見出し画像

人類はどこに行くのか 2

 食物連鎖の構造を見ると、頂点に位置するものは下位のものより少ないものだが、人に限っては、一番上に位置していながら、他の生物を規模で上回っている。これでは、いずれ破綻を迎える。破綻を迎える前に、今の世界とは逆に、ありのままの世界の現状や真実・事実を認め、願望と切り分けることができる人間が、無知な大多数の人々を制御統制し、これらのことを解決に結び付けられるであろうか。もしくは無知な人々に教養を与え、物事に対する分別をつけられるようにできるであろうか。

 人類が破綻に向かうのは、何がそのキッカケになるかはわからないが、人為的に生じる大規模な戦争や核戦争、大規模な火山の噴火による環境の劇的な変化、比較的大きな隕石の衝突、温暖化が進み地下や海水下にあるメタンハイドレートが溶け出し地球全体が生物に適さない高温の環境になることも有り得るだろう。新たな致死力が強く変異力も高いウイルスが出て来るかもしれない。
 これらの極めて深刻な状況が生じなくても、人口の増加に伴い不足するものが出てくる。それはまず最初に食料であり飲料水であろう。大規模な干ばつなどによる飢饉が戦争の引き金になった例は後を絶たない。農作物を作るにしても肥料の観点から、家畜を飼育するにしても餌の観点から、いろいろな原材料が供給の限界に達するだろう。よく言われる窒素リン酸カリの肥料の3要素においても、窒素は空気中から取り出すことで凌いでいるが、リン酸は鉱石から取っており、いずれ限界がくるであろう。これらの化学肥料の調達に限界が来なくとも、化学肥料や農薬に頼り有機物である落ち葉・排泄物などの利用から遠ざかり、循環によるサイクルからかけ離れた現状の状況が続けば限界が来る。化学肥料中心の農業では土中の微生物を減らしてしまい、病害が増えるため農薬に頼り、土が死んでしまうという悪循環となって、いずれ破綻を迎えるだろう。その場合、大豆やトウモロコシなどの生産に支障が出れば、それを餌として与えている家畜にも影響が出て、人間の食生活に大きな影響が出てくることは避けられない。
 環境についても同じ事が言える。二酸化炭素による温暖化が言われているが、牛から排出されるメタンガスは、CO2換算で年間20億トンと言われており、(メタンガスはCO2の25倍の温暖化への影響があると言われている)車の排出するCO2の1/2に匹敵するとも言われている。人類は牛からの乳の加工品や肉の摂取を止められるであろうか。牛からのメタンガスを減らしても、エネルギーの大部分を原油・石炭や天然ガスに依存しており、これらすべてを止めて現在先進国で営われている生活は成り立つであろうか。そもそも人が増えれば人間が排出する二酸化炭素も増える。一人の人間が1年間に排出するCO2は360kg程度と言われており、世界でみれば30億トンにもなり人口が増えれば増大は避けられず、また生活を営むことで使用するエネルギーも必要不可欠で、食物を作るため・これらを輸送するためのエネルギーも増大する。人口増加をそのままにして、多くの点で限界が来ないようにし温暖化を防ぐということはできず、いいとこ取りはできない。

 ではもし仮に、何らかの災害などが生じて多くの人が死ぬと、現在のような生活環境に戻すには、一体どれくらい時間や費用がかかるであろうか。車やスマホ、コンピューターなどは作れなくなってしまう。例えば今やあらゆるところに使われているコンピューター(製品に内蔵されているCPUや小型のマイコンも含め)を考えてみる。今の設備がある程度残されていたとしても、それを動かせる人が生き残れるかはわからない。動かせたとしても、このような最先端のものをすべて一人で理解し設計し作製し作動させられる人は今や存在しない。コンピュターを設計・組み立てられる人でもソフトウエアやOSを作り出し、通信を含め、すべての半導体を回路から設計できる人はいない。半導体を設計し作ることができても、一人で化学を駆使して原材料から作り、電磁気学まで幅広く対応できる人はいないだろう。そもそも電力を各家庭や事務所・工場等に送電できないから、自ら発電も行う必要もあり、かつ、出力や周波数の安定した電力を作り出す必要もある。今の高度な技術に基づくものは、1日で・またわずかな人で培われてきたのではなく、多くの人の積み重ねの結果である。他の人や後世に継承できたとしても、それを習得しすべての分野で取り戻すには、多くの人が必要とされるとともに、技術の蓄積を取り戻す時間と費用も必要とされる。


 ではどうすればいいのか。

 非常に難しい問題ではあるが、理想としては地球全体で人口を抑制し、維持可能なレベルに抑え、常に生産年齢の人口が一定の比率を維持できるようにするしかない。これはできるであろうか?
 地球規模で考えれば、いろいろな人種や国があり、それぞれに歴史があり、それぞれに文化・成り立ちや価値観が違う。これをすべて統合して人口を制御するのは、個々の人の考えや価値観を統一することになり、議論や検討の余地なく不可能だと言える。
 可能性があるとすれば、食料から各種生産品、医療や教育なども十分な生活が賄える単位ごとに、比較的小さな国家を形成し、その中では維持可能な人口に抑え、生産効率を最大化し、生産品の異動に伴うエネルギーを最小化していくことであろうか。それでも何か大きな問題や対立が生じてしまったり、人口増加の制御がきかなくなるところが出れば、不公平や格差が生じ、争いや戦争に発展してしまうのは歴史が示している。

 では、多少なりともできるとすれば、どのようなことがあるであろうか。

 現在では、あらゆることの尺度が、経済の規模の拡大を基準にしており、これを見直す必要があるだろう。国内総生産GDPは人口の増減と経済活動の増減の掛け算なのだから、生産可能な労働人口が減り、支出の増加が見込めない高齢者が増えれば、マイナスになることも有り得るだろう。その際に経済成長がないと騒がずに、本質を見極めて対処するべきである。国もしくはある単位で人口のバランスが取れるように制御できるのであれば、人口増加や偏った年齢分布による弊害を削減できるが、その際に経済に対しては過度の成長は期待できなくなる。経済成長に対する価値観を変えないと破綻は止められないだろう。

 また健康寿命を超えた高齢者への過度な医療や生命維持を見直し、寿命と健康寿命を近づける必要があるだろう。日本でも10-15歳も離れており、健康寿命を過ぎた高齢者への医療や介護、年金などに対して若者の負担が増大し、破綻に向かっている。
 高齢者への医療に関しては、たとえどんな状況の患者でも治療をし、命が救え・生命が維持されればいいとされ、寝たきりや介護が必要となっても、そのことが事前に考えられることはない。後から必要とされる生活・介護などの負担で、周りを含め生活が回らなくなってもお構いなしである。そのような状態で生きていて、本人もその生活に本当に満足でき、周りに迷惑をかけることを受け入れているのか大いに疑問である。病院などは、時間を持て余した老人の介護施設と変わらず、費用負担がほとんどないために生じた弊害がいたるところに現れている。医療に対する考え方を抜本から見直し、本当に必要な医療をどこまで施すのか・年齢や健康寿命における最適な医療のあり方を考えるべきであろう。年を取っても自己負担が少なければ、若い時から健康維持に対するインセンティブは働かない。高齢者の医療・介護・年金の負担を、若者から切り離すべきで、高齢者が他人のお金を当てにして生きている限りは、国全体の生産性も総生産も高まらないのは明確である。
 医療や介護費用は自分で負担するしかないのだと若い頃から自覚させ、健康を維持できるように自己管理をし、その上で不必要な過度の医療は避けるべきである。人間としての尊厳を損ねることなく適度な医療を行い、健康を維持できるように自己管理を推進していくしかないだろう。それにより、若者の負担軽減と生産可能な労働人口のバランスが取れるようになれば、多少の改善は期待できるかも知れない。

 ただし前述したことは、現在地球に存在する国や組織で、実現できる可能性はないであろう。それは票の獲得・自分の任期や利益しか頭にない政治家や役人が、人口の増加を抑え平均年齢を下げるような政策を取れるはずもなく、高齢者に多くの痛みを伴い尊厳を傷つけるような政策を取ることなど期待できない。
 個々の人にしても、大局的に人口増加を抑えることや過剰な高齢者政策の適正化を支持しても、個別に自分の家族・親や親族などに対して、理解を得るのはほとんど不可能だろう。
 結局のところ、このまま人口増大が続き、もしくは維持可能な水準を超えた状態が続き、様々な問題に対して右往左往しながら、破局を迎えるしかないのだろうか。

 これは別の見方をすれば遺伝子に操られていることになる。人類が脳を発達させ高度な言語を使えるようになり文化文明を発展させても、行き着く先は遺伝子による自然淘汰になるということになる。そして、何万年か何千万年かわからないが、いずれ人類を超える新たな生物が誕生し、人類は淘汰される運命にあるのであろうか。
 これでは脳を発達させても所詮は遺伝子によって操られた、もしくは遺伝子を上回ることができない儚い運命になってしまう。これが人類の宿命で、行き着く先であろうか.....。


 最後まで読んでいただき光栄であるが、是非考えてみていただきたい。所詮は遺伝子に操られるだけなのか、発達させた脳でこれらに立ち向かい運命のしがらみから脱却できるのか........、
思考は他の生物にはない人間に与えられたかけがえのないものだから........。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?