「かみさまだって」

2021/4/30の日記



どうしようもなく好きだった女の子の話をしようと思う。私の10代の記憶は、ほとんどその子に埋め尽くされていると言ってもいい。何の縁か小学校から高校までずっと一緒で、その間、彼女のことを考えなかった日はほとんどない。ほとんど。

後付けの理由ならいくらでもあるけど、そんなことよりもずっと前に、隣にいるというだけで、ただただ彼女が好きだった。どうしてあんなに好きだったのだろうとも思うけれど、その漠然とした恋があの頃の全てだった。


その頃の私と言ったら本当に愚かでしかなく、思い出すのも嫌なくらいなんだけれど、ここに刻み込むことでそのスティグマを昇華させたい。

とにかく、まず、彼女と仲のいい子たちが嫌いだった。私よりもずっとずっと人付き合いのうまい彼女には、中学校に上がった途端あっという間に友達がたくさん出来て、それが疎ましかったために自分から距離を取った。彼女の笑う顔が自分といる時のものよりも明るいような気がしてしまって、毎日同じ駅から同じ駅まで電車に乗るのに、いつしかわざと違う車両に乗り、わざと歩く速度をずらした。

また、彼女を目の前にするとうまく話せないから、なんだか非道い態度をとってしまうくせに、いつも彼女のことを探しては、目で追っていた。いっそ、ひどいことを散々言った果てに「貴女なんか死んじゃえ」と彼女に言われて、その晩ほんとうに死んでしまいたいだとか思っていた。ぐしゃぐしゃに後悔してしまえばいいのになあ、意味なんてひとつもない烙印みたいに。そんなふうに思っていた。

彼女のことを避けながらも、話したい気持ちが抑えられずたまに一緒に帰れば、あの先輩が好きだの、あの人がカッコいいだの、そんな話ばかりを、つまらなそうに聞く私に向かって、彼女は一生懸命、まあるい目をぱちぱちさせながら話していた。そうして時折、話題の矛先が私の方を向く。それが嬉しくて、そんな日は彼女が乗りこんだバスが遠ざかっていくのを、いつまでも眺めていた。気持ち悪いことは自覚しているので大丈夫…。


彼女は世界が美しいことを知っていて、それを人に話すことを臆さない強さと芯のある人だった。まるで真冬に咲く向日葵のような。これは後付けの理由のひとつ。

まあ、大袈裟な物言いだと思う。中学1年生の秋、まぶたに透ける夕陽の色が好きだと言った彼女。そんなことをいつまでも覚えていて、まんまと彼女という存在を認識するための核にしてしまう自分が滑稽で仕方ない。


高校を卒業して、それから、彼女には会わないと決めていた。

その理由は、どんどん砂糖菓子みたいに可愛く、きれいになっていって、いつも周りに誰かがいる、そんな彼女の隣に並ぶ自分を想像すると惨めで仕方がない気持ちが半分。彼女の存在という抑制から這い出し、すっかり変わった自分の姿を見せたくない、言ってしまえば羞恥心に似た気持ちが半分。

それなのに、そんな私の覚悟を他所に、いざ会ってしまうのはいとも簡単なものだ。ある何でもない日に、会社の最寄り駅で彼女の姿を見つけたときは呼吸が浅くなった。後ろから聞こえてくる笑い声に、彼女だ、と確信を持ってから、その声はまるで呪いのように全身を覆った。

いつもどこかに彼女の姿を探しているくせに、いざ目にすると全速力で逃げ出したくなるのはあの頃と変わらない。そうして誰よりも早く彼女を見つけてしまうところも変わらない。

動揺と冷静と高揚が入り混じり、普段はたった一行の文章を送るのもためらうSNSのメッセージを、勢いだけで送った。今〇〇駅にいた?という、何の面白味もないようなもの。メッセージの最終履歴は2年前の私の誕生日だった。

その場で声をかけないあたり、相も変わらず最高に意気地が無い。

返事はすぐに来た。数回、言葉が往復し、特に何の感傷に浸る間もなく会話は途切れた。大量生産みたいな文章と、瓦石のような絵文字。その間、まるで、まるで知らない誰かとやりとりをしているような気にしかならず、あの時の高揚はもうどこにもない。


そして、ああ、彼女は22歳なのだと、その時初めて思った。


わたしの世界の中では、いつまでも彼女だけが、セーラー服の裾をかわいく揺らして、すべてを支配していた。

けれど強制的に共有する時間の終わりは、すべてを美化しながら、ゆっくりとその記憶を奪っていくものだ。


いつからか、夏には彼女と地元の小さいプールへ行ったことを、咲き出す彼岸花を眺めたことを、冬には真っ暗な部活からの帰り道を一緒に歩いたことを、朝には私の足音を聞き顔を上げる彼女を、夕方には静かな駅で電車を待ったあの時間を、思い出さなくなっていたことに気付く。

テンパリングしたチョコレートがぱきりと割れるみたいだった。彼女のすべてが詰まったあのうすいチョコレートは、まるで恋に胸が高鳴るのと同じような顔をして、ついには跡形もなくなってしまった。


夕陽に照らされる白いセーラー服は、あの真っ赤な街ごと燃えてしまったのだろう。今度はあの黒々したスーツジャケットが、脳裏に凝着してしまわないことを祈っている。




おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?