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実感的十返家論①三十円の姓

はじめに: このタイトルと筆者について

このタイトルは、ちょうど?110年前(1914年(大正3年)3月25日)に生まれた文芸評論家・十返肇(写真右)の息子(写真左の乳児)の娘(つまり孫)である筆者が吉行淳之介氏の「実感的十返肇論」に肖って命名しました。

よって、動機としては、薄々感じてはいても未だ正体が掴めない…しかし明らかに私自身の中に確固として存在する十返家から引き継がれた“何か”について吉行氏に倣うことで理解し、その公開によって十返肇の評論の背景を今も愛読してくださる有り難い方々にお届けできるのではないかと考えたことにあります。
しかし、私は、あいにく吉行氏ほどの文才がありません。
また、詳細は稿を改めますが、私が祖父に興味を抱いた切欠は、いわば自己理解の一環であり、文学的興味ではありません。
受動的に言えば、父の死後、母も分からないこと(父が伝えなかったこと)を知るために祖父の本を読み解かねばならなかったのが率直な事情です。

そのため、このシリーズは祖父・十返肇の作品から彼の人物考察を試みるものですが、他の親族(とりわけ筆者の父で肇の一人息子・一成、故人)の逸話や考察も多くなることをご了承ください。
さらに、以上のような中で甚だ恐縮ですが、これらの調査には後述する事情により相応の費用が嵩んでおり、このシリーズ(になるかは分かりませんが…)は有料記事として限定的な公開に留めます。
※既に祖父は2014年元日にパブドメ入りしていますが、未だに祖父の作品を(もちろん著作権使用料なしで笑)有料で出版されている会社もある一方、先日血縁者として転載許可を対応した出版社は使用料を払えないとのことで、そうした不公平感を是正させていただきたいと考えたところもあります。

思えば、祖父が小説より戯評を多く遺したことは、少なくとも私にとっては幸運だったかもしれません。
どうか戦後文学の文壇の片隅に生きた文芸評論家・十返肇の人となりを後世に遺すためのご支援として本作品をご購読いただき、最後までご覧いただければ幸いです。


この作品について

父が他界した夜、初めて手にした祖父の著書は「十返肇の文壇白書」でした。

その中に見つけたこの作品から、私は、私自身と父を理解するための旅に出たのだと思います。
私が「我が家FAQ」と称する、この珍名についての奇妙な物語をお楽しみください。


「三十円の姓」十返 肇
底本:「十返肇の文壇白書」白凰社
昭和三六年一〇月一〇日第一刷


 私の姓は、ご覧のようにはなはだ風変わりで、めったに最初からトガエリと読んでくれる人はいない。また、私の本名は一(ハジメ)で、十返一と書くと、たいていのひとが、十返舎一九の子孫かと思うらしい。大学へはいったとき、講師であった川端康成氏からも、そうたずねられた。
 たずねてくれるのはまだありがたいほうで、滔々として「昔、十返舎一九という小説家があってネ」と、私に長談義をきかしてくれるひともある。ただし、さすがに文学者にはこんな馬鹿はいない。
「ヘエ、めずらしい姓ですネ。おくにはどちらですか。そちらには、こういう姓がたくさんあるのですか」
などときかれるが、私の故郷香川県高松市には、もちろん、こんな姓は私の家以外にはない。では、どうして、こんな風変わりな姓となったかといえば――

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