

ただ、一般の方には「何もしないこと」については中々ご理解頂けないとは思いますが・・・

「何もしないこと」は極論的には命を“諦”めて頂かなければ選択できないことです。

「諦めたらそこで終わりだぞ」との昔よく聞いたような言葉がございますが、”諦“めた結果が「終」わりなのであれば、逆に言えば、人生の「終」わりの在り方についての議論には、やっぱり”諦”は必然なのかなと考えます。

僕と同じように幼いころから「諦めない心が必要」と教わってきた方々がほとんどだと思います。

だから、上手な”諦”め方を知らない、もっと言えば”諦”める事はいけないことと潜在的に思ってしまい、本当は”諦”めなくてはいけない状況であっても”諦”めることを避けてしまうことが多いのではと思います。

─福山先生自身、これからどうしていきたいという気持ちはありますでしょうか。

福井に帰ってきてからは、消化器専門医的な医療は胃カメラや大腸カメラ、腹部超音波が主で、お越しなる患者さんの9割以上は消化器疾患以外の方ばかりです。

先ほども腸内環境と糖尿病、と言うお話をしましたが最近では糖尿病と癌との関係も議論されるようになりました。糖尿病と癌を理解する上で博士課程のところ(vol.1)でもお話したミトコンドリアの知識が役に立っていますし、機能性胃腸障害の研究から抗うつ薬のことも勉強しました。

また潰瘍性大腸炎やクローン病などの炎症性腸疾患の治療でもリウマチの治療と使う薬がよく似ていて他領域の疾患を勉強するのに今まで学んできた専門知識が想像以上に役に立ちました。

今まで熱くがんのお看取りのことを中心にお話しましたが、今では、もちろんがん以外の御病気でのお看取りも多く経験させて頂いています。

老衰や認知症の終末期、2021年には心不全などの心臓疾患においても緩和ケアについての提言が示されるなど専門外の疾患でのお看取りも経験させて頂いています。

当たり前のことですが、いろんな方がおられ最期の迎えられ方も十人十色です。ですので、患者さんからいろんな事を教わっても反省点することだらけで、「今回の看取りは完璧だった」と思ったことは一度もありません。命の奥深さから鑑みるとこれからも完璧と思うことは無いと思います。
まだまだお話足りない所もありますが、金沢時代の患者さんも含め福井に帰ってきてからもいろんなことを患者さんから教わりました。教わったことを一つ一つ無駄にせず、その経験をこの地域の方々に少しでも還元できたら命かけのメッセージをくださった患者さん達に少しは認めてもらえるのかなぁと思いつつ、これからも診療し続けます。

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