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LanLanRu映画紀行|凡てこの世も天国も

舞台:1841-1847年 /  フランス

「凡てこの世も天国も」/アナトール・リトヴァク監督作品
1940年公開のアメリカ映画。1847年にフランスで起こった事件を題材にした、レイチェル・フィールドの小説の映画化である。監督はアナトール・リトヴァク、主演はベティ・デイヴィスとシャルル・ボワイエ。

人生の再出発をしようとアメリカにやってきた女教師のアンリエット。しかし、彼女の過去の噂はたちまち生徒たちに広まり、授業もままならない状況に。アンリエットは思い切って、生徒たちに自分の身の上話をすることにする…。
こんな出だしで始まる「凡てこの世も天国も」。端的にいうと、公爵家に雇われた家庭教師と公爵の密かな恋心と、その結果起こった悲劇の話だ。フランスのプララン公爵家に家庭教師として雇われたアンリエットは、4人の子供たちに母親のように尽くすが、夫婦仲の冷めきったプララン公爵との浮気を疑われた挙句、公爵家の殺人騒ぎに巻き込まれてしまう。

よくあるラブストーリーといえばその通りだが、これが実際にあった事件で、しかも、フランスのルイ=フィリップを退位させた1848年のフランス革命前の政治的混乱の一因となったスキャンダル、と聞けば、少し気になってきてしまう。そんな話があったとは、今まで全く知らなかった。

1848年のフランス 革命とは

1848年のフランス革命といえば、二月革命のことだろう。ルイ=フィリップの七月王政に対して市民が蜂起し、第二共和政が始まった。
世界史の授業では、普通選挙制を求めた労働者を政府が弾圧しようとしたために起こったのが二月革命だと習ったものだった。七月王政のもとでは、納税額によって選挙権が制限されていたので、一部のお金持ちしか投票権を持っていなかったのだ。
それで、1848年2月、激昂したパリの市民や労働者が蜂起して、ルイ=フィリップを追放、共和政を宣言した。普通選挙は臨時政府によって実現し、失業者の保護のために、国立作業場も作られたということだ。ルイ=ブランなど、社会主義者も参加していたので、社会主義的な性格もわりと前面に出ていた革命だったらしい。
この後、革命はヨーロッパ各地に波及していって、1848年は「諸国民の春」と呼ばれるようになるのだが、大体こんなところがフランスの二月革命の概要だろう。

実際にあったプラズラン事件

さて、映画に話を戻すと、プララン公爵夫人殺害事件の容疑者、プララン公爵が、貴族であるがゆえに特別待遇を受けたのだと、かねてから特権階級の振る舞いに不満を募らせていた民衆の蜂起につながったというのだが…。

たしかにそのような事実はあったようだ。
実際にプララン公爵夫人の殺人事件は起こっている。1847年8月17日に、フォーブル=サン=トノレ街55番地のプララン公の邸宅の寝室で、公爵夫人が屍体で発見されたということだ。屍体は短刀で文字通り30箇所も切り刻まれ、血の海の中に横たわっていたという。死因はピストルの台尻の強打だった。部屋の状態や凶器の使用方法などから、警察は公爵本人を容疑者として逮捕したが、公爵夫人が生前書いていた日記や手紙の抜粋が当時の新聞に掲載されたので、彼女を悩ませていた「マドモアゼルD」(アンリエット)の存在は話題となり、公爵は不幸な妻を殺した残忍な殺人容疑者としてパリ中に知れ渡ることになったのだった。
更に問題になったことには、その公爵が拘留中に、服毒自殺をしてしまったのである。彼の死によって裁判は無効になったが、これは貴族ならではの特別待遇ではあるまいか、つまり、不利な判決を避けるために自殺が許されたかのではないか、あるいは貴族院仲間に毒殺されたのではないかと論争が巻き起こった。プララン公爵はフランスの名門貴族で、先祖は遠く12世紀末まで遡る家柄である。この殺人事件とその結末は、貴族階級の道徳的退廃を白日のもとにさらして世間の怒りを買うことになり、七月王政崩壊を引き起こす、蟻の一穴となったということである。

もちろんこうしたことは、歴史の本筋ではないだろう。実話に基づいているとはいえ、一人の家庭教師の存在が、フランスのみならず、ヨーロッパ全土を揺るがすような革命を引き起こしたと考えるのは、ロマンチックにすぎる。
とはいえ、ルイ=フィリップの失脚の裏に、このようなスキャンダルもあったのだと知れば、また新しい景色が見えてくることもあるかもしれない。プララン公爵夫人殺害事件の存在自体、全く知らなかったので、この映画は、少し私の視野を広げてくれたのだった。

さいごに

もちろんこの映画は、純粋にロマンス映画としても楽しめるし、ロマンス映画として楽しむべきだと思う。アンリエットを演じるベティ・デイヴィス、プララン公爵を演じるシャルル・ボワイエ、どちらも、往年のハリウッドで活躍した名優だ。恋情を心に秘めた二人の格調高い演技は見ごたえがある。
実はベティ・デイヴィスといえば、けっこう悪女役のイメージが強いのだ。悪女を演じさせたら彼女の右に出る者はいないというくらい。「黒蘭の女」や「偽りの花園」の悪女ぶりは印象的だし、代表作の一つ「痴人の愛」のミルドレッドに至っては最低な性悪女というので、ベティ・デイビス以外誰も引き受けなかった役だった。けれども今回、「凡てこの世も天国も」のベティ・デイビスは清純で、慈愛に満ちている。幅の広い役者なのだろう。男爵に対しても終始一貫、毅然として揺るがない姿は清々しい。
対照的に、バーバラ・オニール演じるプララン公爵夫人の感情的な演技も印象的だった。アンリエットになついた子供たちを見るのも気に入らないし、夫が子供部屋に入り浸るのも気に食わない。嫉妬心むき出しで毒を吐くバーバラ・オニールは、なんだかベティ・デイビスのお株を奪った感があるのだが、この演技でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたのだった。

映画の最後、回想が終わり、ベティ・デイビスが生徒たちに淡々と語りかけるシーンは感動的だ。こちらのセリフを引用して、この記事も終わりにしよう。

人々は怒り 多くの不平を抱いたわ
この女の釈放で我慢の限界を越えたの
1848年に革命が起き 王座は奪われた
一人の家庭教師が歴史を変えるなんてね

数か月後 アメリカから
仕事の依頼がきた
実は それも 友人のおかげだったの
新しい国に近づいた時の感情は 分からない
彼女の忘れたいことは ついてまわるかも
どの国でも人々は残酷かも
記事が見つかり騒がれるかもしれない
ウワサ話をされるかも
傷つける気はなくても
彼女の平安がなくなるまで 話は大きくなり広がる
アメリカだけじゃない
(中略)
いいわ
話を終えるのはあなたたちよ
教師は今後も苦しむべき?
それともこの国で 仕事を続ける権利を得られる?

映画「凡てこの世も天国も」より



〈参考文献〉

・『世界史用語集』(山川出版社, 2014)全国歴史教育研究協議会 編
・ P.クールティヨン著、金柿宏典訳註、「パリー誕生から現代までー[XXⅢ]」、福岡大学人文論叢第40巻第2号、2008年 , p.511

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