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理解する と 受け入れる


自分の話

少し前まで、自分の中にある“正しい“が存在していました。

仕事がきっかけで、このようなことを考えるようになったのですが、
それまでは、“自分の中に正しいがある”と気が付いていませんでした。

当時の私は、他人の意見と自分の意見がぶつかる時、何とか分かり合えないかと自分なりに自分の意見を伝える事が大事だと思っていたんです。

新型コロナウィルスをきっかけに会社の状況が悪くなっていく中で、「現状維持をするのは、利益が下がる等(他は伏せます)のデメリットがあり、改善する方法は何通りもある」という話をしました。
悪い状況が進む中で、”向上・改善“が何より大事だと思っていたんです。
私は、”改善出来るなら悪い状況を避けたい“だとか”悪い状況が続く中現状維持を選ぶのはどうなのか“ということを理解してほしいと考えていました。

社員全員で話し合っていく中で、私の意見に賛同する者は一人も居ませんでした。

”会社の状況が悪くなる“ことが、周りにとっては”悪くなろうとも成り行きに任せたら良い”だったのです。
全くもって、理解できませんでした。
何故、改善出来ることをしないのか、向上するために動かないのか、この先の被害は考えているんだろうか、そんな疑問を抱きました。

理由は簡単です。
トップの人間が「NO」と言えば、社員全員「NO」なのです。

この話し合いのあと、直属の上司に声をかけられました。


「君の言ってることは正しいけれど、このままでいいんだよ。正しいことをするのが良いとは限らないよ。
君は若いからまだ分からないだろうね。ここは勤め先であって、自分の会社ではないんだよ。
間違ったことでも相手の意見を全て飲み込んで、我慢するしかない時もあるよ。」

ドラマや本でよく出てくる、ぴったりのセリフがあります。


「言われたことだけやってりゃイイんだよ」

ここに凝縮されて表されている事です。
会社の為に、誰かの為に、頑張ることだけが正しいわけではないんだと気付きました。上司がきちんと私に言ってくれたことも、本当に有り難かったです。そして、そんなに若くないのに若者扱いしてくれたのには少し笑いました。

私は、任されている業務や、それに関する改善はする(今以上に利益を上げる事や将来の見通しをすること)のは当たり前だと思っていました。
それに、会社の利益が下がればボーナスも減るし、社内の雰囲気も悪い。
けれど、利益が上がればボーナスが下がることはないし、待遇も人員も変わらない可能性は十分あるけど、どうせなら良いことが待ってるかもしれない方が良いじゃん!と思っていたし、この考えは今でも変わりません。

一歩踏み出すことを恐れて、現状維持で衰退していく事を選ぶという選択肢が自分の中にはなかったので混乱しました。理解もできませんでした。

ただし、この件に関して
正しいとか正しくない
納得するとか納得しない
そういう話じゃないんだ。ということだけは分かりました。

私は自分が何者かを、履き違えていました。ここが大きなポイントでした。


子供心の私が分かったこと

きっと、私は人よりも大人になるのが遅いんだろうなぁ‥‥
もっと早く気付いている人間っていっぱいいるんでしょうね。

分かったことは、
・トップの人間がいる場で、自分の意見を言うのはおこがましいこと
・多数決で「NO」になったら覆せない場面があること


私はこの先、こういう場面に数えきれないくらい出会うと思います。

その度に、理不尽だなぁと感じると思います。

でも、”相手の意見を理解する”と
相手の意見を受け入れる”は
別のことだと考えるようにしました。

理解出来なくても良いから、相手を信じて受け入れてみます。
それが悪い結果になろうとも、状況によってそれがベストだったと言い聞かせてみます。

正しい“というのは、自分の中の”正義“なのだと今なら分かります。

自分の正義を貫くことは、良いことばかりではないこと。
誰にも受け入れて貰えない正義は“”になること。


SNS等での炎上に加わる人達、目的を考えてみてほしい


これまでは私の話でしたが、SNSや動画サイトで炎上したり、コメントで揚げ足取りをしている場面がありますね。

それを見て思うんです。
自分と違う意見を見ても、その相手に自分の意見を伝えない人にもきっと正義はあるんだと。
あえて、争いを避けているんですよね。大勢の方が。

それが正しいとは言わないですが、
こういう意見もあるんだなと流したり、自分じゃ気付かなかったと受け入れたり、はたまた目に入らないようにしたり。
助けない、間に入らない。何者にもならないのも選択肢にいれてもいいんじゃないかなと思います。

自分の意見をはっきり言う人は、傷つくことが多いです。
自分の正義が誰かの正義とぶつかって、応援が入って、大勢から批判を浴びる・浴びさせる。そんなこともあると思います。
活字の争いは、無機質に感じます。冷たいです。
余計に真意が伝わらないので、もどかしいと感じヒートアップします。
加害者にもなるし、被害者にもなります。そして、英雄にもなります。

何のために、誰かと言い争ってるの?

↑ ここが一番大事です。

自分の意見を伝えたい
誰かを守りたい

言い訳並べても、自分を否定されて、過剰になっているだけじゃありませんか?

今一度、自分に問いかけてください。

自ら、悪になる必要はありません。

ただ、誰かを理解しなくても
「私とは違う考えの人もいるのね」
そんな風に受け流せる人間になったほうが傷つかないのかもしれません。
大きな声をあげる英雄になるのは、それなりに難しいということです。

私は、自分の意見を言うことも、誰かの意見を受け入れることも、どちらも大事だと痛感してます。
その場面を見極めて、冷静に考えるのが大人なのかもしれません。


終わりに

こんなことが会社でも、SNSでも、世の中どこにでも、あるのかなと考えていました。

誰のことも否定しない生き方がしたいですが、私は自分のことから考えていくきっかけになりました。

取り留めもない話で申し訳ありませんが、誰かが自分と向き合うきっかけになればと思います。


タイトル画像は、NASAのHPよりお借りしました。私には、壮大な宇宙のような心が必要なのです。

ありがとうございます。皆さんのお役に立てる様、頑張ります。